花の香の誘惑



お風呂上りの、何処かまったりとしたひと時。
鏡の前に座っていた私は、ゆっくりと時間を掛けて、お湯に火照った肌を手入れしていた。
バスラインを変えると、何故だか気分もガラリと変わる。
今日から新しく使い始めたシャワージェルの香りに包まれ、私の心も御機嫌で。
無意識に小声で歌など口ずさんでは、鏡の中の自分に微笑んだりしていた。


不意に、鏡の片隅を鮮やかな波が横切る。
仄かな薔薇の香りを風に乗せて近付いてきた彼は、柔らかな髪の毛を肩で揺らし、私の後ろでそっと身を屈めた。


「シャンプーを変えたのかい、アイリス? 良い香りだ。」
「シャンプーじゃないわ、シャワージェルよ。」


背後から腕を回し、まだ乾ききっていない私の髪に顔を埋めたアフロディーテは、更に身を屈めて髪から首筋へと鼻先を滑らせる。
しっかりと首を隠していた後ろ髪を掻き分け、無防備な肌へと触れた唇の感触に、私はもう慣れたようで、まだ慣れてはいなくて。
思わずビクリと揺れた身体。
どんなに小さくとも、その反応に気付いていない筈はないのに、アフロディーテは執拗に首筋に鼻を滑らせた後、ゆっくりと上体を戻して、私の肩に両手を置いた。
鏡越しに出会った瞳は、楽しげに細められている。


「それ、『SAKURA』? あぁ、日本の桜だね。」
「うん、これはボディミルク。シャワージェルとセットで、故郷のお友達が送ってくれたの。」


鏡の前に置いてあったボトルは、優しい桃色をベースに小さな桜が舞うデザイン。
満開に咲く、あの美しい桜の風景を思い出させる、どこか郷愁を誘う見た目と香り。
良くある花の香りとは明らかに違う、何が違うのかと問われても上手く説明出来ないけれど、それはお香などとはまた別の、柔らかな『和』の香り。
甘くてほんわりとしているのに、しっかりと残る独特な。


「でも、ずっと使わずに置いてあったのよね。何だかアフロディーテに悪い気がして。」
「どうして? 悪い事なんて、何もないのに。」
「だって、薔薇以外の花の香りを、ココに持ち込んで良いのかなって……。気を悪くするかもしれないとか、色々考えちゃった。」
「キミは気を遣い過ぎだよ、アイリス。ほら、こんなに良い香りだ。」


そう言って再び身を屈めたアフロディーテは、首筋に小さなキスを落とす。
そして、あまりの素早い行動に反応すら出来ずに、ただ呆然と鏡の中の彼を見つめていた私に向かって、彼は艶やかでありながら、どこか悪戯な笑みを向けてみせた。
髪の奥に隠れた首筋が熱い。
唇が触れた、その一点から、全身へと急速に熱が広がっていく感覚に、私の胸がトクントクンと大きな音を立てて鳴り出した。


「今夜、一緒に眠ったら、明日の朝には私の身体も桜の香りに包まれてそうだ。キミからの移り香でね。」
「まさか……。」
「分からないよ、試してみなきゃ。」


チラリ、アフロディーテが投げた視線の先には、薄いレースの天蓋が揺れる広く柔らかなベッド。
ジワジワと全身に広がりつつあった熱が、その視線一つで、カッと一気に燃え上がった。
目眩と同時に、込み上げる高揚感。
そして、止まらない胸の高鳴り。
余裕いっぱいに微笑む傍らのアフロディーテに、心も胸の中も、私は何もかもをグジャグジャにされて翻弄されている。


「試してみようか、アイリス?」
「でも……。」


試してみる必要もないと、本当は分かっている。
彼も私も。
今夜、初めて使い始めたバスラインの香り如きに、その身に染み付いた彼の薔薇の香が負けるなどありえないのだから。


そう、それは誘惑の言葉。
極上の誘い文句で、私との熱い夜を演出するアフロディーテの確信犯的な甘い罠。
ねぇ、アフロディーテ。
これ以上、私を虜にして、どうするつもり?



花蜜に惑うのは、私? 貴方?



「ほら、アイリス。おいで。」
「……アフロディーテ。」


背を向けて歩き出した彼は、私の視線を釘付けにして。
そうと分かっていながら、見せ付けるようにバスローブを脱ぎ捨てる。
ゆっくりと艶かしく、それでいて堂々と。


「おいで……。」


ゆったりとベッドに横たわったアフロディーテが、私に向かって優雅に手招きをする。
鏡の前で呆然と固まっていた私の身体が、操り人形のように引き寄せられていくのを意識の向こう側で感じていながら、それを止める事など出来なかった。
そう、結果が分かっているとしても、どうしても試さずにはいられなかったから。


同じようにゆっくりと扇情的にバスローブを脱ぎ捨て、彼のいるベッドへと歩み寄る。
情熱的に視線を絡み合わせたまま、私は白く波打つシーツの上へと膝を滑らせた。
アフロディーテの香りが、この身体全てを覆い尽くす熱く甘い瞬間へと向かって。



‐end‐





リアルにバスラインを『桜』に変えてみたところ、ふと浮んだお話です。
お魚様と移り香合戦。
どう考えても負けが決まってます(笑)
勿論、それは口実で、素敵なベッドシチュを演出した上で、結局は彼女を自分の香りに染め替える、そんな独占欲の塊なお魚さん萌え! だったりします。

2010.07.05



- 1/1 -
prev | next

目次頁へ戻る

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -