※注意
和風パロです。
凌牙が何の疑いもなく巫女服着ています(女装)。
遊馬が神様です。
「ふざっけんじゃねえよっっ!!」
兄妹の沈黙を切り裂いたのは、信じられないことに第三者であった。
柿色の狩衣を纏う翁の面は、飄々とした態度が嘘のように、憤怒を露にして凌牙に迫る。
「神使ぃ?それって神の使い?属神?どっちにしろ神じゃねえか!なんで素直に人間として、くたばったり、生け贄にならないんだてめえは!!」
袂から取り出した瓶を凌牙めがけて投げつけられたが、間一髪、体を反らして瓶を避ける。
地面に叩きつけられて、割れた瓶からは黒い禍々しい液体がドロリと流れ地面に滲みる。
さらりとした薄茶の地面に、そこだけ黒く焦げたような跡が残った。
明らかに呪いか、毒の類いである。
「チッ…くそ、なんでテメエなんだよ!いつもいつも!!ムカつくぜ!」
敵も味方も皆、茫然と状況整理ができていなかった。
人間を捨てた巫女、それにぶちギレる神代家の重鎮の一人。
すぐに反応できたのは衝撃の少ない巫女本人だった。
「どういうことだ?」
「どうもこうもねえよ!うまくいけばオレが神になれたかもしれねぇのに余計な真似を!なんでだよ!オレだって霊力はあるのに…っ直系じゃないからって」
攻撃的な声音の中に混じった、とんでもない事実に、凌牙は目を丸くした。
「お前、霊力があるのか?」
「てめえと違って、父親が神代の人間だから、九十九神とは相性合わないけどな!だが、神使だったら話は別だろう!なんてったって才能だ!てめえ程じゃねえが、そこらの兄弟より霊力は高い!魂もちょっと他人とは違うしな!」
凌牙と近い年齢で、神代家に霊力持ちは聞いたことがない。おそらく彼も、隠蔽されていたのだろう。
その証拠に、山吹色の衣と紅色の衣の重鎮が、霊力があると言う柿色の衣を取り押さえだした。
「それ以上は黙れ、し…」
「ああ!?うるせえよ、オレはコイツにムカついてんだ!九十九神を独り占めしやがって!オレだって、」
「黙れと言っている!」
二人がかりで地面に押し付けて、腕を締め上げられると、ようやく柿色の衣の男は黙ったが、不気味な嗤い声が、翁の面から漏れだしていた。
「当主、もう無理だ。今日のところは我々が引くべきだろう。」
山吹色の衣の意見に、萌葱色の衣も同意する。
「冷静さを欠いた状態じゃ、何も解決しねえ。当主、手負いのお前もいる…明らかに不利だ。」
しかし当主は自分を支える萌葱色の衣の男に頷くことはなかった。むしろ微動だにしない。
「なんだよ、当主のヤツ、巫女のコトで気絶でもした?」
柿色の狩衣の袖を後ろ手で縛りながら、紅色の衣の男は呆れたように肩を竦める。
「意識はあるが、心ここにあらず……だな。」
体格の良い萌葱色の衣の男は、当主をあっさりと抱え上げた。当主は少しも抵抗すらしなかった。
去る様子の彼らに、凌牙もあえて触れない。
複雑な現状を伝えるには、非常にこの場は適していなかった。
「てめえら、まさか逃げ帰る気かあ?重鎮のジジイどもは何で言うだろうな!」
そんな中、腕を括られた柿色の衣の男は、立ち上がったとたん、仲間にくってかかる。
「煩い、だいたい貴様が暴走したのだろう!」
「あーあー悪かったよ!それでもここで帰ったらジジイどもに折檻くらうのは確実だぜ!」
「それは…っ」
不穏な空気の流れに、凌牙は舌打ちしそうになるのをどうにか堪えた。
急に柿色の衣の男が凌牙の後ろにいる遊馬へ顔を向けた。翁の面の視線を遮るように凌牙は間に立つ。
「九十九神、なんでオレは助けてくれないんだ?どうしてこの巫女だけなんだよ?隠蔽されてたのはオレも同じだぜ、なあ!」
遊馬は、動揺したように翁の面を揺れる瞳で凝視していた。
「ソイツ神使にするくらいなら、オレだって権利はあるだろ?九十九神の力だって上がるぜ……っ」
「黙れと言っただろう!」
神代家の者が揉めるのを尻目に遊馬は顔を伏せた。人間の業は、闇は、深い。
清廉な神に、計り知れないことであり、遊馬が傷つく必要は無い。
なのに彼は、人間以上に心を痛めるのだ。
凌牙は腹の奥の方からふつふつと沸き上がる怒りを覚えた。だが、感情に任せてそれを爆発させれば、彼らと何も変わらない。
そんな時に、突如、空き地と森の境に、異様な気配を感じた。
遊馬と同時にそちらを見ると、凌牙よりも小さな、子どもがいた。
場違いにも程がある幼子は、金糸の長い髪を三つ編みに結っており、一目で異国の者だとわかる。だが異様なのは…麻の法衣に袈裟、頭には頭巾というまるで山伏のような服装に、背中には烏の羽根、高い下駄、そして半分だけの鼻先の尖った烏天狗の面を付けている。気配どころか、何もかもが異質だった。
子どもは、半分見える輪郭を緩めるように微笑み、長い睫毛に覆われた金色の瞳を細める。
「やあ。」
少年は顔立ちの割りに、大人びた落ち着きがある。変声前の声であるにもかかわらず、幼さは感じなかった。
「…何者だ?」
「ボクは…トロンとでも名乗ろうか。君の敵ではないよ、九十九神の巫女……いや、元巫女かな。」
遊馬もトロンと名乗る少年を警戒していた。
もうアカズノマを気にすればいいのか、神代家の様子を窺えばいいのか、この烏天狗の正体を探ればいいのか、どこから片付ければ良いのか凌牙にはわからない。
「ボクの家族が迷惑を掛けたようだね。お詫びといってはなんだけど、神代家はどうにかしてあげるよ。」
「……家族?待て、今なんて」
