月が消えた新月の夜だった。
真っ暗な夜空に星は無数に輝いていたけれども、そこに月はなかった。
「アイオロス。ねぇ、待って、アイオロス!」
私はグイグイと強引に手を引かれ、よろけながら階段を上っていた。
だが、私の手首をしっかりと掴んだアイオロスは、振り返りもしなければ、速度を緩める事もしない。
ズカズカと階段を上り続ける彼の大きな背中を見ながら、私は必死で足を動かすしかなかった。
「ねぇ、アイオロス。一体、何なの? 何処に連れて行く気?」
何度目か分からない抗議の声を投げ掛けた時、やっとアイオロスの足が止まった。
気付けば人馬宮の入口まで来ていた事を知り、いつの間に、ココまで上ったのだろうと僅かに驚く。
おもむろに振り返った彼は、いつものアイオロスとは別人の暗い瞳を向けて、私を真っ直ぐに見た。
何故だか分からないけれど、その視線を受けた私は、身動き一つ、出来なくなった。
「な、に……? アイオロス、何をする気なの?」
「何って、今からアナベルを、『俺だけのもの』にするんだ。」
「……え?」
瞳の奥には、暗い暗い翳り。
これが、あの太陽のように明るいアイオロスかと思う程に、その翳りは濃かった。
幼い頃、私はアイオロスを兄のように慕っていた。
いや、違う。
幼いながらも、私は真剣にアイオロスの事を想っていた、好きだった。
だけど、彼はある日、突然、帰らぬ人となり、私の中にポッカリと出来た大きな穴。
その空虚な心を埋めてくれたのが、アイオリアだった。
大切な人を失った私達は、寄り添い合って長い年月を支え合ってきた。
それがいつしか恋心となり、私達は一年前から、恋人として共に過ごすようになっていた。
それから、アイオリアは一度は私の傍からいなくなったけれど、彼はまた戻って来てくれた。
以前のように、傍で共に支え合う日々が戻るのだと、そう信じていたのに……。
運命は残酷だ。
アイオリアが戻ってきたその時、アイオロスもまた、私達の元へと戻って来たのだから。
あまりに複雑な状況に、私達は激しく混乱した。
私も、アイオリアも。
そして、アイオロスも。
「知っているよ。アナベルがまだ、ちゃんとアイオリアのものになっていない事くらい。」
「なっ?! ど、どうして……。」
「少し前に、アイオリアが零したんだ。付き合ってから一年も経ってるのに、まだキス以上はしていないって。」
「……。」
私とアイオリアの間には、常に見えない壁のような物があった。
いつも意識の片隅に、亡きアイオロスの事が残っていて。
それが、私達の足枷となり、なかなか前に進む事が出来ないでいた。
そんな状態を続けていた私達の前に、最悪のタイミングで戻ってきたアイオロス。
平常心のまま過ごしていくのが困難になった私達は、いつまでも足踏みを続けていたままだった。
「どうして前に進めないのか? その理由は分かっているよね。」
「……。」
「アナベルの心の奥にある本心は、まだ俺を愛しているから。そうだろう?」
「ちっ、違うわ!」
私は自棄になって、首をブンブンと左右に振った。
その勢いで、アイオロスが掴んだまま離さない手首も、強く振った。
離れてしまえば逃げられる。
この息の詰まる陰鬱な空間から逃げられる。
「無駄だよ。この手は絶対に離さないから。」
「アイオロス……。」
彼の瞳に翳りが増す。
暗い暗い瞳は、この月の出ていない真っ黒な夜空と同じだけ暗かった。
「決めたんだ、アイオリアには返さない。俺だけのものにするってね。」
「や、だ……。止めて。お願い、アイオロス。」
だが、そんな抵抗など、彼にとってはあって無きに等しい。
更に言えば、私が拒絶すればする程、彼の嗜虐的な心を煽り、余計に彼に火を点けた。
強引に唇を重ねて言葉を奪い、戸惑いで動きの止まった私を抱え上げ、抵抗する間もなくプライベートルームの中へと連れ込む。
ベッドに組み伏せられた後は、あっという間の出来事だった。
目眩の嵐の中で、深く刻まれるアイオロスの全て。
あまりの出来事に混乱する心とは裏腹に、身体は次第に彼で満たされていく。
何度も何度も奪われ愛されて、私は信じられない程の喜びを知った。
初めての行為は、恋人であるアイオリアとは別の人。
そして、その人は彼の兄であり、以前に愛していた人であり、今も心の奥底で愛し続けている人。
その背徳的な行いが、より深い快楽をもたらしているのだと、初めての私でも容易に分かる。
だが、知ってしまえば止められなくて、私はアイオロスに望まれるままに、何度も彼に抱かれた。
夜に隠れた月だけが知っている、この恋の行方を……
もう後戻りなど出来ない。
私は、いや私達は、これから何処へ向かうのか?
いずれにしても、穏やかではない、暴風雨のような未来が待っているのだと、アイオロスの身体に激しく揺さ振られながら、意識の片隅で思った。
‐end‐
(エ)ロス兄さんは、ついに弟の恋人にまで手を出してしまいました(滝汗)
良いのでしょうか、こんな真っ黒(エ)ロス兄さんで……。
この後、ヒロインを巡って、兄弟対決が勃発するんだろうなぁ、きっと(遠い目)
2008.05.07
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