風といっしょに(前)
(デジモン映画パロ)



「見えてきたわよ」
母がそう言って窓を示す。小さい体で懸命に背を伸ばした先で瞳に映ったのは、柔らかな自然の色とそこに息づく穏やかな人々の風景だった。それまで住んでいたのも自然豊かな場所だったが、敢えて言えば生命の強い気配を濃く感じるような処だ。それに比べたらなんと清らかな処か。車の窓を開くと飛び込んでくる風の匂いにつられ、思わず身を乗り出す。目を閉じて鼻から吸い込んだ空気は体の隅々まで満ち、久方振りの清々しさを感じさせた。
がくん、と小石でも踏んだのだろう、突然車が大きく揺れる。崩れ落ちかけた体は、しかし車内に強く引かれたので事なきを得た。大丈夫かと訊ねる母に肯定を返して、隣で心配そうに見上げている、助けてくれた彼へ感謝の印と頭を撫でた。
「ありがとう、イーブイ」
小さく可愛らしく、嬉しそうに目を細めて笑うから、同じように笑い返した。





風といっしょに





季節は夏。すっかり平和になった世界で、図鑑所有者達はそれぞれの時間を満喫していた。ゴールドやクリス、ラルドはオーキド博士に連れられてバカンスへ。レッドは相も変わらずシロガネ山で修行に勤しみ、グリーンはジム業務に精を出している。そしてブルー、シルバー、イエローの三人は今、自然豊かなホウエン地方に旅行に来ていた。
カシャッ。軽いシャッター音がし、それを合図にシルバーは強張らせていた肩を下ろした。どうも写真は慣れない彼だが、一緒に写っていたイエローはそうでもないらしく、チュチュを腕に抱えたまま、先程の写真を確認するブルーの手元を覗きこんでいる。
「これゴールド達に送っちゃいましょ」
「いいですね。きっと羨ましがりますよ」
「後で五月蝿そうだな」
くすくす笑いながら、じゃあ送るわね、とポケギアで操作するブルー。その隣で不意にイエローはぴくりと反応し空を見上げた。
「? イエロー先輩」
「……泣いてる、ポケモンが……」
「イエロー?」
「泣きながら……探してる……」
自らが泣きそうに顔を歪ませてイエローは呟く。彼女の能力を知る二人は思わず顔を見合わせた。すると異変は起こった。ピピピ、図鑑が鳴る。ふわ、と風が舞う。それもブルーの周囲だけで。
「なに……?」
共鳴音、ではない。しかしそれに近い不思議な音。取り出した図鑑は忙しなく点滅し、それに呼応するかのように風が巻き上がる。あまりに突然の状況を理解出来ないでいる二人は、手を出すことも出来ない。ブルーも同じようで、混乱したように周囲を取り囲む風を見やった。
「姉さん!」

かたん、

持ち主の支えを失ったポケギアが地面に落ちる。風は止み、音も消えた。ブルー自身と共に。
「……消え、た……」
彼女だけではない。同時刻、別々の場所で同じような現象が起こっていた。シロガネ山そしてトキワジムでも同じような風が吹き、図鑑所有者の姿が消えていたのだ。
「姉さん……」
それを今は知る由もなく呆然とするシルバーの耳に、鋭い音が届いた。はっと顔を上げた先には、明らかにポケモンの技とおぼしき閃光が見える。
「なんだ……?」
「泣いてるポケモンだ……」
「何……」
ブルーのことも心配だが、イエローの言う泣いてるポケモンのことも気になる。シルバーは小さく舌打ちするとヤミカラスを取り出し、イエローと共に駆け出した。



少年は放心したようにそれを見上げた。訳の解らない、なんの生物かも判別出来ない物体が、少年を見下ろしている。彼のパートナーだろうか、一匹のカクレオンが少年をその化物から護ろうと牙を剥き出しに威嚇していた。しかし少年の瞳に映るのは恐怖ではなく、驚きと、微かな希望。
「……イーブイ、なのか」
渇いた口内から漏れた声は、少年自身でも驚く程掠れたものだった。一歩踏み出す少年をカクレオンが驚いたように見上げる。しかし構わず、少年はその化物に向けて両腕を伸ばした。
「僕だよ……ミツルだ……僕のことが分かる……?」
少年の真摯な視線を追いかけるように、カクレオンは化物を見やる。どこを見ているか解らないその双眸は、確かに今はミツルと名乗った少年を見つめているようだった。
「イー……」

