――バタンッ!!


リビングの方から聞こえてきた音に、ハッとして顔を上げた。
シュラ様がトレーニングから戻って来たのだろうか?
きっと、そう。
ドタドタと乱暴に響く、いつもの足音が聞こえてくるもの。
私は慌てて、いつもの三つ道具(籠とトングと濡れ布巾)を手に、リビングへと駆け付けた。


だが……。


「あ、れ……?」


おかしい……、ないわ。
床の上にある筈の、汗塗れで脱ぎ捨てられたシュラ様のトレーニングウェア一式が、何処にもない。
ただ点々と奥の部屋の方へと続く大きな汗の跡が、そこに残っているだけで、後は何もない。


私は呆然と、その汗の跡と、その汗が作る道筋を見つめていた。
この宮に移って二ヶ月半、トレーニングから戻って来たシュラ様が、汗濡れの服を脱ぎ捨てもせずに、そのまま自室へと入って行くなんて事、これまで一度もなかった。
出番を失ったトングを握り締め、一体、何事があったのだろうと、私はただ立ち尽くすばかり。
そこに、再び響く、ドタドタと派手な足音。
シュラ様が奥へと続く廊下から引き返して来たのだと気付き、私はハッとして顔を上げた。


「アンヌっ!」
「は……、はい。」


バタンと上がった音は、扉が壊れそうな勢いを伴って響いた。
その予想外に大きな音と、シュラ様が私の名を呼ぶ強い口調に驚き、ビクリと震えた私の身体。
と、いつも以上にその鋭い目をキリキリと吊り上げて、シュラ様がこちらへと近付いてくる。


「こんなところで何をしている!? 寝てろと言っただろうが!」
「いえ、あの……。もう、すっかり治りましたし……、大人しく寝ているのは性分じゃないと言うか……。」


グッと肩に手を掛け迫ってくる、その剣幕と迫力に、流石の私も怯む。
そして、思わず後ずさってしまった。


だって、シュラ様……。
目が……、目が物凄く血走っているんですもの!
そんなに血走った瞳を見開いて迫られれば、誰だって恐怖を覚える筈!
今なら、その眼光だけで人を射殺せそうです、シュラ様……。


「全く……。ベッドにも部屋にもいないから、何処へ行ったのかと……。心配したではないか。」
「すみません……。」


ホッと息を吐くと同時に、その瞳の鋭さが緩む。
ガクリと肩の力が抜け、視線を逸らして汗に濡れた髪をグシャグシャと掻き毟るシュラ様の姿は、何と言うか……。
安堵の表情と、照れ臭さを隠す仕草が入り混じっている感じだった。


そして、不意に気付く。
もしかして、シュラ様……。
私の事が心配で、シャワーに行くのも後回しに、真っ直ぐ部屋へと様子を見に来てくれたの?
汗濡れで、ベタベタを通り越してグシャグシャで、いつもだったらさっさと脱ぎ捨ててしまう不快極まりない状態の服もそのままに、真っ先に私のところへと駆け付けてくれたの?


その考えに思い至り、私はトングを握り締め、籠を抱えたマヌケな格好のまま、呆然とシュラ様を見上げた。
目が合った瞬間、ホンの僅かだけ見開かれた瞳。
それは先程のように怒りに見開かれたものではなく、少しの驚きと少しの動揺からなのだと、鈍い私でも容易に理解出来た。





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