凌牙の疑問が解決する前に、トロンは神代家の方へふわりと優雅に振り返った。高い下駄を音も立てずに操る姿は人間離れしている。
神代家も知らない者だったらしく、先程までは内輪揉めしていた彼らも、厳しい空気でトロンに向かい合う。
「さて、帰るか帰らないかで揉めてたみたいだけど、帰って大丈夫だよ?」
無言の答えに構わず、トロンは軽やかに周りを歩きながら、言葉を続けた。
「君達、神代家の重鎮だけど、若いって理由で名ばかりの年寄りが後見っていう名目でついているんだろう?彼らにはボクから話をつけてあるから大丈夫。君達は何も言われないし、何もされない。」
柿色の衣の前に立つと、お面同士で互いを見合う。凌牙は固唾をのんで見ているしかなかった。
「君も、生け贄にされないから。人の生を捨てる必要はもうないよ。」
「は……!?」
柿色の衣の男も驚いたようだが、凌牙も同じように仰天した。
凌牙を嫌う霊力のある男。
霊力があるということは、生け贄になれるということだ。
彼は、もしかしたら凌牙の保険として扱われてきたのかもしれない。そうならば、彼の今までの行いも無理はない。
「あの年寄り達はボクに借りを作ってるから、安心して。ついでに送ってあげよう。」
トロンが立ち止まり、手を上げると、大きな空間の歪みが神代家の足元に広がる。
少年の指先には紋様が光っていた。
「って言うかややこしいから帰って。あ、年寄りが何にも言わないのは本当だよー?」
何も言う間もなく神代家は唐突に消えた。
この場では話し合いにはなりそうもなかったので問題はないのだが…あまりにあっけない。
「これで、ボクの家族を苛めた、邪魔者はいなくなった。」
無邪気なまでの声は、どこまでが素で、どこまでが計算なのかわからない。
凌牙は、神代家を追い出してくれたことに礼を言うべきか悩んだ。
「家族って…お前はあの兄弟の弟か?」
凌牙がアカズノマの側で蹲る兄弟を指さそうとすると、いない。
気づけばトロンの側までお互いの体を支えながら歩いてきていた。
璃緒とカイトは、逆に凌牙の元へ近づいてくる。
「何者なの、あの子?」
「クリスは三兄弟だ。弟はあの二人だけのはずだが…」
一番彼らを知るカイトですら、関係がわからないようだ。見れば、クリスは泣きそうな顔でトロンに跪いており、トーマスはばつの悪そうな顔でトロンの横にぴったりと立ち、ミハエルは感極まったように抱きついている。
「まさか…あの態度は…」
カイトはその様子を見て、信じられないように口許を押さえた。
「久しぶりだね、クリス、トーマス、ミハエル。」
「ご無沙汰しております、父様。」
「父様!ごめんなさい!父様ー!」
「……なんでこんな所にいるんだよ、父さん。」
すぐに凌牙達も、カイトと同じ表情へと変わる。
この子どもが、三人の、父親?
いくらなんでも見えない。
「君達、ソレ忍者のつもり?すっごく黒ずくめで目立つし、ただの仮装じゃんか。」
「父さんに言われたくねぇよ。なんで烏天狗……?」
「失礼な。ボクは本物の烏の羽を使い、伝承通りの姿をしてるんだよ。なんちゃって忍者と一緒にしないでくれ。」
「父様、そこは重要じゃありませんよ。」
この国の人間からすれば、この親子の服装はどっちも仮装である。せめて烏天狗を選ばず山伏だけにすればまだよかったのかもしれない。
むしろ、今はそれどころではない。
「……お前達が、失ったものを取り戻したいと言っていた父親が、その子どもか?」
凌牙の問いに答えたのは、兄弟ではなく、片側だけ見える眉を中央に寄せたトロンであった。
「やっぱり、そんな馬鹿なことをしようとしてたんだね。うちの息子達は。」
少し呆れたような口調に混じるあたたかさを感じて、凌牙は彼は本当に三人の父親なのだと感じる。親という存在を知らない凌牙だが、多少は周りの親を見てきたし、叔母が凌牙にはいた。
必ず、どんな自分でも受け入れてくれる、決して裏切らない存在は、どんなに怒ろうが、呆れようが、どこかに愛情がある。
トロンはまさに、その愛をもった親そのものだ。
「馬鹿なことじゃ、ありません…!」
「クリス、キミまでそんな事考えていたのかい?トーマスやミハエルに流されたわけじゃないの?」
「勿論です。わたしも、兄弟全員同じ気持ちで、あなたの無くした物を取り戻そうと……」
「それで、ある日突然、居なくなったんだね。一人残されたボクの気持ちも考えずに。」
トロンは自らの面を指でなぞる。
「何度も言っただろう。失ったものは戻らないんだ。だから失ったものを数えるのはやめようって、言ったよね。」
「それでも……可能性があるなら、わたしはっわたし達は!」
クリスは、苦悩に顔を歪ませた。
外見は大人でも、まだ大人になりきれていない。父親の前だと、余計に子どもに戻ってしまうのだろう。
ただ、なくしたくない。
切実なまでの訴えは痛ましかった。
「失ったものが戻らないのは根拠があるんだよ、クリス。それはこのアカズノマを解決することができるかもしれない。九十九神、キミも聞かないかい?」
身内話から、急にふられて、遊馬は驚いたように顔を上げる。
「本当か?」
「信じるか、信じないかは別だけどね。」
アカズノマが解決する…凌牙は信じられない言葉に素直に喜べなかった。
ふと、璃緒の言葉が脳内に響く。
『先読みで…アカズノマで遊馬と凌牙の終わりがくるって…!』
あの、璃緒の予言。
あれはまだ、これから先のことなのだろうか。
――アカズノマが神と巫女の終わりとなる――
正しい予言は、誰にもまだ、解らない。
