自動ドアが静かに、そして、滑らかに開き、ゆっくりと歩を進めるアレックスを招き入れた。
室内は眩し過ぎない柔らかな光に照らされ、そこに流れる時間はゆったりとしている。
東京でも有数のラグジュアリーホテルである『ホテル・グラードヒルズ』のロビーには、人に溢れた外の喧騒が嘘のように穏やかな空気が流れていた。


コツリとヒールの音を響かせ、ロビーへと足を踏み入れたアレックスは、真っ直ぐにエレベーターホールへと向かおうとして、だが、直ぐに足を止めた。
顎に手を当て、眉を寄せる、その表情には、深い躊躇いが浮かぶ。
薄手のコートの袖を捲り、確認する腕時計の時刻。
約束の二十時には、まだ十分も早い。


一方的に押し付けられた約束であるのに、指定の時間よりも早く来てしまった自分の律儀さに、アレックスは少しだけ嫌気が差した。
これは仕事の約束ではない、相手は昔の恋人だ。
こういった場合は、相手を待たせて、焦らせて、ヤキモキさせるべきだと、彼女も良く分かっている。
しかも、アレックスの都合も聞かずに、自分の都合だけで押し付けた無理矢理な逢瀬なのだ。
すっぽかされても文句は言えない状況なのだから、時間を守る必要なんて微塵もなかったのに。


だからと言って、この短い時間、僅か十分程度の時を潰す場所など、夜のホテル内にはない。
昼間であれば人の行き来も多いロビーも、今はひっそりとしていて薄暗く、そこに座っているだけで目立ってしまう。
しかも、日本人ではない外国人の彼女ならば余計に。
一旦、外に出るには短く、化粧室へ行ったところで、そんなに長くは時間を潰せそうにない。
アレックスは短く溜息を吐き、結局、止めた足を元通りに進めて、エレベーターホールへ向かった。


気が重い。
夜の街を見下ろしながら上るエレベーターの中で一人、ガラスに凭れて溜息を吐くアレックス。
今日、彼と再会してから、何度、溜息を吐いただろう。
帰宅時間を迎える頃には、同僚に「何かあったのですか?」と、気遣いの言葉まで掛けられてしまった。
これまで、悩みや不安を顔に出す事がなかったアレックスだけに、同僚達も心配になったようだ。


「いらっしゃいませ。」


だが、辿り着いた最上階のスカイラウンジ、その素晴らしい眺望に、アレックスは一瞬、憂鬱な気持ちを忘れた。
眼下に広がる光の景色は、まるで星々を散りばめた夜空のように目映い輝きを放って、視界の全てを埋め尽くしている。
東京という都市の広大さを見せつける如くに、光の海には果てが見えない。


「あの……、約束をしているのですが。アレックスと言います。」
「アレックス様、お待ちいたしておりました。こちらになります。」


キリリと丁寧で、それでいて、柔らかな物腰の店員の先導で、アレックスは店内を横切っていく。
昼の間は見晴らしの良い明るいティーサロンとして開かれている店内も、この時間は夜景の美しさを引き立てるために照明がギリギリまで落とされ、静かで穏やかな雰囲気が漂う大人のバーとなっていた。
景色を最大限に楽しめるよう窓に向けて設えられた席は、既に先客達の背で埋められている。
微妙な距離を保って寄り添う大人のカップル。
夜景を楽しみながら、ゆっくりグラスを傾ける年輩の男性。
女性同士、声を落として話し込む二人組。
そして……。


「良かった。約束通りに来てくれたね、アレックス。」
「…………。」


後ろ姿でありながら、その店に居る全ての人の視線を集める程に、美しさが溢れ出している彼。
アレックスは口を噤んだまま、彼のしなやかな指が示したスツールに、音を立てないよう静かに腰を下ろした。





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