夜にたゆたう



時計を見ると、もう夜の八時を越えていた。
何としてでも、今日中に仕上げてしまいたい。
そう思って書類と格闘している内に、いつの間にか夢中になっていたらしい。
食事どころか、水を飲む事すら忘れていた身体は、仕事を終えると同時に空腹を訴えて、お腹がグーと大きく音を鳴らした。


「明日も早いし、急いで帰らなくちゃ。」


一人ごちて、帰路に着く。
人気のない神殿を抜けて外へと出れば、世界は胸が痛くなる程の静けさに満ちていた。
何気なく見上げた空にあるのは、暗い夜の色を映した深い海の層。
深呼吸して吸い込む息は、相変わらず重い。
海底の夜は、いつも淋しくて切ない。
そう思うのは、私だけだろうか。


「ココじゃ、星も見えない事だし……。」
「星が見たいのか、アミリ?」


突然、背後から聞こえた声にハッとした。
この静寂の中、足音も、気配すらもなく、こんな傍まで近寄ってくるなんて。
それでも振り返らずに上空の海を眺め続けていたのは、その声と、フワリと漂う香りで、その人が誰であるかを理解していたから。


「たまには、見たいです。」
「そうか。」


後の会話は続かず、私はそのまま上を見ていた。
ゆらりゆらりと揺れる暗い夜の海は、何とも言えず淋しげで。
時折、波の間を縫って差し込む月光だけが、この夜の海底世界の僅かな道標(ミチシルベ)となる。
石畳に差す揺れる月光は、地上にいた頃の景色を思い出させる微かな名残のようで。
私は今にも消え入りそうな、その光に手を伸ばした。


この海底世界に来た当初は、天候や季節の変化に影響されない、ココでの暮らしが、大層、便利だと喜んでさえいた。
気温の変化もあまりなく、雨に降られる事もなく。
だけど、変わらぬ季節の中にいて、心を襲うのは、徐々に大きくなりつつある望郷の念。
あると厄介としか思えない天候の変化も、それがないと何処か味気なく、寂しさすら覚える不思議。


それに、星。
星が見えないのが、何よりも淋しい。
黒い夜空にキラキラと煌めく、あの星達を眺めている時の高揚感。
あのドキドキと胸を高鳴らせながら見上げた星空の美しさは、どんなものにも代え難いもの。


「ココで生きると決めたのなら、仕方ない事だ。」
「カノン様……。」
「親兄弟も、友人も、故郷も。地上の生活の全てを捨てて、ココへ来た。それはお前が選択した事だ、アミリ。もう後へは退けん。」


分かっている、貴方に言われなくても。
私は選んだ、一人、ココへと来る事も。
ココで、一生を終える事も。
それも全て、自分で選んだ事。


「なら、後悔などするな。未練は捨てろ。」
「ですが、懐かしく思い返すくらいは、自由なのではないですか?」
「そんなもの、辛くなるだけだ。」


ぶっきら棒に言い放つ口調は、何処までも冷たい。
でも、それは彼の本質ではなく、一人、ココで生きてきた孤独な毎日の中で身に纏った、見せ掛けだけのベール。
だって、私は知っているから。
その鎧の奥に隠した彼の真の姿は、この身を蕩かす程に情熱的だという事を。


「来い、アミリ。」
「カノン、様……?」
「俺に付いて来い。忘れさせてやる、そんな郷愁など。」


伸ばされた手に、躊躇いなく自分の手を重ねて、引き摺られるように歩き出す。
向かう先は、きっと一つ。
そう思うと、キュッと切なく締め付けられる胸の鼓動は、星空のロマンよりも深く大きな期待に包まれるの。
だから、繋いだ手の温もりが、何よりも嬉しいのだと、今は思えた。



貴方に溺れる、深海の夜



もう二度と、あの星空を見れなくても構わない。
私は、もっとずっと輝く未来を、彼の傍で見つけたのだから。



‐end‐





ちょっとクールで硬派(に見せ掛けて、中身は情熱的)なノンたんを目指して、見事に撃沈orz
カノンらしさは、一体、何処に??
やはり私に双子はハードルが高いのか、むむむ……。

2012.09.27



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