おまじない



「どうしたのです、アイリス?」


慣れない雰囲気に、全身を硬直させて座っていた私の背後から掛かった、穏やかな声。
いつもと同じ柔らかなトーンに、ホッと安堵の息を吐いた私だったけれど。
振り返り見た彼の姿に、私は再び身を硬くしていた。
あまりにも煌びやかで眩しく、そして、厳かな、その姿。


「アイリス、肩に力が入ってますよ。」
「だって……。」
「何をそんなに緊張する必要があるのです?」


そうは言っても、この場所。
それに、この雰囲気、堂々とした彼の姿。
初めて目の当たりにする黄金聖衣は、こんなにも迫力のあるものなのかと、その威圧感に圧倒されるばかりだ。


「そんなに物珍しいですか、この姿が?」
「それは、勿論……。」


黄金聖闘士だという事は、彼の口から聞いてはいたけれど。
何処か夢のような、遠い世界の話だと感じていた。
実感がなかったというのか、自分の恋人である人の事なのに、自分には、まるで関係ない話であると思ってしまっていた。


それが、今、こうして聖域に足を踏み入れ、厳粛な教皇宮の静かな客間に通されて。
更には、恋人の彼が黄金聖衣を身に着けて現れたのだから、戸惑わない筈はない。


「ムウは……、本当に黄金聖闘士なのね。」
「今更、何を言っているのです、アイリス。前から何度も話をしているでしょう。」
「でも、話を聞いていたって、全然、現実味が感じられなくて……。」


やれやれ困った人だ。
そう言いたげに溜息を吐くと、彼は私の横に跪いた。
私の顔を下から覗き込むように見上げる彼の瞳は、これが本当に死地を抜け、大きな戦いを越えてきた人の目であるのかと思える程に、穏やかで柔らかな光を宿している。
なんて綺麗な瞳。
何度となく目と目を合わせて愛を語り合った相手でありながら、こうして今でも、光輝くその瞳の色に、息を飲んでしまう。


「やはり、こういう場所は緊張しますか?」
「場所もそうだけど、シチュエーションも、ね。」
「少しの辛抱です。アテナは、それこそ包容力の塊のような方ですから、姿を現した瞬間に、アイリスの緊張も消えてなくなりますよ。」
「そう、なの?」
「えぇ。」


彼のたっての願いで、この聖域で暮らす事になった私。
ただ、聖域入りするに当たり、流石に、そのまま白羊宮に入れば良いという事にはならなくて。
こうしてアテナ様へ謁見、つまりは、ご挨拶を済ませなければならないという、大事な関門が待ち構えている。


「何だか、ご両親への挨拶に来たみたいで……。というか、それ以上? だって、相手はムウの仕える女神様なんだもの。緊張するなと言われても……。」
「女神といっても、極普通の少女です。アイリスが緊張するような事は何もありませんよ。」


そう言って、彼は優しくゆっくり頭を撫でてくれるけれど。
一度、緊張に凝り固まった身体も心も、そう簡単には解れないもの。


「困った人ですね。アイリスが、どうしても緊張が解けないと言うのなら、一つおまじないをしてみましょうか。」
「おまじない?」
「えぇ。身体の力が楽に抜けて、リラックス出来るようになる、そんなおまじないです。」


言うが早いか、彼の手が私の額に掛かる前髪を、そっと手で掻き上げた。
呆然としてる間に施されたのは、思わず顔が真っ赤に染まってしまうようなもの。
この額に熱く押し付けられた、柔らかな彼の唇。


「あ、あの……。ムウ?」
「どうです? 少しは楽になりましたか?」
「えっと……。」


額に残る、熱いキスの感触。
目の前に見つめる彼の穏やかな微笑が、何処か悪戯っぽく見えたのは、気のせいなのか。
それとも気のせいではないのか。
もう一度、クシャッと頭を撫でられて、結局、それは聞けず終いになってしまった。



優しさと、秘めた情熱と



アテナ様への謁見が終わり、白羊宮へと向かう道すがら。
目を弧にして微笑む彼が、「頑張った貴女には、今晩たっぷりとご褒美をあげましょう。」と、そっと耳元に囁いた時。
あぁ、あの悪戯っぽい笑みは、やっぱり気のせいではなかったんだわと、そう思った。



‐end‐





ムウさま、Ω登場おめでとう記念(回想だったけどw)
ムウさま書いたのって、サイト開設直後以来な気がします(汗)
優しい紳士なムウさまにしようと思ったのに、やっぱり最後は腹黒っぽくなってしまうのは、どうしようもないのでしょうか(苦笑)

2013.10.06



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