雲間から淡く降り注ぐ月明かりは、山中の闇を照らすにはあまりに暗い。薄い雲に閉じ込められた星々も同じように、せっかくの耀きを遮られていた。
木々の間からぬうように零れた僅かな光は、吹いたら消えてしまいそうである。
日が完全に落ちてしまったので、暗闇に不便を感じる人間は、小さな焚き火を幾つか作り、アカズノマと空き地をぐるりと囲った。
秋の山は冷え込むので、灯りとしての火は、温もりを必要とする人間に暖をとらせてくれる。
集めた小枝を足しながら、璃緒は指先を火に翳す。
凌牙は少し赤みを帯びた璃緒の指先を見て、顔をしかめる。
「璃緒、体を冷やすのは良くない…カイトと社まで戻れ。少し降りた所にえあろを待たせてあるから。」
「嫌よ、これくらい大丈夫。凌牙と違って野営の経験はありますし。……カイトも今さら帰るのは不本意でしょう。」
凌牙の白衣を羽織らせても良かったのだが、血痕が付いていて、さすがに着せるのは躊躇われた。
「そうだな。ここまで来たら、見届けるのが筋だろう。」
カイトも火に寄りながら、さりげなく璃緒と山裾から吹く風の間に立つ。
凌牙は諦めてため息をつくと、すこし離れた所でアカズノマの前に立つ遊馬の隣へ行く。
遊馬と神使の仮契約する時よりも、寒さは気にならなくなった。寒い、という感覚はあるが辛くはないのだ。
「遊馬、そろそろ…」
トロン一家は焚き火と休息を求めた。クリスが思いの外、消耗していたのである。四人ともやはり焚き火の近くで寄り添うように休んでいた。むしろ兄弟全員で父親にべったり状態である。遊馬も少し時間が欲しい、と話を後にすることを望んだ。
それから、一刻ほど時間が経つ。
「シャーク…後悔していない?」
「何を?」
「アカズノマが解決するんだ……シャーク、神使になる必要なかったんだ。」
凌牙はくらりと気が遠くなりそうになった。
この、神は、一体何を考えているんだ…。
「遊馬、オレは生け贄になりたくないから契約したわけじゃないぜ。お前と生きたいから…」
「聞いてシャーク。今ならまだあんまり血を分け合わなかったから、人間に戻れるんだ…!」
深刻な顔をしていると思えば、遊馬はあっさり凌牙の覚悟を踏みにじる。
遊馬と生きたい……それで全てを捨てる覚悟をしたというのに。
遊馬は、人間に、拘る。泣きそうで、辛そうな顔をしながら、凌牙に人の生を与えようとする。
一人にならないとわかった時、あんなに嬉しそうに遊馬が笑ったのを凌牙は見たのだ。
あの笑顔を越えるものなど、凌牙は知らない。
「戻ろうなんて、オレは思わない。遊馬がオレを心の底から疎ましく思うまで、側にいる。」
「……ごめん、シャーク。」
「なんで、謝るんだ。」
遊馬の真意がわからない。
ただ、後悔しているのは、遊馬なのだろう。
無言で見合う二人を現実に戻したのは、トロンの穏やかな声だった。
「ねー、痴話喧嘩中悪いけど、そろそろいいかなあ?」
「…ああ。」
凌牙がトロンに向き合うと、彼は困ったような顔をする。
「本当に、いいのかい?」
ゆっくりと問われると、急に不安になる。
だが、立ち止まるつもりは毛頭ない。凌牙は先ほどの遊馬とのやり取りで、いつもより冷静ではなかったのだ。
「構わない。」
「九十九神は?」
「シャークがいいなら、いいぜ。」
遊馬は、凌牙とトロンの間に身を置く。いつもは人間に関わり過ぎないよう、手を出し過ぎないようにと、後ろで傍観しようとする遊馬と今回は少し違った。
自分の関わる事だと、進んで前に出ている。
時の流れと、神としての自制が普段は傍観者としての彼を作っていただけで、この前に出る姿勢こそが本来の遊馬なのだろうと思えるほど、自然な動きだった。
遊馬はよく、凌牙をこの山に縛りつけてると嘆いていたが、それはいつも違和感があった。遊馬こそ本来自由な九十九神である。
その遊馬をこの山に縛りつけてたのが、凌牙の先祖だ。
また、今まさに遊馬が自由になれない原因は、皮肉なことに、凌牙なのである。
せめてアカズノマから遊馬を解放できるのならば、凌牙は遊馬の望まない命を懸ける行為以外、どんなことでもするつもりだった。
「まずはボクの話を簡単にしようか。ボクはアカズノマのような異世界に通じる穴の研究をしていた…もちろん大人の姿でね。ここまでは聞いてるかな?大人のボクは父が祖父から受け継いだという片眼鏡をいつも付けていてね…それはボクの曾祖父の時代にはとても作れないような、繊細かつ美麗な片眼鏡だったよ。しかもそれは異世界の穴の近くで拾ったものだと伝えられていた。」
なぜ異世界の穴なから片眼鏡の話になるのか、凌牙達はわからなかった。
「まあ色々あってボクは当時にしては長く出現していた…とはいえここと違って百年ちょっとくらいなんだけど。落っこちちゃって、年齢と、片眼鏡ごと顔半分を失ってしまったんだ。」
半分の烏天狗を指で打ちながら、トロンはさも平然と自分の身に起きた出来事を話す。
哀しみも恨みも負い目もない様子のトロンに反して、息子達は後悔に苛まれた顔をしていた。
「それと、アカズノマに、何の関係が…?」
これ以上この話題での辛そうな兄弟を見ていられず、凌牙は唐突に切り出す。
「ごめんよ、ボクの結論を言おう。異世界の穴は、無くしたものを取り戻したいんだ。取り戻せば、穴は無くなる。」「取り戻す…?」
遊馬が珍しく考え込むように腕を組む。
穴が求める生け贄のことだろうか。
