◇序章
(……何かの鳴き声……?)
鼠、いやリスのような声と頬に触れる生暖かい感触で、ようやっと頭が動き始める。
「……あの。朝でも夜でもありませんから、起きてください、先輩」
女の子の声がして、身体がゆるく揺すられる。朝ではないかもしれないが、少なくとも夜ではない筈だ。自分が、意識を持っているのだから。
ぱち、と目を開く。桜色の髪を持ち、眼鏡の奥で恥ずかしそうにアメジストの瞳を細める、まさに美少女が膝を折ってしゃがみ、こちらを見下ろしていた。
「君は……?」
「いきなり難しい質問なので、返答に困ります。名乗るほどのものではない――とか?」
彼女が小首を傾げると、それにつられて短い桜色の髪が揺れる。こちらが無反応で身体を起こしたので冗談が通じていないと慌てたのだろう、ほんのり頬を赤らめて少女は手を振った。
「いえ、名前はあるんです。名前はあるのです、ちゃんと」
コホンと咳払いし、少女は何故こんな通路で寝ていたのかと訊ねた。頭を軽く掻き、パチパチと目を瞬かせる。
「……俺、ここで眠っていたの?」
「はい、すやすやと」
教科書に載せたいほどだとまで言われれば、こちらも恥ずかしくなる。頭を掻いた手で顔を覆うと、覚醒する前に聞いたリスの鳴き声が足元から聴こえてきた。
「失念していました。あなたの紹介がまだでしたね」
少女はよいしょ、と足元にじゃれつくリスのようなモフモフとした生き物を抱き上げた。ひくひく鼻を動かす顔をこちらへ突き付け、フォウという名の生き物だと紹介する。紹介が終わると、フォウはスルリと少女の手から逃げ、どこかへ走って消えてしまった。
「見たことのない動物だ……」
「はい、私意外にはあまり近寄らないのですが、先輩は気に入られたようです」
「そうなの?」
「おめでとうございます。カルデアで二人目の、フォウのお世話係の誕生です」
それは名誉あることなのか、という愚痴もとい質問が喉までせり上がったが、少女がニッコリと微笑む姿が可愛らしかったものだから、溜息をともに吐き出すに留めた。
「ああ、そこにいたのか、マシュ」
背後から聴こえてきた声に、少女は慌てて立ち上がる。自分も立ち上がり、マシュという名に反応した少女と同じ方向へ顔を向けた。
「君は……今日から配属された新人さんだね」
やってきた男は、こちらを見るなり少し驚いたように目を丸くした。頷くと、人付き合いの好さそうな笑みを浮かべ、握手を求めた。
「私はレフ・ライノール。ここで働かせてもらっている技師の一人だ。君の名は?」
隣でマシュが、そういえばまだ聞いていなかったと今思い至ったように口元へ手を当て、チラリとこちらを伺っているのが気配で分かった。その様子に思わず笑みがこぼれそうになるが、グッと堪えて首元につけたチョーカーの飾りを弄る。
「――藤丸立香といいます。藤丸と呼んで下さい」

「大丈夫ですか先輩?」
「……しまった」
初っ端から居眠りをするとは、幾らシュミレート後の後遺症といえ、最前列、所長の目の前で舟を漕ぐとは失態を犯してしまった。魔術世界など知らない一般人であるが、それがまずいことは分かる、非常に分かる。
結局所長の平手打ちを食らった藤丸は、マシュに案内されて他の新人たちより一足先に自室へ向かっているところだ。
部屋の前まで来ると、マシュは「では」と敬礼の真似事をした。
「私はこれで。運が良ければ、またお会いできると思います」
「ありがとう。またね」
嬉しそうに手を振りながら元来た廊下を戻って行くマシュを見送り、藤丸は言われた通りの手順で自室の扉を開いた。
「はーい、入ってま――ってうぇええええええ!? 誰だい、君は!?」
そして一歩入らぬうちにこの質問。訊ねたいのはこちらである。
自室であると案内された部屋には既に先客がおり、マシュより甘い色をした髪を一つに結んだ男は、ごろりとベッドに横たえていた身体を起こした。
「ここは空き部屋だぞ、僕のさぼり場だぞ!?」
「……ここが部屋だと案内されたんですけど……」
お菓子や雑誌、本――娯楽の道具まで持ち込んで、この男が使用していた日数はかなり長いようだ。藤丸の言葉に男は喚くのをピタリと止めると、顔を顰めて頭を掻いた。
「あー……そっか、ついに最後の子がきちゃったかぁ……」
ジトリとした視線を向けると、男は「たはは……」と笑う。誤魔化そうとしていると、一目でわかった。
「いやあ、初めまして。僕は医療部門のトップ、ロマニ・アーキマン。Dr.ロマンと呼んでくれ」
「……藤丸立香です。藤丸、藤と呼ばれることもあります」
「藤丸くん、藤くん。いいねぇ、新しい友だちができたぞぅ!」
こちらへ座るよう、ベッドを叩いてロマンは藤丸を手招きする。枕をクッションのように抱きかかえたロマンに頬が引きつりながらも、言われた通り腰を下ろした。
「見たところ君は所長の雷を受けたようだ。何を隠そう僕も、所長に『ロマニが現場にいると空気が緩むのよ!』って追い出された身だ。所在ない同士、ここでのんびり世間話でもして交友を深めようじゃないか!」
さぁどうぞ、とロマンは食べかけのスナック菓子を差し出す。追い出されて拗ねていた、とはいうが、常日頃からここをさぼり部屋に使っていたのは自明の理。藤丸がここに常在することになっても、この男はやってきそうである。
スナック菓子を齧りながら、まあそれも面白そうだから良いかもしれない、と藤丸は思うのだった。

それは、突然起こった。レフの通信を受けたロマンが重い腰をあげ、管制室へ向かおうとしたとき、照明が落ち、エマージェンシーを知らせる機械音のアナウンスが入った。
ロマンにはゲートを通って屋外へ避難するよう言われたが、藤丸の脳裏に走ったのは先ほど出会ったばかりの少女の姿だった。彼女はまだ、燃え盛る管制室にいる筈。
チャリ、と音の鳴るチョーカーの飾りを握りしめ、藤丸は唾を飲みこんだ。
「――そうだよね、ここで一人だけ逃げたら後悔するよな。『立香』」

フォウと共にロマンの後を追った藤丸の目に、業火に包まれる管制室とその中心で赤い星となるカルデアスが映った。生存者を探そうと辺りへ視線を向けると、小さな声が聞こえた。
「……あ」
「マシュ!」
瓦礫の下で横たわるマシュの姿を見つけ、藤丸は慌てて駆け寄る。マシュはこちらを認識したようで、少し安心したように頬を緩めた。
「……どうしてここに……」
「しっかり、今助ける!」
彼女の上に乗る瓦礫をどけようと力を込めるが、成人男性よりはるかに大きなそれは、びくともしない。藤丸は悔しさに唇を噛みしめ、瓦礫を拳で殴った。それでも藤丸の手が赤くなっただけで、瓦礫にヒビすら入らない。
「……せん、ぱい」
マシュが、か細い声を上げた。視線を向けると、彼女は懸命にこちらへ向かって手を伸ばしていた。
「手を、握ってもらって、いいですか?」
「……うん」
膝をつき、伸ばされた手を握りしめる。マシュは嬉しそうに目を細めた。ちりちりと、彼女や藤丸の身体が金の光に包まれ始めたような気がしたが、火の粉と混じってはっきり異変だとは気づかない。
「――ファーストオーダー、実証開始」
アナウンスのその言葉を最後に、二人の視界は金色に焼かれた。
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