八兆分の一の世界〜クリア・リング〜
(未来決戦編の経験がなく、地震も起きていないためシモンとのいざこざがなかった世界。※腐向け)



俺、沢田綱吉。並盛高校1年生になったばかりだ。
この黒いスーツでバッチリ決めた赤ん坊はリボーン。これでも、最強のヒットマンで俺の家庭教師だ。
「おい、ダメツナ。早くしねぇと遅刻すっぞ」
「ひえ!」
リボーンが見せた時計の針は、確かに始業時間が近いことを示している。俺は慌てて鞄を掴むと、階段を駆け下りた。
「あらツッくん、朝ごはんは?」と呑気に訊ねる母さんへ適当に返事をして、ダイニングテーブルから食パン一枚だけを摘まむ。そのままそれをくわえて、家を飛び出した。
「全く、高校生になっても成長しないヤツめ」
そうぼやきながら階段を下りるリボーンの声は耳に届いたが、返事をする余裕もなかった。
中学2年のときに突然リボーンが家にやってきた。それからというもの、俺の日常はハラハラとドキドキの連続。怪我をすることもたくさんあって、逃げ出したいときもあった。けど、得るものがなかったわけじゃない。獄寺くんや山本、ランボ、京子ちゃんにハル……たくさんの人と出会うことができたから。
(そして、あの人とも……)
ふ、と弛んだ口元に、ヒラリと何かが触れた。ペタリ、手を当てると指先にくっついていたのは薄桃色の花弁だった。
「あ、桜……」
珍しい、と俺は思わず足を止める。顔を回せば、見事な桜並木が川の土手沿いに植わっているのを見つけた。この辺りを取り仕切る彼が桜嫌いだから、という何とも滅茶苦茶な理由で、ここ数年並盛の桜の木は数を減らしていた。
(そう言えば、まだ今年は花見をしてないなぁ)
そんなことをぼんやり考えながら、俺は走っていた足を緩めて桜並木を眺める。
獄寺くんや山本、京子ちゃんたちを誘って、花見をしたい。……できれば彼も。桜が嫌いらしいから、無理かもしれない。
ふと、前方に黒い影を見つけた。俺は思わず足を止める。その姿を最後に見たのは、彼の卒業式。以来、学校が変わったから、すっかり見かけることは少なくなっていた。
「雲雀、さん……」
「やあ、小動物」
彼の肩から、黄色い鳥が飛び立つ。俺は思わず駆け出していた。
濡羽色の髪に、薄墨に輝く瞳。正規の制服が暗めの色のブレザーだから目立たないと思っているのか、相変わらず黒い上着を羽織っている。全身真っ黒な出で立ちなのに、とても桜が似合う人。本人は桜を嫌っているから、とても口には出せないが。
「どうしてここに……」
「ここは通学路だからね」
待っていてくれたのかな、俺を――なんて、少し都合の良いことを想像した。
雲雀恭弥、並盛高校2年生。噂では、高校でも変わらず風紀委員長としてその采配を存分に振るっているのだとか。
(できれば高校生活は穏便に過ごしたい……)
嫌な予感にキリキリ胃が痛むような心地がした。
ふと、雲雀さんの切れ長の瞳が、じっとこちらを見つめていることに気が付いた。何か、と問う前に、雲雀さんの指が俺の前髪に触れる。
「……!」
「……桜」
人差し指の脇腹で掬うように花弁を持ち上げ、それを払い落とす。その仕草も様になっていて、俺の胸はドキドキと高鳴った。
……いや、理由はそれだけじゃない。先ほど近づいた指と瞳に、とある風景を思い出してしまったからだ。
それは、雲雀さんの卒業式の日。同じように頬に触れた指の熱が、鮮やかによみがえる。
――答えは、君が高校に来たら、ね。
そう言って微笑んだ顔は、今でも鮮明に思い出せた。
「ひ、ひばり、さん!」
「始業時間が近いから、もう行くよ」
あの時の答えを、と裏返った声を出した俺を一刀両断して、雲雀さんはスタスタと歩き出した。思わず、拍子抜けする。少し先で立ち止まった雲雀さんは、動かない俺を肩越しに見やって、スラリとトンファーを取り出した。
「何、高校初日から遅刻する気?」
「滅相もございません!」
最強の風紀委員長は、高校でも健在でした。

「おはよう、ツナくん」
雲雀さんと共に昇降口の入り口をくぐったところで声をかけてきたのは、俺と同じ制服に身を包んだ炎真だ。傍らには、女子制服のアーデルハイトの姿もある。こちらを見やったアーデルハイトの眉間に、皺が寄せられた。それは恐らく、俺の隣に立つ雲雀さんも同じだろう。
