一番下の弟は、いつも無邪気に甘えてくる。年齢も離れているせいか、どうしても可愛くなってしまうのは仕方がないだろう。
「にいさま!ねるまえにえほんよんでくださいー。」
まだ5歳の幼い弟はふわふわの赤髪を揺らして足元へ抱きついてきた。
今日はXとVは二人きりである。父親が高熱を出したWを連れて病院へ行って、そのまま入院になってしまったのだ。
「もう絵本は一人で読めるんじゃないのかい?」
Vが文字を完璧に読めることはXも知っている。
しかしVは左右に激しく首を振る。
「よめます。でも、にいさまによんでもらいたいんです!」
本棚から真新しい絵本を抱えて、Vはベッドによじ登る。真新しい絵本はきっと父親が弟達のお土産にまた買ってきたのだろう。
「今日だけ特別だからな。何を持ってきたんだい?」
「…んっとね…『しらゆきひめ』です!」
可愛らしい表紙の文字をVは小さな口を一生懸命動かして読みあげる。
XはVを膝に乗せると、絵本を開いて物語を読み上げていく。父親のように役ごとに声を変えたりする芸当はできないが、二人も弟を持つXもまた淡々とした抑揚のない声音だが、ページの捲り方などで子どもを引き付けるスキルは持っていた。
Vは表情をころころと変えながら物語に魅了されていく。
「……こうして、王子様と白雪姫は幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」
絵本を閉じると、皮肉にも白雪姫を苦しめたはずのリンゴが可愛らしく描かれていた。
「にいさま。どうしておひめさまはキスでめがさめるのですか?」
「…………ん?」
「このまえよんでいただいた『ねむりひめ』もキスでめがさめてました。『しらゆきひめ』も『ねむりひめ』もおひめさまはみんなキスをすればおきて…ふしぎです。なんでですか?」
瞳をキラキラ輝かせながらVは何とも聞きにくい事を聞いてくる。それこそまだ子どものXにも、キスで目覚める理由がさっぱりわからない。Xにしてみればこのオチは当たり前であり、絵本だから少しの非常識も普通だと思っていた。
しかしVは、自分の知らない事を兄は全て知っている、と思っているらしく期待の眼差しでXを見上げている。
Xは動揺した頭で必死に考えた。
だが、本当の答えなど知るはずがない。
「……Vはどうしてだと思う?」
「ぼくですか?」
きょとん、とした様子のVは首をかしげながら、悩む。
すると「あ!」と声を上げてXを見上げる。
「おうじさまたちはおひめさまが…すきになっちゃったからチューしたんですよね!」
「…うん。」
「だから、すきすきーってきもちがおひめさまをおこしたんですね!」
可愛らしい結論にXの口元に笑みが浮かぶ。
「そうかもしれないな。…ああ、そろそろ寝る時間だ。」
Vが掛布に潜り込む。少しよれた掛布をXが整えると、Vの頭を撫でる。
「…にいさま。」
「どうした?」
「……いっしょにねんねしよ?」
本来であればVはいつもWと一緒に眠って、Xは一人部屋だ。
Wが入院してしまい、一人きりで眠るのが寂しいのだろう。
「わかった。今日は久しぶりに一緒に寝よう。」
大きなベッドなのでXが入っても特に問題はない。
枕だけ自室から持ってきて、Vの隣で横になると、すでに弟は眠たそうに欠伸をしていた。
「おやすみ、V。」
「おやすみなさい…にいさま。」
暖かい。
何かに包まれているようだ。
柔らかい感触がする。
これはなんだ?
不思議と気分は悪くない。
唇に、何か…柔らかい感触が。
これは夢か?昨日…白雪姫を読んだせいだろうか。
重い。
胸が重くて苦しい。
重い重い重い…重い…重い……
「…さま!にいさま、おーきーてー!!」
どすん!
