静かな夜の始まりに



「今夜も、お仕事なんですね? サガ様。」


不意に背後から聞こえた声に顔を上げると、扉の前に一人の女官が佇んでいた。
整った顔に微かに浮かべた微笑み、穏やかな声。
節電のためにと私の手元を照らすライト以外は全て消してある薄暗い執務室の中、開け放したドアの向こうから差し込んでくる廊下の明かりに浮かび上がったアイリスの姿は、まるで天から遣わされた聖女のようだった。


「こんな日まで、残業だなんて……。そんなにお忙しいのですか?」
「クリスマスイブと言っても、仕事が減る訳ではないからな。」


こんな夜だからか?
アイリスの姿が聖女に見えるなんて。
だが、部屋の中に入ってきた彼女がドアを閉めると、そこは元の薄暗いだけの執務室に戻る。
一瞬だけ感じられた神聖さは、途端に幻の如く消え去った。


「どうぞ。」
「すまんな。ありがとう、アイリス。」


私の方へと近寄ってきた彼女が、カチャリと小さな音を立てて、白いカップをデスクに置く。
温かな湯気を立ち上らせたそれは、コーヒーでも紅茶でもなく、美味しそうな薄い黄色がゆっくりと円を描いて揺れるコーンスープだった。
予想外の差し入れに思わず、目の前に佇む彼女を見上げれば、薄っすらと頬を赤らめて俯く姿が、楚々としていてしとやかで。
普段は、大勢いる女官の一人と気にも掛けなかったのが、急にアイリスに心惹かれていくのが自分でも分かる。


「そろそろお腹も空く頃かと思いまして。余計なお世話でしたでしょうか?」
「いや、そんな事はない。良く気が利くな、アイリスは。」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます。」


自己主張しない、控え目な性格なのだな、彼女は。
だから、今まで大勢の女官達の中で、取り立てて目を惹かなかった訳か。
私は手元に置かれたカップを持ち上げると、その温かなスープをコクッとひと口、飲み込んだ。
喉を通って身体に流れ込んでいく熱い液体の感覚が、とても心地良い。
カップを置くと、自然とアイリスに向かって笑みを浮かべてしまう程に。


「お仕事、何かお手伝い出来る事はありませんか?」
「いや、大丈夫だ。スープの差し入れだけで、十分だよ。」
「でも、折角の――。」
「そうだな。折角のクリスマスイブなのだから、アイリスも早く帰れる方が良いだろう?」


途端に彼女の顔が曇る。
きっとアイリスにも帰りを待っている家族や恋人が居る筈だ。
だからこそ、良かれと思って言った言葉が、だが、彼女の機嫌を損ねてしまったようだった。


「折角のクリスマスイブなのは、サガ様も同じではありませんか? だったら、サガ様ばかり執務に没頭しているのはおかしいかと……。今日という日、サガ様も、他の皆様も、平等に楽しむべきです。」


驚いた。
つい先程までは、控え目で大人しい女官だと思っていたのに、私に対してこんなにもハッキリと意見を言えるとは……。
私が驚きで見開いた目を向けて、ポカンとアイリスを見つめていたからだろう。
それに気付いた彼女は、ハッとして深々と頭を下げた。


「す、すみません! 差し出がましい事を!」
「頭を上げてくれ。気にしなくて良い。」


確かに、アイリスの言う通りだ。
今日は折角のクリスマスイブだからと、私は他の黄金聖闘士達も女官達も、残業させずに早目に返した。
なのに、その私だけが例外というのも、少しおかしい気がする。


「だが、残念な事に、早く帰ったところで、私には共に過ごす家族も恋人もいない。」


カノンは今頃、海界で恋人と過ごしている事だろう。
双児宮へ戻ったところで、誰も居ない。
大きな部屋は冷たく寒々として、ただ寂しいだけだ。
これは、ずっと仕事にだけ没頭していた事に対するツケが、ココにきて現れたという事かもしれない。


「あの……。私も、です。サガ様。私にも共に過ごす人など……。」
「アイリスも? そうか。ならば、ココで二人で過ごすイブというのも、悪くはないかもしれないな。」
「サガ様……?」
「嫌か?」
「いえ……、嬉しいです。とても。」


俯き顔を隠したアイリスが見せた、はにかんだ微笑み。
赤く染まった顔に浮かんだ、その笑顔を見れただけで、今夜は最高の収獲を得たと思えた。



窓の外は雪
だが、心の中はとても暖かで



始まりは静かな夜。
聖なる夜に心が通じ合えた奇跡に、感謝の祈りを……。



‐end‐





恋愛未満で、聖なる夜に始まる恋のお話です。
サガのスランプを克服出来ればと思い書きました。
偽者臭いとか言わないで下さい(笑)
あと、聖域は人里離れた山奥だから、ギリシャでもきっと雪が降るとか勝手な捏造してます(苦笑)

2008.12.21



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