そんな二人の様子に気づいていないらしい炎真は、ニコニコと微笑みながら俺の方に歩み寄る。
「今年も同じクラスだよね、よろしく」
「うん、よろしく」
俺がそう炎真に返事をしたとき、始業五分前を告げるチャイムが鳴った。俺の肩をポンと叩いて、雲雀さんは「早く教室へ行きな」と促す。雲雀さんと、あとアーデルハイトが足を動かそうとしていないことが少し気になったが、俺は頷いて、炎真と共に教室へ向かった。
俺はこのとき、まだ気づいていなかった。首から下げ、シャツの中にしまっていたリングから色と光が失われ、透明な石になっていることに。

◇◆◇

本鈴が鳴り、昇降口付近には人影がすっかりなくなる。それでもそこに留まるのは、この学校最強風紀委員長と、彼に対抗する粛清委員長。今何かしら用事があって昇降口を通ろうとする者が現れたとしても、二人の間に走る鋭い空気に委縮させられ、回り道をしてしまうだろう。それほど、その場の空気は冷えていた。
雲雀は腕を組み、トンと下駄箱に背を預けた。
「で、君の目的は何だい?」
「何のこと?」
質問を投げかけられたアーデルハイトは、ツンと澄ました顔で腰に手を当てる。
「僕は術士が嫌いなんだ。その分、気配にも敏感でね」
薄く口元へ笑みを乗せ、雲雀はチャキリと腕に構えたトンファーを見せる。
アーデルハイトはピクリと目の端を引きつらせた。暫し何かを考えるように雲雀を見つめていた彼女は、そっと顎を撫でた。口元がユルリと弧を描く。
「ヌフフ……」
紅ののった唇から漏れた、不気味な笑み。それと同時にインディコ色の妙な霧が出てきて、アーデルハイトの身体を包む。
チリチリと首筋の産毛が立ち上がるのを感じながら、雲雀はアーデルハイトの皮を脱ぎ捨てて姿を現した男に目を見張った。
「六道、骸……?」
いや、違う。雲雀は自らの口をついて出た言葉をすぐに否定した。よく似ているが、気配を読み取った自分の直感が違うと言っている。あの小動物ほどではないが、雲雀も己の直感の精度にはある程度の信頼をおいていた。
「こちらのあなたは初めまして、といったところでしょうか。――初代ボンゴレ霧の守護者、Dスペードです」
「!」
過去の人物を名乗った男。雲雀の視線が鋭くなる。雲雀の睨みを受けても、デイモンは怯んだ様子を見せずに肩を竦めた。
「どうもあなたは騙せないようですね。沢田綱吉の方が、幻術には敏感だと思っていましたが」
「彼にばれないように気を張っていたならご苦労様だね」
沢田綱吉が特に敏感に反応するのは、自分へ敵意を向ける幻術だ。しかしこれはどうやら、沢田綱吉に直接的な危害を加える様子は見せない。彼を取り巻く世界を構築しているため、成長途中の超直感は働かなかったのだろう。
「……で、亡霊が僕らに何の用だい? ご丁寧に広範囲な幻術まで用意して」
「幻術というより、広義では夢といったところですね」
幻術嫌いとは聞いていたが、彼はどこでこの世界を偽物と気づいたのか。デイモンが笑みを浮かべて訊ねると、雲雀は顔を歪めた。
「彼の側にべったり貼り付いていた番犬二匹がいない。代わりにいるもう一匹の小動物の並中に在籍していた記憶が、僕にはない。しかもその側にいる君の気配は明らかに幻術だった」
「成程……その辺りの違和感も抱かないようにしたつもりだったのですが……さすがですね、どの世界でもデーチモの雲の守護者は手ごわいようだ」
嘲るようなデイモンの笑みに、雲雀の腕がピクリと持ち上がりかける。仕込みトンファーの柄をギュッと握りしめ、雲雀は睨みつける力を緩めない。
「その呼ばれ方は嫌いだな。大体、その言い方だと他にも世界があるようじゃないか」
「おや、知識としてだけでも貴方は受け取っている筈だ。横の時間軸の存在とそこを襲った海を退けた時間軸の記憶を」
「!」
雲雀には、一つだけ思い当たることがある。ある日突然、とある人物の関係者の脳裏に落ちてきた、別世界の記憶。それは今雲雀が存在する時間軸を含めほぼ全ての世界を征服し、しかしただ一つの可能性を秘めた時間軸で倒された。
雲雀としてはあまり思い起こしたくない記憶である。何せ、この世界の雲雀自身では敵わなかったと推定された相手。そう断じただろう未来の自分も、パラレルワールドの自分も心底腹立たしい。
チリリと静電気のように紫の火花を撒き散らす雲雀を見て、デイモンは笑み混じりに肩を竦めた。