五歳の弟が胸の上に乗っていたらさすがに重くて苦しい。
「…ぐ、V…降りてくれ…」
「はいっおはようございます!にいさま!」
窓からは朝日が差し込んでいる。
時計を見れば、針はもうすぐ7時だということを伝えていた。
「……おはよう、V。」
「きょうはにいさまよりはやくおきれました!」
「えらいな。」
褒めて褒めてと瞳が訴えていたので、起き上がって抱き締めてやるとVは喜んで笑い声を上げた。
「すごいですねにいさま!」
「……なにがだ?」
兄の肩に小さな手を乗せながら、Vは興奮したように「すごいすごい」と繰り返す。
「にいさま、だいすきー!って思ったのわかりましたか?ねぇにいさま、わかったんですか?」
嫌な、予感がした。
夢を思い返しながら、ニコニコと無邪気に笑う弟と目を合わせる。
「……V…もしかして、いや…。」
非道徳的な行為を連想してしまい、Xは続きの言葉を飲み込む。
しかし、Vは瞳を輝かせて知りたくなかった真実を教える。
「はいっおうじさまみたいに、ちゅーしてにいさまおこしてみました!」
あまりの衝撃発言にXはベッドに後ろから倒れこむ。
信じられない。
自分は無垢な弟にファーストキスを…いや、そこが問題ではない。このままではVは他人を起こすたびにキスをするかもしれないのだ。
兄として、キスの大切さを教えてやらなくてはならない。
「にいさま、まだねむいですか?」
そんな事を考えている間に、Vは顔に息のかかる距離まで近づいていた。
「もういちど…」
「大丈夫だ、わたしは起きている!」
迫るVの顔を、Xは慌てて両手で押さえる。
そのまま起き上がると、真面目な顔を作ってVと向き合う。
「いいかV。キスはとっても大切なものなんだ。大好きな、Vにとってお姫様みたいな人にしかもうしちゃダメだからな。」
「…はい。」
素直なVはすぐに頷いた。
Xは安心してホッと息をつく。
「じゃあにいさまは、ぼくのだいすきなひとだからちゅーしていいんですよね。」
「え…?」
にぱっと可愛らしく笑ったVはぎゅーっとXの首に両手を回して、抱きつく。
一方、Xはそんな弟の誤解を解くのに頭を抱えて悩んだ。
こうしてVの誤解を解けたのは十数日後だったという。
* * * * *
深い深い眠りについた弟。
目覚めることなく固く閉じた瞳も、死人のように白い肌も、生きてるとは言いがたい。
だが触れれば、まだ少しあたたかい。
それが生きてる唯一の証。
「……V。」
目覚めることはない、それは十分に分かっていても、何にでも縋り付きたくなる。
―にいさま。どうしておひめさまはキスでめがさめるのですか?―
その縋る先が、幼い頃の思い出だとしても。
「……V、頼む…もう二度と離ればなれは…っ」
家族がバラバラになるのは、辛すぎる。
Xの伸ばした手は弟の頬に触れ、輪郭をなぞるように撫でる。
大きくなった。昔はあんなに小さくて、すぐに壊れてしまいそうで、守らなくてはならない存在だったのに。
世界を守って、眠りについた。
「V…大切だ、大好きだ。弟としてだが、それでは駄目だろうか?」
そっと唇を重ねる。
Xの長い髪が、しばらくシーツに広がった。
ただの親愛のキスだが、幼いVが言った通りに心の中で愛を込めて口づける。
しかし幾度と唇を重ねても、Vは目覚めなかった。
指先1つ動く事なく、眠り続けた。
―すきすきーってきもちがおひめさまをおこしたんですね!―
幼い弟の純粋な笑顔が思い浮かぶ。
「すまない、V。」
Xはハンカチを取り出すと、優しく弟の唇を拭った。
「好きな気持ちだけでは…無理だったようだ…。」
どれほど好きでも、愛しくても、絵本の様に目覚めさせることは出来ない。
現実では、どうしても出来ないことがいくつもあるのだ。
「……もう少し、待っていてくれ。」
役割を終えたら、すぐに迎えに行こう。
もう1人ぼっちにはさせない。
目覚めさせることができないのならば、兄として出来ることは1つだけ。
―いっしょにねんねしよ?―
―今日は久しぶりに一緒に寝よう―
せめて夢の中で、弟の元に。
「一緒に、眠ろう。」
END
5/23…X兄様&キスの日に思い付いて、出来たの1ヶ月以上後とか遅い!^p^
と思いましたが雪菜にしては早かったです←
本当は兄弟が眠りにつく前に書きたかったのですが、まあ余裕でトロン三兄弟は全裸でベッドインしてしまいましたね。
シャークさん一番好きなのにトロン兄弟ばっかりになってきたぞ、どうゆうことだ。
最後に、ここまで読んで下さり、ありがとうございます!