「ボクの場合は、片眼鏡がおそらく異世界のもので、まあおまけで色々とられちゃったけど……あの穴は片眼鏡を取り戻したかったんだと思う。年齢が奪われたのは片眼鏡を付けてた期間だからその分かな。」
トロンは呆気にとられている兄弟の方へ振り向くと、申し訳なさそうに長い睫毛に覆われた瞼を伏せる。
「だから、返ってこない。元々向こうのものだから。わかったかい?クリス、トーマス、ミハエル。」
納得はできないのだろう。だが兄弟達はもう頷くしかなかった。
父親は自分の現状を憂いる気は少しもなかった。
それを受け入れることが、彼らの精一杯なのだろう。
「そしてこのアカズノマも、取り戻したいんだ。」
トロンの話からすると、異世界に通じる穴は、異世界のものがこちらに来たと同時に出現し、異世界のものが戻ると無くなるということだ。
「今までの話を聞いていればわかるかもしれないけど、心当たりないかい?このアカズノマができたころ、この地に現れた、異世界の産物。」
遊馬を見上げたトロンの単眼は、確信に満ちていた。
凌牙は血の気がひいていくように感じる。
アカズノマ…同じくらいにあらわれた異世界のもの。
『カード』だ。
それは、異世界のもの。
そして、遊馬の…九十九神の御神体であった。
「ああ……カードのことか。」
平然と答える遊馬を遮るように、凌牙は声を張り上げた。認められない。
「っでも!それならどうして、この地は生け贄を必要としたんだ!おかしいじゃねえか、生け贄でアカズノマが落ち着くなんて!」
「君たちの考えているものとボクの考えが同じだという前提で推測してくれ。ボクの顔や、年齢だってあの穴は奪った。……関わるものは、手当たり次第捉えるのさ。恐らくね。生け贄で落ち着いたのは、その人間に異世界のものが染み付いていたから…だけど本物じゃないから、アカズノマは消えないし、探し続けるために周囲を飲み込もうとする。」
生け贄が、遊馬と、カードと関わったのは初代が最初のはずである。
だが生け贄はそれ以前から続いていた。道理に合わない。
それを察したかのようにトロン半分しか見えない口を開く。
「九十九神の巫女になる前、生け贄は霊力の高い者……神代家の娘が務めていたんだろう?」
「本当かは、定かじゃない。」
数百年前の話は、風化され、伝わりきれていないはずだ。
証明するものは、現在は残っていない。
「例えば、カードで遊び、特に大切にした子ども達の子孫が……神代家だったら?」
「な!?」
「九十九神と神代の巫女の相性も、神代の巫女がカードで遊んだ子どもの末裔だったら?」
「それは…!」
「一概には言えないけどね。もしかしたらカードの持つ波長が霊力と似ているのかもしれない。ボクの息子達も呼ばれたから。アカズノマは謎だらけだから推測はいくらでも出来るさ。」
あくまで推測、例えばの話、そう言い聞かせても、凌牙の心臓はバクバクと跳ね上がる。
「遊馬は旅の途中でここの土地神になったんだ…この地に居たことなんて、」
「シャーク……オレさ、いつ生まれたかはよく覚えてないんだけど、旅に出る前はこの辺に居て、アストラルと友達になったんだ。土地神になる前は、アストラルの所に遊びに里帰りにきてたから……可能性は、高いんじゃないかな。」
遊馬は、相変わらず動揺すらしない。
どうして、と問いたいのに声が喉に詰まって、息だけが不自然に口からこぼれ出る。
「シャーク、確かな証拠はないけど、わかるだろ。」
凌牙は周りの目を気にする余裕もなく、遊馬の背中にしがみつく。
いつの間にか、自分より小さくなってしまった背中が、どこか届かないところへ行ってしまうように感じたのだ。否、行ってしまう。
「わからねえ。違う、嫌……いやだ。」
「シャーク。」
諭すような言い方に、凌牙はまるで自分が子どものように駄々をこねてるように思えた。
「離して、シャーク。オレの前に来て。」
橙色の衣に食い込む指を、どうにか離すと、遊馬の正面に回る。
何度も、何度も、彼の前に立った。
遊馬の力になるべく、毎日抱擁をかわした。
だが、こんなに、彼の顔を見れない日はなかった。
遊馬の表情を見るのが怖くて、俯いたまま、遊馬の帯を見るように立つ。
「動くなよ、シャーク。」
抱きしめられた。
今日は、何度遊馬と触れあえるのだろう。
いつもなら、ほんの僅かの時間抱擁するだけで、あとは一切お互いにすれ違う時すら触らないように気をつけていた。幼い凌牙が泣いていても、遊馬は頭を撫でることもできずにいた。
だが、今日は、遊馬のぬくもりを幾度となく感じている。
自分のぬくもりも伝えたくて、手を伸ばそうとするが、力がはいらない。
……動けない。
「ゆ、うま……」
言霊だ。巫女にも、神使にもなりきれていないが、遊馬の仮の契約は、たしかに凌牙の体に刻まれている。
「ごめん……。どうして、オレ、早く気づかなかったんだろう。」
耳元にかかる遊馬の息はわかるのに、顔を上げることすらできない。
「待って、くれ……遊馬、オレ」
まだ、遊馬から聞いてない言葉がある。
まだ、遊馬から聞きたい言葉がある。
動かない手に、ぬるい雫が一粒落ちた。
「初めからこうすれば良かった……オレ、馬鹿だから気づかなくて。」
遊馬の腕が、手が、指先が、触れあう全てが凌牙の体から消えていく。
動けと脳に命じるが、心とは裏腹に身体は微動だにしない。
「トロン、オレの本体を返してくれ。」
「なあんだ、バレてたのか。悪く思わないでくれよ、神代家の条件だったんだ。」
伏せた瞳はどうにか動かせたので、見回すと、視界の端で遊馬がカードをトロンから受け取っていた。