「それで、君の目的はなんだい? 武器を見せず、簡単に情報と正体を曝して、何を企んでいる?」
雲雀の睨みを受けても、デイモンは笑みを崩さず指で自分の顎を撫でている。
「そう警戒しないでいただきたい。嘘偽りなく、私は沢田綱吉やあなたへ危害を加えるつもりはないのです。古里炎真も含め、私は彼らを救いたいのですよ」
「救う……?」
デイモンの笑みが、ますます深くなる。雲雀の瞳に嫌悪の色が浮かび、トンファーを握る手が持ち上がった。
「彼らは実に対照的だと思いませんか?」
「何……」
「片や歴史ある一流マフィア、片や歴史に消えた弱小マフィア」
その明暗を分けた元凶はデイモンであるが、目の前にいるのは過去の記憶を与えられなかった雲雀恭弥。あの小動物もマフィアだったのか、と小さく呟く程度だ。わざわざ言葉にして説明する優しさを、デイモンは持ち合わせていない。
「そして一方はその素質がありながらも強大な力を拒んで平穏を望み、一方は家族を守るために力を望む」
「狂言師の芸を見るほど暇じゃないんだ」
「それは失敬。――私は思ったのです。この二人の宿命を入れ替えることで、彼らの望みは叶うのではないかと」
「は?」
思わず、雲雀は声を漏らした。思いもよらない言葉に口を開いてしまう。その表情を見てデイモンが「ヌフフ」と笑い声を漏らしたので、雲雀は慌てて唇を引き結んだ。
マフィア界で権威あるボンゴレファミリーのボスを古里炎真に。マフィア界の闇に消え、リングの力さえ知られなければ一般市民として生きる道もあるシモンファミリーのボスを沢田綱吉に。
「くだらない」
雲雀は一言で切り捨てた。
「絵空事だ。そんなこと、不可能……」
雲雀は言葉を切り、ヒクリと頬を引きつらせた。スッとデイモンを見据える瞳は、先ほどの睨みよりも冷たい色になっている。
「ええ、だから夢なのです」
視線だけで彼の言葉を察し、デイモンは「ヌフフ」と笑った。
つまりこの世界は全てデイモンの作った『夢』――本当の綱吉や雲雀、そして恐らく古里炎真という名の彼は、この夢に囚われて眠り続けているのだろう。
ギリリ、と噛みしめた雲雀の奥歯が音を立てた。
「……僕まで取り込んだわけは?」
「現実世界で余計なことをされても困る、というのが一つ。もう一つは……あなたなら、協力していただけるかと思ったのですよ」
見透かされている。だから幻術士は嫌いなのだ、人の心情を全て把握しているような顔をして、こちらを手の平で転がそうとしてくる。
「……君がもう一匹の小動物をどう思おうと勝手だが、僕を縛れるだなんて思わないことだ」
地を這うような声で呟き、雲雀は上着の裾を翻して廊下へ上がった。
今ここでデイモンを斃せば、夢の世界は終わるかもしれない。しかし、幻術士と名乗る輩が何の手も打たずに姿を現す筈がない。それよりも、教室へ向かった沢田綱吉の方が気がかりだった。
黒い学ランが消えた廊下を見やり、デイモンはポスリと下駄箱に背を付ける。
「……私も、あの猿芝居に騙されたいと思ったのですよ」
パラレルワールドの自分から唐突に送られた、戦いの記憶。仲間に化けて操った五流マフィアを使い、理想のボンゴレファミリーを築くために動いていた、もう一人の自分。彼は最期に、欲しかった『最愛の人の言葉』を聞いて自らを現世に留めていた執念を解いてしまった。それを全パラレルワールドの自分と共有したかったのか、同じように呪いというべき執念から解放したかったのか、真意はこのデイモンにも分からない。それでもデイモンはその記憶を受け取り、感情を共有してしまった。
故に、同情したのだ。望まぬ宿命に放り込まれた沢田綱吉と古里炎真に。そして、この世界の彼らには望む世界を与えたいと、思ってしまった。
「……雲雀恭弥、あなたと私は似ているところもあると思いませんか?」
雲雀が聞けば嫌悪し、否定するだろう。明確には、デイモンと雲雀では彼らへ抱いている感情が異なっている。それでも、広義的には同じ筈だ。
「あなたは沢田綱吉を、憎からず思っている筈ですから」
ポツリと誰も聞かない言葉を落とし、デイモンは目を閉じた。スルリと霧の炎で自身を包み、その場から姿を消した。
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