ドン、

激しい音がして土煙が舞う。突き飛ばされて尻餅をついたミツルは慌てて顔を上げた。カクレオンが化物と戦っている。その状況に顔を歪ませ、ミツルは叫んだ。
「止めろー!」
その声に反応したのはカクレオンだけで、その所為で化物に投げ飛ばされてしまう。ミツルが急いで駆け寄りカクレオンを抱き上げると、いつの間にか化物は消えていた。不穏な風を残して。
シルバー達が到着したのは、正に化物が姿を消す瞬間で、それでもまだ距離があった為に声を張り上げて少年を呼んだ。
「おい、そこの奴!」
「!」
シルバーの姿に気がついた少年は状況を目撃されては不味いと感じたのだろう、傷ついたカクレオンを抱えて走り去った。また何かに反応して足を止めるイエローを一瞥し、シルバーはドンカラスに少年を追うよう指示する。イエローは不安そうに眉をひそめ、チュチュを抱き締める腕に力をこめた。
「今……レッドさん達の声が……」
「レッドさんの……?」
「何かが、起きてる……」
それはポケモンの感情なのか、はたまた彼女自身のものなのか、悲しみで歪む表情の意味は誰にも分からない。



落ちる、堕ちる、暗闇へ。冷たい処へ。腕を伸ばしても、その手に触れるものなんてなく、成す術もなく彼らは墜ちていく。色んな絵具を混ぜたかのような淀んだ風景。やっと地面らしきものに足が触れたが力は入らず、レッドは膝を折ってぺたりと座りこんだ。少し遅れてグリーンとブルーも、脱力したように着地する。レッドは気だるさを感じながらも、ゆうるりと顔を上げて辺りを見やった。

――……どこだ……此処。
――……分からない。

膝を立てて座るグリーンが力なく項垂れて答える。ブルーも虚な瞳で、変わらない風景を見上げた。

――……気を付けて……シルバー。



ピピピ。
眩しい陽射しに目を眇ていたゴールドはポケギアを取り出し、画面に映った名前に眉を潜めた。その様子に小首を傾げ、クリスとラルドも覗きこむ。
「シルバーから……?」
「何の用だ……?」
滅多に頼ることのない人物からの連絡に嫌な予感がしつつもメールを開くと、ゴールドだけでなく他二人も揃って眉間の皺を深くした。

『姉さんを 助けてくれ』

「……なんだぁ? とうとうシスコン拗らせたかぁ?」
「そんなこと言うもんじゃないわよ」
兎に角連絡をとろうと言うクリスの提案を渋々受け入れ、ゴールドはポケギアのボタンを押した。

