ナルドワイン



「もう、行ってしまうの?」


見上げる先には彼――、『デス(死神)』と名乗る男性の、朝陽に照らされた後ろ姿があった。
気味悪い程に真っ白な、それでいて、息を飲む程に逞しい、その背中。
その美しいとすら言える見事な身体が、真っ黒なシャツに覆われてしまうのを、私は至極残念な気持ちで眺めていた。


「ンだよ。随分と名残惜しそうじゃねぇか、アリア。日付変わるまでは、死にてぇとかホザいてたクセに。」
「その気を無くさせたのは、誰よ。」
「さぁ、誰だろな?」


バスルームから出てきた彼は、直ぐにキビキビと着替えを進める。
これは成り行き任せの情事だもの、後ろ髪を引かれる思いなど、これっぽっちもないのは当たり前。
なのに、不思議と寂しさが募る。
ガチャリとベルトの金具が鳴った、その余りに無機質な音に、苛立ちすら覚える私は、一体、どうしてしまったというのか。


出会ったのは、昨夜、日付の変わる一時間程前の事。
私は死のうとしていた、ビルの屋上から飛び降りて。
なのに、いつの間にか気配すら感じさせずに背後に現れた『デス』に、止められたのだ。
止められたと言うか、説得されてしまったと言うか。


「オマエねぇ。どうせ死ぬンなら、もうちっと時と場所を選べ。真下を見ろ。この人通りの多さだ。オマエが落ちたら、巻き添え食って死ぬヤツがいるかもしンねぇだろ。」
「し、知らないわよ、そんなの!」


私は今から死ぬんだから、誰が巻き添えになろうと知ったこっちゃない。
だが、そんな私の考えなどお見通しなのか、ニヤリと口角を上げて笑った彼が、畳み込むように言葉を紡いでいく。


「オマエはどうでもイイかもしンねぇが、残された家族はエラい目に遭うンだろうぜ。周囲からは責められ、一生、爪弾きだ。」
「だ、だったら、どうやって死ねば良いって言うのよ!」
「俺が死なせてやるよ。」
「っ?!」


一瞬、耳を疑った。
自ら進んで殺人者になる?
何を馬鹿な事を言っているのか。
私を引き留めるために、口から出任せを並べているとしか思えない。


「信じねぇのか? 俺は一瞬で命を奪える力を持ってる。痛みはない。死んだ事すら理解出来ねぇ。そんな呆気ない死だ。しかも、何の痕跡も残らないが故に、俺は容疑すら受けない。死にたいヤツにはもってこいさ。」
「そ、そんな力なんて、ある訳ないわ……。」
「なら、見せてやろうか?」


――パチンッ!


指を鳴らした刹那、彼の背後に広がったのは、陰鬱な白黒の世界。
荒廃した薄気味の悪い岩場が続き、そこをゆっくりと進むアレは、何?


「聞かなくても分かンだろ。」
「死人の、魂……?」
「正解だ。」


その映像は、あまりにリアルで。
言葉だけでは理解出来なかった、否、理解を拒んでいた私に『死』という『真実』を突き付けたのだ。
彼が、偽りなく『死神』なのだという事も。


「一杯、付き合えよ。死ぬのは、それからでも遅くはねぇだろ? ああっと……、オマエの名前、何?」
「……アリア。アリアっていうの。」
「そうか、アリア。オマエ、凄ぇツイてるぜ。最後に、この俺と酒を酌み交わせるンだからな。」


そう言って、偶然なのか、手にしていたワイン瓶に口付けをしたデス。
私達以外は誰もいない屋上に響いた、チュッというリップ音が、ヤケに艶っぽく聞こえた。


「そこから、何がどうなって、こうなったのやら……。」
「あ? ンだよ、アリア?」


ワインだけのつもりでホテルに入り、結局は、そのまま最後まで致してしまったなんて。
その結果、死にたいと思っていたのが嘘のように、今はデスとの別れが名残惜しい。
正直、これで終わりたくないと、強く切望してすらいる。


「何? 俺に惚れたのか?」
「そ、そんな事は……。」
「住所、教えろ。」
「え?」


ポカンと口を開けて、見上げる視界の中、デスが小さく片眉を上げる。
朝陽の中で見る、その表情もセクシーだ。
今は彼が何をしても、格好良く見えてしまうのかもしれない。


「またローマに来る事があったら、アリアの家に泊まる。」
「それって、遠い先の話?」
「俺はシチリアに住ンでる。そンなに間は空かねぇよ、多分。」


未だ裸のままシーツに包まっていた私の肩に、そっとシャツを引っ掛け、それから小さく頭をポンポンと叩かれた。
それは小さな子供にするような仕草だったけれども、何だか不思議と安堵感を覚えた私だった。



貴方がくれた、生きる価値



窓辺に置かれたワイン瓶が、朝陽に透けて、美しいガラス色の影をテーブルに映す。
まるで彼と飲み交わしたナルドワインのよう。
辛口でいて、じっくりと重みのある赤ワイン。
たった一晩。
それだけで、貴方の深みにはまってしまった。



‐end‐





こうして各地に囲う女が増えていく、そんな色男・デス様の巻w
うっかり一回シちゃったら、間違いなく抜け出せなくなる蟻地獄的魅力の持ち主です(言い方ヒドい;)
「死んじまうくれぇなら、俺の情婦として生きろ。」くらいは言ってそうですよ、彼は^▽^

2013.07.04



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