「くそっ…動け!!」
顔がカクン、と上にあがった。首から上が自由になったのだ。
だが、遊馬はカードを手に持ったまま、アカズノマの方へ足を進めていく。
消えてしまう、いなくなってしまう、最愛の存在と、二度と会えなくなってしまう。
はじめて、自分以外のものを失う恐怖が凌牙の心の奥から沸き上がる。
「遊馬!!」
凌牙の身体を縛り付けていたものが、消えた。
驚愕する遊馬と目を合わせると、彼を止めようと地面を蹴る。
「凌牙!」
だが、後ろから予想外の力で押されて前から倒れた。腕を後ろで押さえられ、背中や脚に体重をかけられて身動きが取れない。
凌牙が首だけで振り返ると、泣いている璃緒と、厳しい顔をしたカイトが凌牙を押さえていた。
「離せ…っ璃緒!」
「いやよっいや!!ごめんなさい凌牙!でも…わたし、凌牙まで失いたくない!ごめんなさい!凌牙…凌牙ああ……!」
璃緒は押さえる手を緩めず、泣いて凌牙の背中に蹲る。
脚を抑えるカイトも、苦悩の表情を隠せずにいた。彼には大切なものを失いたくない凌牙の気持ちも、璃緒の気持ちも痛いほどわかるのだろう。
「悪いが凌牙、行かせられない。」
だが、今回は璃緒についたようである。
「……離してくれ、頼む…っ」
璃緒の泣き声だけが答えだ。
彼らは凌牙を解放するつもりはない。
「遊馬!!」
気付けば、遊馬は扉に手をかけていた。
「いやだ!なんで!これからずっと一緒にいれるんだろ!普通に、いつでも抱き合えて、いつでも…普通に!」
遊馬は振り返ると、眉を寄せながら、笑った。
「ごめん…でもさオレ、神様だから。これくらいしか、できないんだ。」
「違う、九十九神はそんなんじゃねえ!」
「そうだぜ…だからシャーク、卑怯な言い方するけど、オレを自由にしてくれないか。あ、ちょっとオレの気持ちわかった?」
「わかったから!やめろよ!」
滲む視界は、押さえられた痛みのせいではなく、遊馬を求める心のせいだ。
「オレが消えれば契約も解けるから。ちゃんと交わらなくて良かった。危うく道連れにするとこだったぜ。今なら、シャークも自由だ。」
「いやだ!遊馬がいなきゃ…オレは…っ」
凌牙の隣に、ふわりと別の気配が生じた。
見れば、哀しげな顔のアストラルと璃緒に負けず劣らず泣いている小鳥が、立っている。別の神の空間から出てきたのだろう。
「アストラル、小鳥。」
遊馬が目を丸くした。彼らまで姿を見せるとは思わなかったようだ。
「……寂しいものだな、遊馬。友と呼べる者が居なくなってしまうのは。幾千も別れを体験してきたが、今回ばかりは久方ぶりに辛い。」
「お前より先に居なくなるなんてな。」
笑みを浮かべたアストラルの黄金と白金の瞳から、一筋の綺麗な涙が頬を伝う。
「後のことは心配しなくていい。土地は違えど、君の守りたいものは、わたしが守るから。」
「ありがとな、アストラル。」
「わたしこそ、君と一緒にいれた時間は楽しかった。礼を言う。」
アストラルは遊馬との別れを受け入れている。
誰も遊馬を止めない。
凌牙は唯一の希望の、小鳥を見た。
「小鳥、せっかく観月になったのに泣いてちゃだめじゃねーか。」
「うるさいっ。お別れくらい、わたしが、わたしとして居て何がいけないのよ!」
小鳥ははっきりお別れ、と言った。彼女もまた、遊馬を止めるつもりはないようだ。凌牙は唇を噛み締めた。駄々っ子のように遊馬を引き留めるのは、自分だけである。
「本当は嫌だけど、わたしは遊馬が選んだことはどんなことでも受け入れようって、決めたから。だから……後のことは任せて。」
泣いていても小鳥は、強かった。
小鳥の言葉を聞いて、遊馬も安堵の笑みを浮かべていた。
「ありがとう、小鳥。」
もう一度、遊馬は凌牙を見る。
遊馬の顔は、幸せとは言いがたかったが、どこか満たされたような笑顔であった。
「ひとりぼっちにしないでくれて、ありがとな。」
「そんな事、言うんじゃねえ…!」
「シャークはオレが居なくても一人にはならないぜ。」
「オレはお前のものなんだろ!?どうして、一緒に連れてってくれないんだよ!」
遊馬が望まないのはわかっている。逆の立場なら間違いなく凌牙は一人でアカズノマに入るだろう。
それでも、遊馬が消えるならば……一緒に消えたかった。
これほど、わがままを言ったのは生まれて初めてだ。
「一緒に連れていけるわけないだろ?シャークは生きるんだ。」
「オレは、遊馬がいないと……っ」
凌牙が言い終わる前に、遊馬は扉を二度叩く。するとひとりでに扉が開き、凌牙達は強風に煽られた。先ほどの封印が解けた時の状況と同じだ。
違うのは、霊力を持った者達も強風に煽られ立っていられないことである。開いた扉の前に立つ遊馬の揺れることない着物の裾が、彼だけ唯一風に襲われていないのを物語っていた。
凌牙は風で緩んだ璃緒とカイトの戒めを、勢いのまま振りほどく。そのまま、どうにか立ち上がるが、アカズノマから吹き荒れる暴風が、一歩も動くことを許さない。「遊馬……!!」
「シャーク、共に生きたいって言ってくれて、オレ本当に幸せだった。」
風で飛んだ涙のおかげで遊馬の顔が、よく見えた。本来なら瞼も開けないような強風だが、今の凌牙には関係がない。
そのせいで、遊馬の、笑顔をはっきりと見てしまった。
――どうして、そんなに愛しそうに、自分を見るのだ。
もう別れるというのに、昔から変わらない、凌牙の大好きないつもの笑顔である。
「……シャークが最期の巫女で、本当に、良かった。」