その後の連絡で、どうやらブルーだけでなくレッドやグリーン達、所謂マサラ組が行方不明になっているらしいと判明した。不思議なことに手持ちポケモン達は無事で、図鑑と彼らだけが消えたらしい。兎も角一度マサラに集合しようということになり、今ゴールド達三人はホウエン地方上空を飛行している。
「しっかしレッド先輩達は何処へ行ったんだろうな」
「手がかりがカクレオンを連れた少年だけじゃねぇ……」
しかもドンカラスは見失ってしまったらしい。溜息を吐くクリスの隣で、サマヨールに乗って並走していたラルドはふと見やった外界で動く影のひとつに目を止めた。それは少年で、傍らに連れているポケモンは、
「カクレオンだ!」
「え?」
「何、どこだ!」
「あそこ!」
ラルドの指差す方向を素早く確認し、少年を見つけたのか、ゴールドは急に下降して行った。驚いたクリスは呼び止めても聞き入れない彼に溜息を溢しながら後を追う。ラルドも慌てて急降下した。
「おい、そこの少年」
「!?」
いきなり上空から降り立った少年に声をかけられれば誰だって驚くだろう。薄緑の髪をした少年はカクレオンを腕に抱いたまま驚き、数歩後ずさった。それに配慮することもなく、ゴールドはキューを片手にズカズカと歩み寄った。
「な、なんですか……」
「ちょーっと顔貸してもらってもいいか?」
初対面の少女に不良と勘違いされたことのあるゴールドだ。しかも見るからに少年は、失礼な物言いだが、気の弱そうな雰囲気である。怯えるのは無理もない、そうラルドは独りごちた。するとやはりと言うべきか、案の定クリスの鉄足が唸った。
「ごめんなさいね」
そう笑うクリスだが、彼女の蹴りを食らったゴールドの反応が隣にあっては逆効果である。少年は益々怯えたように顔をひきつらせた。こっそり溜息を吐き、ラルドは少年を安心させるように気さくに話しかけた。
「そんなことが……」
ラルドの説明に、ミツルだと名乗った少年は目を伏せた。そんな彼を、カクレオンが腕の中で心配そうに見上げている。カクレオンの頭をそっと撫で、ミツルは苦く笑った。次に彼が顔を上げた時、その瞳に迷いはなく、何かを決意したような光が宿っていた。
「……行かなきゃ」
「行く? どこへ?」
「マサラへ。……すみません先を急ぐので」
頭を下げさっさと歩き去ろうとするミツルを、慌ててラルドは引き留める。何も手がかりを得ぬまま別れるわけにはいかない。ぐい、とその細い腕を掴んだのはゴールドだった。
「その前に情報くらいくれたっていいだろうが。こっちは大事な先輩達が消えてんだ」
「……」
「一体何を……――!」
ゴールドはミツルの腕を掴んだまま、クリスはラルドの手を引いてその場から飛び退いた。少し遅れて、四人の立っていた地面が抉られる。一瞬遅れていたら自分の体がああなっていたかもしれないと想像すると、自然ラルドの口許にはひきつった笑みが浮かんだ。空中へ逃げたクリス達とは違いまだ地面に足をつけていたゴールドは、見下ろしてくるその巨体に柄にもなく冷や汗を流した。これはポケモンなのか、それ以前にこの世界に存在する生物なのかと、疑念が沸いてくる。ちら、と横目で一瞥すると、ミツルはじっと目前の化物を凝視していた。
「おい……?」
「……ー……ブイ」
小さく彼が呟いたが、はっきりとは聞こえない。もう一度声をかけようとゴールドは手を伸ばすが、それをかわしてミツルはゆっくりと化物へ近づいてゆく。ミツルを心配気に見上げるカクレオンが彼の裾を引っ張るが、それさえ意に介さない。その双眸に映るのは、化物だけだ。
「おい!」
「……イーブイ……イーブイだろ? あの時の……僕だよ、ミツルだ」
分かるかい、と話しかける姿は必死で、ゴールド達は思わず事の成行を見守ってしまった。化物は濁る眼でミツルを見下ろし、ゆっくりと首を傾げる。ミツルが腕を伸ばし、化物もそれに答えるように腕を上げた。
「っあぶねぇ!」
「!」
咄嗟にゴールドがミツルの体を押す。化物の腕が砂埃を立てて地面に突き刺さった。ミツルに攻撃を仕掛けたのだと察し、カクレオンが怒りも露に飛びかかる。ミツル共々尻餅をついたゴールドは援護の為バクフーンを取り出した。
「行けぇ、バクたろう!」
バクたろうの炎とカクレオンの舌が化物に向かう。体を起こしたミツルはその光景に目を見張り、思わず地面に爪をたてた。
「……ダメだ……――止めろー!!」
叫び声も空しく爆発音が辺りに轟く。



異変はレッド達のいる亜空間にまで及んでいた。ぐちゃぐちゃしていた色彩が急に赤を多くし、まるでそれに呼応するかのように、ある一つ感情が三人の頭に流れこんできたのだ。

――なんて強い……。
――なんて悲しい……。
――これは……怒り……?

そこでふと、二人を見やったレッドはその姿に驚き、先程までの気だるさを忘れて目を見開いた。

――グリーン、ブルー。お前ら、ちっちゃくなってる?!

そう、まるで初めて出逢った時のような姿。それを聞き、グリーンはうろんげに彼を見返す。

――お前こそ……。
――ねぇレッド。あなた、今いくつ?
――……え。

ブルーに問われ、レッドはしげしげと自らの手、そして体を見下ろした。思わず声を上げる。声変わり前の高いそれに、本当に昔に戻ってしまったのだと思い知らされた。
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