その刹那、思考の海に溺れ掛けていたアイオリアの意識がフツリと途切れた。
原因は、直ぐ横にいたシュラが、突然、駆け出したからだ。
その動線を追って振り返ると、そこにはずっと探していた、その姿をこの瞳に捉えたいと切に願っていた愛しい人の姿があった。


――アシュリル……。


ざわめく胸の内側で、彼女の名前を叫んだ。
だが、勿論、それは実際の声にはならずに、アイオリアの唇からは、ただ細い溜息ばかりが零れ出る。
そして、彼の視界からは、彼女以外の全ての景色が消えた。
そこにあるのは、唯一つ、鮮明に映るアシュリルの姿と、ぼやけて霞む人の渦ばかり。


そんなアイオリアの視界の中、呆然と立ち尽くす彼女を、シュラがキツく抱き締めていた。
そんな二人から目が離せない。
いや、正確に言うと、抱き締めているシュラの姿すら霞み、その瞳に映るのはアシュリルだけ。
アイオリアは呼吸する事すら忘れ、ただジッと愛しい人を見つめ続けた。
この視界から、彼女の姿が消えないように願いながら。
彼女のいる世界を、地上の平和を守り抜こうと誓いながら。


そうしている内に、漸く状況を理解出来たのであろうアシュリルが、意思を持ってシュラの腕から抜け出そうと、軽くもがいたのが見えた。
そして、次の瞬間、目が合った。
息が止まりそうになった。


あの黒い瞳に、ずっと見つめられていたい。
今直ぐに駆け寄り、その華奢な身体をこの腕の中に閉じ込めたい。
それは許されざる望みなのだろうか?
今なら……、聖戦が終わりを告げた今なら、胸の奥に仕舞い込んでいた想いを打ち明けても構わないのではないか?


誰かに話し掛けられた気がしたが、アイオリアの耳には届いていなかった。
それ程までに、全神経がアシュリルへと集中していたのだ。
耳は彼女以外の声を聞かず、目は彼女以外の姿を映さない。
胸が……、酷く苦しい。


知らなかった。
これ程までに、彼女を愛していたなんて。
誰かを愛する事が、これほど切ないなんて。


伝えたい。
この胸いっぱいに膨らみ、溢れ出そうな想いを、今直ぐにも。
見つめる先にいる、美しい彼女へ。
漆黒の瞳で自分を見つめるアシュリルへと。


――だが……。


愛しい人は不意に顔を歪めると、肩に乗せられたシュラの手をぞんざいに払った。
そして、まるで全てを断ち切るが如く、その小さな背を向けて歩いていってしまった。
それと同時に、アイオリアの胸が痛い程に締め付けられ、心の中を暗闇が覆う。


やはり、この手を彼女へと伸ばしてはいけないのか……。
明日を約束出来ない自分が、彼女に触れる事は許されないのか……。


喜びに湧く女神像前の広場で、唯一人、激しい苦悶に顔を歪め、強く唇を噛むアイオリア。
この時、彼は出口の見えない恋の迷宮に、足を踏み入れようとしていた。



→第5話へ続く


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