あまりに優しいその声は、凌牙の中に響くように伝わる。止めたいのに、留めたいのに、言いたいことが沢山あるのに、言葉が出ない。できない。
彼の名前も呼べずに、涙も出ずに、ただ叫ぶ。泣き声とも、喚き声とも違う、悲鳴や、雄叫びとも言い難い、何かを求める声。
「シャーク……」
それでも、遊馬は笑顔のまま、凌牙に向かって唇を動かす。
風が一層強まり、遊馬の言葉は聞こえなかった。
風と共に、遊馬の体はアカズノマの中に消える。
すぐにバタン、と扉が閉まると、風が一瞬で止んだ。
嘘のように、瞬く間に扉は光になり霧散する。
そして、そこには何事もなかったかのように、空き地の続きがひろがっていた。
千年もこの土地を、運命を、狂わせてきたアカズノマは、あっけなく無くなった。
求めてやまなかった探し物の『カード』を取り戻して。
役目を終えたように、消えた。
その場はしばらく無音が、続く。
誰もが声を出せずにいた。
「……っ!」
その中で一番早く身動きしたのは凌牙だった。
アカズノマのあった場所まで行き、膝と手を地面ついて、探すように土を掻きむしる。
もしかしたら、もしかしたらと、儚い可能性を、混乱した頭が探すように命じているのだ。
だが、爪に土や小石が詰まるばかりで、何もない。まるで初めから何も存在しないように。
「……凌牙。」
がむしゃらに土を掻く兄を、背中から抱きしめて、璃緒は止める。
「もう、やめて。」
何度も首を振る凌牙に、璃緒は涙を溢した。
「やめて、凌牙。お願い。お願いだからああ……っ」
茫然とした凌牙の代わりのように、ついに璃緒は声を上げて泣き出す。凌牙の頭には、遊馬の最後の言葉が響いていた。
まわりに聞こえなかった遊馬の声も、仮にも眷属だった凌牙には、伝わった。
あまりに、酷い、聞きたくなかった最後の言葉。
けれど、ずっと、聞きたかった、彼の言葉。
『好き』
忘れられなくなってしまった。
諦められなくなってしまった。
死ぬことが、できなくなってしまった。
遊馬の好きなこの身を、蔑ろになどできないではないか。
「ゆ……ま……っ」
どこにもいない。
太陽を喪ってしまった。
凌牙の神様が、信じるもべきものが、ない。
それを受け入れたら最後、凌牙は壊れてしまいそうだった。
「九十九神は、大切にされた『もの』から生まれた神。依り代が無けれれば、彼は存在できない。」
アストラルから訃げられた言葉は、率直で正しい。
小鳥は非難するように涙混じりの声を上げる。
「アストラル!」
「シャーク。君には泣いたほうが良い。そこから動けなくなってしまう。」
凌牙はアストラルを睨む気力も湧かない。それでも、アストラルは凌牙の横にいた。
「わたしの友は、そんな君を望まない。君が未来を歩み出せるように、遊馬はアカズノマに還ったのだから。」
「オレは……っ」
凌牙は拳を作ると、アカズノマのあった地面にそれを叩きつける。
「そんなこと、遊馬のいない未来なんて欲しくなかった!!いらねえ気ぃつかいやがって!ふざけんなっヘボ!バカ!アホ!くそ、くそくそ!」
「その通りだ。」
璃緒と小鳥が思わずぽかんとしてしまうほど、凌牙は暴言を吐きまくり、アストラルはそれに同意する。掠れてくる凌牙の声は、それこそ嗚咽のようだった。だが涙は不思議なことに、出てこない。
心が枯れて、涙までも涸れてしまったとでもいうのだろうか。
「遊馬の、鈍感!遊馬の、分からず屋!遊馬のっ……遊馬の、遊馬、ゆうまぁ……!!」
拠り所を無くした凌牙の姿に、璃緒は抱きしめ続けた。いつもなら宙に浮いているアストラルも、今は小鳥と凌牙に寄り添うように地に足をついていた。
「凌牙……」
泣く代わりに遊馬の名を呼ぶ凌牙に、璃緒はかける言葉が見つからなかった。
今の凌牙は世界が色褪せたどころではないのであろう。
みえないのだ。
世界が何もみえなくなってしまった。
生きる意味も、進むべき道も、今自分がいる場所も、周りも、すべてみえていない。恋は盲目、というが間違っているかもしれないと、璃緒は思う。
例え恋に夢中で周りがみえなくなっても、相手のことだけはみえている。
だが大切なものを失ったときこそ、全てが、みえなくなるのだ。
「ねえ。」
そんな空気の中、変声前の幼い声が、響き渡る。
「……感傷にひたってるとこ悪いけど、聞いてもいいかい?」
トロンが、凌牙の前に立っていた。
アカズノマがあった場所に、恐れる様子もなく堂々と立つ姿は、やはりどこか普通の人物ではない。
「凌牙に言ってますの?」
「そうだけれど。」
「ふざけないで。感傷にひたって何がいけないの?そもそも、あなた達が来なければっ」
「璃緒。」
平然としたトロンに対して怒りを露にする璃緒を、凌牙は制止した。
過ぎたことは、何を言っても変わらない。
心のどこかで凌牙はわかっていた。
「別に八つ当たりされても大丈夫だよ。ボクは大人だからね。吐き出されたことを受け止める余裕も持ってるし。」「見た目が良くないだろ……。」
瞳に暗い影をおとしながらも、凌牙は少し会話ができるようになった。爪に入り込んだ土や小石にも意識が向くようになる。
ただ、胸を締め付けるような、押し潰すような苦しさと、くらくらする気持ち悪さに、靄のかかったような、揺らぐような頭はしばらく治まりそうにない。
「聞きたいことがあるんだ。大丈夫かい?」
「構わねえ、何だ。」
トロンは急に鋭い瞳で、凌牙を上から下までじっくりと眺める。
そして、堪えきれないように、唇の端を上げた。
「君、本当に契約解けてるの?」
