たぷんたぷんと水面が小さな波を作っていた。まあるいバケツが作り出す海を慎重に、こぼさないように、小さな体で風介は運んでいた。小学校の授業が終わり、15分の掃除と帰りの会を済ませれば大好きな放課後がやってくる。皆とサッカーをする約束をしていた風介は、逸る気持ちを抑え切れなかった。昨日は晴矢に負けたけど、今日は新しい作戦を考えてきたらきっと勝てる。ゴールを決められて悔しがる友達の顔を想像したら、くすりと笑みがこぼれた。そうして、浮足立つ気持ちでバケツを抱え階段に足を踏み出した。小さな波がプラスチックにぶつかって、大きな波になる。こぼさないように、こぼさないように。重さに痺れる指をきつく握りしめる。しかし、小学生二年生になったばかりの風介には、バケツの海を支えきる事が出来なかった。緩やかな孤を描いて、水色のバケツが落ちていく。小さな海が溢れた先には、ついさっき頭に浮かんだ友達が目を丸くして立っていた。



くしゅん、ずびずび。擦りすぎて赤くなった鼻をすすりながら、晴矢は見慣れぬ天井を見ていた。部屋は静かで、自分が鼻を噛む音と布団がこすれる音しか聞こえない。見上げる天井には雨漏りで出来た水の染みが浮かんでいた。じいっと見ていると、それらが人や恐ろしい化け物に見えてきて、恐怖に目が潤む。
布団を頭まで被って、丸くなった。すると今度は息苦しさと、暗闇の恐怖が少年の晴矢に襲い掛かるのだ。10分ともたず顔を出すと、広い座敷の空間に心細さを感じて布団を握りしめた。
今何時だろうか。そろそろと目を動かして時計を探すが、それらしい物はどこにもない。障子から差し込む白い光で、多分昼くらいだ、という事がわかるだけだった。
昨日、風介がこぼしたバケツの水さえ被らなければ今頃晴矢は学校に行って、皆と授業を受けているはずだったのに。さほど酷い風邪ではなかったが、時期的にインフルエンザが流行っていたせいもあり、大事をとって座敷に隔離された。いつもの二段ベッドではなく、畳の部屋で布団を敷いて一人横になっている。熱のせいで体は重く、眠りについては息苦しさで目を覚ます。そして目覚める度一人ぼっちの空間に不安を感じる、そんな事を朝から繰り返していた。

「具合はどうかしら?」

すっと開いた隙間から顔を覗かせたのは瞳子だった。枕元に座りいつもより優しい口調で語りかける姉に、晴矢は布団を被って潤む瞳を隠しうんうん頷く。すると半分はみ出た頭をそっと撫でられ、額に手が触れた。ひんやりと冷たい手が気持ち良くて、妙に安心する。

「まだ少し熱があるわね。お粥持ってきたから、食べたらお薬飲みましょうね」

布団から顔を出すと、瞳子の優しい微笑みと目があった。晴矢は体を起こされて、肩にはカーディガンをかけて貰った。お母さんみたいだ。そう思ったけど、瞳子はお母さんでも本当の姉でもなかったから、言わなかった。
ふいに瞳子が後ろを向いた。その視線を追うと開いた襖から、白い髪の毛だけが控えめにはみ出て揺れている。

「晴矢が心配で、帰ってきちゃったみたいなの」

眉を下げて、瞳子は困ったように笑った。それから『入って来ていいわよ』と、廊下に向かって声をかけると白い頭がひょこりと顔を覗かせた。

「はるや、だいじょうぶ…?」

足音もたてず、風介が静かに部屋に入ってきて瞳子の隣に座った。小さく正座をして、申し訳なさそうに俯く風介は何故かランドセルを背負ったままだ。晴矢はなるべく咳をしないようにして『へーき』と言った。しかし風介は泣きそうな顔で俯いたまま、なかなか顔を上げない。黙り込んでしまった風介を助けるように、瞳子が持ってきた土鍋からお粥を小皿によそい風介に手渡した。

