一夜の吐息



「……行くな、アミリア。」


ドアノブに手を掛けようとした刹那、反対の手首を捉えられた。
手首を掴む手が異様に熱い。
ハッとして振り返ると同時に、掴まれた手首が強い力で引かれ、身体がバランスを失い傾いた。
すると、肌蹴たシャツの隙間から覗く逞しい胸板が、私の目の前に迫った。


「アミリア、行くな。」
「シュラ、様……。」


小さく囁かれた声も熱っぽく、掠れて響く様も色っぽい。
見上げれば、漆黒の宝石を思わせる妖しい輝きを帯びた瞳が、瞬きもせずにジッと私を見下ろしていた。
ゾワリ、背筋を走る艶かしい震え。
そして、私は返す言葉を失った。
豪華ホテルの広い部屋の入口、見つめ合う私達の呼吸音だけが響いた。



***



聖闘士の任務は、何も戦闘を伴うものばかりではない。
特に黄金聖闘士ともなれば、社交の場――世界各国の王室や政府が主体となって開かれるパーティー等に、聖域の代表として赴く事も少なくない。
教皇であるシオン様が聖域を離れる事は難しいため、本来ならば、補佐であるサガ様かアイオロス様が出席するのが妥当なのだろうが、サガ様はいつも執務に追われていて、幾ら社交性の高いアイオロス様といえど一人では対応しきれない。
そこで、黄金聖闘士様方が交代で、こういった席に顔を出す。


今回、某国で開かれた式典に出席する事となったシュラ様から、お声が掛かった時は、嘘ではないかと、一瞬、自分の耳を疑った。
パーティーによっては、パートナーを伴わなければいけない事もあり、特に決まったお相手のいない黄金聖闘士様には、その都度、女官の中から適当な相手を探したりする。
その国の出身の者、外国語に長けた者、人目を惹く美貌を持ち彼等の隣に並んでも見劣りしない者など。
でも私は、そのどれにも該当しなかったから、どうして自分がシュラ様のご指名を受けたのか、まるで分からなかった。


だが、理由を聞いたところで、教えてくれるような方でもない。
口の堅さと寡黙さでは聖域一と言われる山羊座様だ。
ならば、密かに想いを寄せていたシュラ様に選んで貰えたこの幸運を噛み締めて、夢のような一日を満喫しよう。
女の子にとって特別な『バレンタインデー』という日に、女神様が下さった夢。
そう思って臨んだ式典だった。


今日一日、私は彼の隣に身を置き、それだけで胸の高鳴りが止まらなかった。
シュラ様が私の手を取ってエスコートしてくれる度に。
隣に座るシュラ様が小さく身動ぎするのに合わせて、腕と腕が擦れる度に。
時折、シュラ様の唇から漏れる小さな呼吸の音さえも、胸が早鐘を打つ要因へと繋がった。





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