――明日、花村陽介君が八十稲葉と言う遠い所へ越してしまうらしい。
らしいと言う不確定な表現を用いたのは、私が彼とそこまで親しくないからだ。あくまで風の噂。
それでも彼に抱いた恋心は、噂に掻き乱され、遠くへ行って欲しくないと願う。願った所でどうにかなる事でも無いのに。
彼に心を奪われた日の事は鮮明に思い出せる。
あの日、偶然先生に捕まって手伝いをしていた私が帰ろうとしたら教室に花村君が居た。
丁度帰ろうとしていたみたいで、扉の開く音に気付いた彼はこっちに視線を向けて笑って言ったんだ。
「アレ?これから帰んの?」
「え、あ、うん。先生の…手伝いをさせられてて。」
「そっか、お疲れさん。んじゃ、俺帰るわ。また明日な?」
たった二言交わしただけなのに、放課後の夕日に照らされたその笑みに囚われた。
きっと花村君は、明るくて楽しい人だから向こうでも直ぐに打ち解けてしまうだろう。そうしたらこの学校の事なんて忘れてしまう。
たった一度だけ私と話した事を忘れてしまっている様に、忘れてしまう。
忘れてほしくない、それは叶わない願い。