「私は台所片付けてくるから、晴矢に食べさせてあげてね」

そう言って瞳子は部屋を出てしまい、広い座敷に二人が取り残された。晴矢はご飯くらい一人で食べられるからだいじょうぶと言いたかったのに、それを口にするより早くれんげが目の前に突き出されてしまった。
どこか気恥ずかしくて、れんげを受け取ろうとするのに風介は手を離さない。真剣な眼差しはなんだか滑稽だったが、風介は多分お粥を食べさせなければいけないという使命感に燃えているのだろう。仕方なく一口食べ、痛む喉に無理矢理押し込んだ。

「おいしい?」
「……あつくて味わかんね」
「あ、ごめん…」

風介は慌てて掬ったお粥にふぅふぅ息を吹き掛けた。そして再び晴矢に食べさせる。やはり恥ずかしかったが、あまりに風介が必死なものだからおとなしく食べさせて貰った。
風介が冷ましてくれたおかげでお粥は食べやすくなったが、やはり照れ臭い。しかし咳込む晴矢を泣きそうな顔で見ている風介を前にしたら、嫌だとは言えなかった。全部食べ終わり薬を飲で横になると、風介は丁寧に布団をかけ直してくれた。

「ほかにしてほしい事ある?」

その問いに、晴矢は少しだけ戸惑う。真っ先に浮かんだ事はあったのだが、それを言うのはご飯を食べさせて貰う事より恥ずかしかった。笑われたらどうしようとか、他の友達に言われたらどうしようとか。そう思ったら言えなくて、黙って首を横に振った。
風介は捨られた子犬のようにしょんぼりして、それから食べ終えた食器を持って立ち上がった。そういえばランドセルはずっと背負いっぱなしだったが、下ろす事すら忘れているのだろうか。どこか寂しそうな背中が遠ざかっていくのを見たら、晴矢は黙っていられなかった。

「ふ、ふーすけ!」
「え?なに?」
「あの、さ、たのみがあるんだけど、」

もう少し、一緒にいて欲しい。恥ずかしくてぼそぼそと話すと、風介はパアッと表情を明るくして再び枕元に正座をした。風介は笑わないで、晴矢の頼みを聞いてくれた。
天井を見上げると、濃い雨漏りの染みが晴矢を見下ろしている。子供達が学校に行った園内は静かで、知らない家にいるようだった。でも一人じゃないと思ったら熱のあつさとは違う、ぽかぽかとした感覚に包まれた。




重い瞼をゆるりと開いて、何度か瞬きをした。懐かしい夢を見たのはきっと、あの日のように風邪をひいたからだろう。まだ熱でぼんやりとするが、たくさん眠ったおかげで幾らか楽にはなった。
青年になりすっかり逞しくなった腕を上げて、晴矢は額に貼っていた熱さましのシートを剥がした。温くなったシートを捨てて新しいものに変えようと体を起こした所で、隣に白い塊が転がっているのに気がつきぎょっとした。

「ふ、風介…?」

白い塊が寝返りを打つと、よく見知った友の寝顔が現れる。すぴすぴと静かな寝息をたてる風介は、晴矢のベッドに潜り込んで眠りこけているようだった。
当然晴矢が招き入れたわけではない。風邪がうつるのも構わず添い寝している風介に、晴矢は先程見た夢を思い出した。
小さな頃。風邪をひいた晴矢を心配して学校を抜け出してきた風介に、お粥を食べさせて貰った事。それから、心細くて一緒にいて欲しいと頼んだら本当に側にいてくれた事。気が付いたら風介も晴矢も眠っていて、風邪をうつしてしまった事。
このままだと、あの時と同じように風介が風邪をひいてしまうかもしれない。部屋を移動するか悩んだが、結局風介の隣に寝転がり目を閉じた。具合が悪いとどうにも心細くなってしまう。でも二人なら、不安は安心へと変わる。






兎鳥さん宅50000hitおめでとうございまアアアア!!フリリク募集されてたので図々しくもさせていただきました!しょた風晴…可愛い…グフッ 晴矢を甘やかしてる風介さんマジイケメンですねって。兎鳥さんありがとうございました!!

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