カランと、彼のグラスの中で溶け出した真ん丸な氷が、音を立てて揺れた。
艶々とした大きく丸い一粒氷は、ウイスキーの淡い琥珀色を透かして、その背後に広がる夜景の光を、グラスという小さな世界の中で乱反射させていた。
アレックスは言葉もなく、そのグラスの中の輝きを見つめていたが、ホウと一つ小さな溜息を吐いて、自分のカクテルグラスの中身を飲み干した。


「折角だし、キミの事を色々と話し聞かせてくれないか? カクテルが好きという事も含めて、私と別れた後のキミについて、知らない事がいっぱいあるようだしね。」
「そうね……。折角だから、貴方の事を先に話して欲しいわ。名前の事も含めて、私と付き合っていた頃からの貴方について、知らない事がいっぱいあり過ぎるもの。」


彼の瞳が、あからさまに驚きで見開かれた。
カクテルの件で開き直ったとはいえ、あの真面目で大人しいアレックスが、こうまで露骨に反論してくるとは思ってもいなかったのだろう。
だが、その戸惑いも束の間、彼は直ぐ、その秀麗な顔に柔らかな笑みを戻し、緩やかな巻毛の金髪を揺らした。


「で、私の何が聞きたい?」
「何でもよ。貴方が私に話さずにいた事、全部。」
「そう、なら……。」


言葉を止めると、彼はグラスの中身を一気に飲み干した。
トンと軽い音と共にテーブルに戻されたグラスの中で、真ん丸な氷がクルクルと回転し続けている。
底に薄く残ったウイスキーが、まるで夕方の海のようにアレックスの目に映った。
不思議と胸がキュッと締め付けられる。


「場所を変えよう。ココでは……、周りに人がいて、少しでも誰かに聞かれる可能性がある場所では、私の全ては話せないからね。」
「っ?!」


差し出す仕草はスマートに、極自然に。
でも、その手で差し出された『もの』が自然だとは、とても言えない。
それはゴールドに輝くカードキー。
多分、このホテルの一室の。


「ココなら誰に聞かれる心配もない。」
「ロディ、それ……。」


あらかじめ用意していたというのだろうか。
このような話の流れにならなかったかもしれないのに。
それ以前に、この約束自体、素っ放かされていたかもしれないのに。


「……二人きりになるのは嫌よ。」
「そう。なら、私は自分の事は話さないよ。いや、話せないという方が正しいかな。キミが聞かなくても、知らないままでいても良いと言うならば、このままココで飲み続けたって、私は構わない。」


選択権は彼女にあるように見えて、実際は彼の手の中だ。
アレックスがイエスと言おうと、ノーと言おうと、彼に損得は何もない。
寧ろ、ノーと言われた方が、彼にとっても都合が良いのではないだろうか。
恋人同士だった時ですら、本当の名前を伏せていたくらいなのだから、今更、根掘り葉掘り聞かれるのは願い下げである筈だ。


「そういう事……。体良く私を引き下がらせるための手段。そのために部屋を一室押さえるだなんて、随分と手の込んだ事をするものね。ズルい人。」
「フフッ。私は昔からズルい男だよ。知らなかった?」
「知らなかったわ。貴方は優しくて、気遣いが出来て、紳士だった。少なくとも、あの頃の私は、そう思っていた。」
「本来の性質を隠しているつもりはなかったんだけどね。……で、どうする?」


互いに目を合わさず、夜景を見つめて言葉を紡いでいた二人の視線が、その刹那に絡んだ。
誘いに乗るか、乗らないか。
全てを知るか、何も知らないまま終わるか。
今更、昔の恋人の秘密を知って何になるのかと、アレックスの心の奥で理性がブレーキのように囁く。
それでも、一度掻き立てられた興味というのは、そう簡単に拭い去れなかった。
初恋ともいえる相手、その人の全てを知らないまま終われば、一生、胸に消えないしこりが残るだろうと、アレックスには思えたから。


「……行くわ。」


目を合わせたまま、彼がニコリと微笑む。
促されるまま腰を上げ、彼の後に続いて進むアレックスの目には、席に残した空のカクテルグラスが、何処となく虚しく映っていた。





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