甘えても良いですか



嘘だと思いたかった。
私が見た光景は悪い夢か何かで、現実の事だとは思いたくなかった。
でも、夢か幻だと思い込もうとしても、何をどう足掻いても、それが現実である事には変わりない。
その場を全速力で走り去って、脇目も振らずに走って走って走って。
最初は自分を裏切ったあの人に対しての湧き上がる怒りでいっぱいだった胸が、十二宮の階段に差し掛かる頃には、悔しさと切なさに埋め尽くされ、自分でも知らぬ間に大粒の涙が零れていた。


「何でっ! なん、で……。」


もう考える事を止めようと思っても、内側から沸々と湧き上がっては痛みと悔しさに頭が混乱する。
そして、混乱した分だけ訳も分からず涙が溢れ、目の前の視界をぼやけさせた。


「オッと……!」
「す、すみません!ご めんなさい!」
「あ? ちょっ、オマエ! 待てや!」


視界の悪さから、階段の途中でぶつかってしまった誰かに反射的に頭を下げて、慌てて階段を駆け下りる。
それが例え誰であっても、こんなヒドい顔は見せられないし、見せたくないし。
それに、どうして泣いているのかって、追求されるのがもっと嫌だったから。
でも、私のそんな思いも知らないで、その人は走り去ろうとしていた私の腕をグッと掴んで捉えた。
自然、私は捉えられた腕だけを残し、身体は階段の方に向かって前のめりに傾く。


「きゃっ!」
「っと……。大丈夫か、アリア?」


でこの声……、デスマスク様っ?!
やだ、よりにもよって、何でデスマスク様なの?
今、ココで一番、会いたくない人だったのに……。


「オマエ、それ……。ふ〜ん。」
「あ、あの……、手を離して頂けますか?」


あ、何か言われるかな?
それとも、何か聞かれるかも。
出来れば誰にも見つからないところで、思いっきり泣いてスッキリしちゃいたいと思ってたのに。
この最悪の状況で、一番、誤魔化しが効かないだろう人に出くわしちゃうなんて、私はついてない。


「手か? あぁ、離してやってもイイが、その代わり、しっかり掴まってろよ。」
「……へ? それは、どういう――、って。ちょっと、えぇっ?!」
「落ちるンじゃねぇぞっ、アリア!」


訳も分からぬ内にデスマスク様の腕に抱き上げられたかと思えば、次の瞬間には、凄まじい圧力が身体を襲う。
目は開けている筈なのに、周りの景色が全く捉えられない。
何事が起きたのか、まるで理解出来ずに、私はただ必死でデスマスク様にしがみ付いた。


そして、ハッと気付く。
デスマスク様が私を抱き上げたまま、物凄い速さで走っているんだって事。
勿論、光速ではないとしても、普通の人間である私からしたら有り得ない速さで。
ロクに景色も見れないし、全身に打ち付ける風がビシビシと痛い。


でも……。


でも、途中から妙に楽しくなってきた。
何だか分からないけど、今、自分の置かれている状況が面白く感じてきて。
何より黄金聖闘士様に抱きかかえられて、こんな滅多に体験出来ないスピードを味わっている事が、ホンのちょっぴり嬉しい訳で。
私はいつの間にか、泣いていた事すら忘れていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。」
「よっと、着いたぜ。お疲れさん。」
「ココは……?」


一体、何処まで走って来たのだろう?
真下に美しく青い海が見下ろせる崖で、私はデスマスク様の腕から、ゆっくりと降ろされた。


「どうだ、アリア? 少しは気分転換になったろ?」
「え? あ、はい。あの……。」
「んー?」


私を降ろしたデスマスク様は、まるでちょっと散歩にでも来た人みたいに、私に背を向けて崖の縁に座った。
そして、取り出した煙草に火を点けて、青い空に向けて煙を吐き出す。
風に吹かれて揺れる彼の銀の髪と、白いシャツの後ろ姿が、やけに眩しくこの目に映る。
何も聞かず、何も言わず、何事もなかったように振る舞う態度が、余計に私の心を擽った。


「どうして、ですか?」
「そりゃ、オマエ。他人に聞かれたくない事だってあンだろ? 俺はアリアが沈んでたみてぇだったから、気分転換に走ってみた。そンだけだ。」


私の方を振り返りもせずに、煙草を挟んだ手とは反対の手を上げてみせただけ。
それは単なる気紛れなのか、それともデスマスク様の優しさなのか……。


うぅん、どちらでも良い。
今は彼に甘えたいと思った。
いつもは、ただふてぶてしいだけのその背中に寄り添って、甘えたいと思った。



一時の安らぎを下さい、貴方の傍で



何も言わず、黙ってデスマスク様の隣に座った私は、そのまま彼の肩に頭を預けた。
そっと私の肩を抱き寄せてくれる彼の、その手の強さが優しかった。
目の前に広がる海の青さが、いつもよりずっとずっと綺麗だった。



‐end‐





何となく無性に書きたくなった蟹さま。
優しい言葉とか、励ましの言葉とか、そんな事は絶対に言わないけど、でも、蟹さまなりに気を使って、遠回しに慰めてくれたら良いなとか、そんな妄想の形がコレです(笑)
ちなみにヒロインさんは、恋人の浮気現場(多分、教皇宮の隅っこ辺りでのキスシーンとか)を目撃してしまったという無理矢理な設定です(苦笑)

2009.07.05



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