いたずらっぽい笑みとは裏腹に、トロンの声音は真面目だった。
凌牙は、しばらく、意味が理解できなかった。
周りも同じく、何を言っているのか、わからなかった。「悪い、冗談は止せ。」
絞り出すように凌牙は、低く呟いた。
期待してはいけない、と自制する反面、与えられた希望に縋りつきそうな自分もいる。
「凌牙、顔をよく見せてちょうだい。」
璃緒が凌牙の顔を掴むようにして、トロンと同様に凌牙を穴が開くほど眺めた。
「……違うわ。片目が、赤いまま。」
「それは、遊馬の血が、まだオレの中に流れてるからだろ。」
「違うの。凌牙はわたしと違う存在のままなの。同じじゃなくなっちゃったまま。壁みたいな違和感が、わたしと凌牙の間に、変わらずあるわ。」
璃緒特有の直感に凌牙は、動揺した。先読みだけでなく、彼女は特に双子の兄に対しての直感もまず外れない。少しだけ遊馬の属神になった時もすぐに気づいたほどだ。慰めでないのも、双子である凌牙はわかってしまう。
更にアストラルまでもが、思いめぐらすようにしながら、口を開く。
「そう言われれば、遊馬が消えたなら、君の中の彼の血も消えるはずだ。遊馬と体液を僅かにしか交換していなかったから、君は共に死なずに済むと思っていたが……。凌牙、君は契約前、瀕死だったな。遊馬の血が消えたならば、死んでもおかしくないはずなのに、君はこうして生きている。」
凌牙は震えそうになる身体を必死で押さえた。
遊馬の神気を探せばわかることだろうが、もし存在しなかったらと思うと、どうしても踏み出せない。
「なんで、お前ら、そんなこと言うんだよ……」
凌牙は弱々しく項垂れることしかできない。
「それじゃあ最後に一つ聞いてもいい?」
凌牙は渋々頷いた。
トロンは少し考えてから、問う。
「九十九神と巫女の契約って口答のみ?」
まったく今の状況とは関係ない質問に、凌牙は不機嫌そうに顔を上げた。
「巫女の契約には代々皇の鍵……首飾りが受け継がれてる……」
凌牙も何か、引っかかった。
可能性だけかもしれないが、凌牙も思案する。考えがまとまるのは一瞬だった。
「それ、今どこにあるの?もしかしたら――……」
トロンの答えを聞く前に、凌牙は走り出していた。少し下に待たせている愛馬の元へ駆けて行こうとしたのだ。
だが、目の前に空間の歪みが生まれる。速度を落とせずにそのまま空間に突っ込むように入ってしまった。そして気が付けば、凌牙は九十九神社の社前に立っていた。おそらくトロンの仕業だろう。
凌牙は社を無視して、自分の生活する小屋の方へ向かう。
どこかに全知全能の神がいるならば、人とも神とも言えない凌牙の願いを叶えてくれる何かがあるならば、どうかこの想いを叶えてほしい。
奇跡が起こることを、心の底から願った。
凌牙を社まで送るように空間の歪みを作ったトロンは、彼を見送ってから困惑した顔をする残された面々を見回す。
「つまり、アカズノマが取り戻したいのってカード“だけ”なんだよね。副産物っていうか、こっちの世界で生まれた九十九神…遊馬は要らないわけだ。」
アストラルは、興味深そうな表情に変わる。
「だがカード…依り代が無ければ九十九神は存在できない。」
「そうさ。依り代に…大切にされたものに宿る九十九神は消えるしかない。間違いではないよ。」
「しかもトロン……君は余計に奪われたのだろう?副産物だろうと長い間同じ存在としていた遊馬を一緒に連れていく可能性もあるだろう。」
アストラルは、人間よりも、事を冷静に判断する。
時に残酷なまでに。
それでもトロンは笑みを崩すことはなかった。自分の考えが確信に満ちているのだろう。
「けれど、もしカードには敵わなくても九十九神が長い年月関わって、人間に大切にされてきたものがあるとすれば……?」
トロンの瞳に、優しさと希望が宿る。
「あの穴だってこの世界が憎いわけじゃない。ボクだって、こうして家族と共にいれる。」
願いは、きっと届く。
奇跡は、きっと起きる。
明けない夜は、無いのだから。
凌牙は慣れた社から小屋へ通じる道を、進んでいく。
暗くても、この幾度となく通った道は間違うことはない。
脈打つ心臓は、思ったよりも落ち着いている。
しかし逸る気持ちが、歩みを徐々に速くし、そのうちに走り出し、小屋へと飛び込む。
空き巣のように凌牙は狭い小屋の中で手荒く何かを探す。探しているうちに、いつもの場所に探し物がないことを思い出す。
慌ただしく小屋の裏手から出て、樹齢数十年から数百年の木々の間をすり抜けていく。
ただ暗闇だった辺りが少しずつ白む。夜が明けてきたのだろう。
朝露というよりは昨日から降り続いた雨のため、濡れた草葉を踏み分けて、時折湿った土に足をとられながら、道なき道をただ駆ける。どうか、どうか、と心は悲痛なまでに訴え、凌牙を突き動かす。
息が上がり、汗が流れ、血まみれの衣に、袴は泥だらけ。その上、草履は切れてすでにどこかにいってしまい、足袋も所々破けている。
巫女の姿とは思えない出で立ちだが、そんなことは凌牙の頭にはない。
「……っ遊馬、」
望みをかけて、たどり着いた場所は、遊馬のお気に入りの御神木の前。
その根元には、彼と自分の巫女の契約をした証の皇の鍵があった。凌牙が隠したものだ。
もし、依り代がなくなった遊馬が、次に移り憑くとしたら、この何百年も巫女と遊馬を繋いできた、この首飾りだ。
しかし、木の根元に、遊馬の姿は無かった。違う木だったかと、他の木も見てみるが、人影も何もない。静寂に包まれるいつもの霊山は、穏やかな風が草木を揺らす音と凌牙の身動ぎする音しかしない。哀しげな音は、凌牙が最初の御神木の前で膝をつくことで終わる。
「……どこにも、いねえじゃねーか。期待させやがって。」
両手と頬を、その幹に添わせる。500年以上もの年月を過ごしてきた樹皮を指でなぞり、ザラリとした感覚を味わう。
この木は遊馬が好きだった。幼い頃は遊馬を追いかけようと、この木を何度か登ろうとしては叔母や遊馬に怒られた。今思えば、子どもながらに遊馬と同じ目線で世界を見たかったんだと思う。同じものを感じたかった。
「遊馬……遊馬、遊馬、ゆう」
草木を揺らしていた風が一瞬だけ、止む。
「……くー…」
風の音が消えた時に、聞き覚えのある微かな寝息が、凌牙の耳に届いた。
耳を澄ませば規則正しい寝息が続いている。
凌牙は反射で上を見上げると、高い木の枝の端から、橙色の着物が見えた。見慣れた、木の上の人影。
「遊馬……?」
聞き間違えではない穏やかな寝息に、凌牙は腹から息を吸う。
「遊馬!御神木の枝で寝るなって、何度言えばわかるんだ!いい加減、起きろ!起きろよ!たのむからっ起きろ!」
いつも、御神木で昼寝をする遊馬を起こすときの台詞。今日は、いつもの文句すら、泣きそうになるのを我慢しないと言えない。
どうか、返事をしてほしい。いつものように、呼んでほしい。
せっかく見つけたのに、沫のように消えられたら、凌牙はそれこそ気が狂ってしまうだろう。
「んー…シャーク……?」
呑気なほど間延びした声がしたと思うと、目を眠たげに擦りながら、遊馬が枝から顔を出した。
「っはやく、降りて、こ……っ」
遊馬がいた。
それを見た瞬間に、凌牙は両手で顔を覆う。
今になって、目元がじわりと熱くなる。それを遊馬に見せるのが嫌で、手で擦るが、逆に指に残っていた土が目に入って、流れ落ちるものが止められない。
「シャーク!どうしたんだよ!?その格好も!どっか怪我したのか!?」
「違えよ!」
御神木から降りてきた遊馬を間一髪いれずに抱きしめる。遊馬は、驚いたように飛び退こうとするが、凌牙は離さない。
「シャーク、そんなことしたら霊力が…っアレ?」
記憶が混乱しているのか、失ってしまったのかわからないが、遊馬は凌牙を神使にしたのを忘れているようだ。
だが、自分をシャークと変わらず呼ぶ声を聞ければ十分だった。
霊力を奪わないと気付いた遊馬は、遠慮がちに凌牙の背中に手を回した。
「遊馬、幻じゃねえよな?どこにも行かないよな?」
遊馬の肩に顔を埋めながら、凌牙は確かめるように問いかける。
「オレはここの土地神だぜ。どこにも行くわけないだろ。」
「一瞬でも、オレの前から、いなく、なった、くせにっ」
それを聞いた遊馬は、急に凌牙の背中に回した腕の力を強くする。
そして、声が少しだけ悲しみを帯びて低くなった。
「……夢じゃ、なかったのかぁ。」
眠りから覚めたばかりの遊馬には、先ほどまでの衝撃的な出来事や悲しい記憶の数々は、悪夢にしか思えなかったようだ。
改めて凌牙の痛々しい姿を見た遊馬は、腕は離さないまま木の根に座らせた。丈夫な木の根に腰をおろした二人は、ようやく顔を上げた。涙と泥でぐちゃぐちゃの顔をした凌牙と、瞳を潤ませた遊馬が見合う。
「ごめん、シャーク。ごめんな。」
凌牙はわざと睨むように、鋭い眼光を向ける。
「嫌だ。最後の最期までオレのそばに居てくれなきゃ許さねえ。」
着物の袖で凌牙の涙や汚れを拭いながら、遊馬は拗ねてしまった凌牙を宥めるように背中を撫でた。
「今度こそ最後の最期まで、そばにいる。」
そんな言葉では、もう凌牙は安心できない。
後戻り出来ないほどの確かなものが必要だった。
「もう、おいていかれるのは嫌だ。オレのこと、御名で縛れよ。」
シャークは凌牙の本名じゃない。凌牙の名で遊馬と契約してこそ本契約であり、その契りは絶対になる。
断られるかもしれないと、内心思っていた凌牙は、遊馬の迷いのない表情を見て、驚いた。
「凌牙、誓って。オレと生きると。」
遊馬の言葉が、凌牙の魂を包むような気がした。
縛ると言うにはほど遠い、抱きしめられるような、遊馬との解けることない繋がりを感じる。
それだけで、凌牙は満たされた。
「誓う。」
見えない繋がりが嬉しくて、凌牙は微笑みを浮かべた。
同じく笑顔になった遊馬も後悔のない表情をしている。
自然に、遊馬と凌牙はゆっくりと顔を寄せ合わせた。
何の為に生きているか、わからない神様がいた。
何の為に生きているか、わからない少年がいた。
そんな神様と少年は、共に生きる奇跡を起こした。
このひとの為に、抗えない終わりがくるまで、生き続けよう。
手を伸ばせば、握り返してくれるひとがいる。ぬくもりを分かち合うだけで、生きる意味など、いくらでも見つかるのだ。
神様と少年は、幸せそうに、愛しい名前と自分の気持ちを口にした。
九十九神様の巫女-終-
2014.7
ピクシブに上げていた、初めての長編です。
和風パロをいいことに好き勝手やりすぎて収拾がつかなくなって焦りました。プロット大事。
本当は、神様遊馬に巫女シャークさんが霊力与えてまぐわってなエロ小話の予定だったのに…何がどうしてこんな長い話になったのか未だにわかりません。不思議。結局まぐわう暇なく終わりました。
余談ですが、ゼアルが終わって寂しくなりました。シャークさんください。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
る