Bitter orange

 鼻唄混じりな軽い足取りで、目指すのは、もちろんあの人がいる場所。
 夏休みも終わって大学が再開された。やっとなんの口実もなく会える毎日が楽しくて仕方がない。
 それもこれもあの日運命の出会いがあったから。
 彼がいなかったら、今ここに俺はいなかったのだから。
 彼がいつもいる準備室へと面する廊下に出た時、すぐに眩しい金の髪が視界に入った。
「クラウド先生!」
「ティーダ」
 駆け寄れば優しく頭を撫でてくれた。その手が大好きで。
「ティーダは今日も相変わらず元気だな」
「それが俺の取り柄っス!」
 クスクスとふんわりと笑ってくれる顔も大好きだ。
「先生どこ行くんスか?」
 少しだけ目を細めて、先生は耳元で囁いた。
「…秘密の場所」
 そう言った先生の顔は、悪戯をしかけた子供みたいな顔をしていて、そんなところも好きだなぁ。
「……秘密っスか」
 それなら俺はついて行けないっスね、と知らず心の声が漏れていた。
 クラウド先生のことならなんでも知りたいのが本音だった。
 だから口にはしないけれど、スコールや、バッツたちが羨ましかった。バッツみたいに先生と年が近かったらよかったのになぁなんて何度思ったことだろう。そして、その秘密の場所をスコールは知ってるのかなぁなんてぼんやりと思ったりもした。そうだったら、本当に羨ましい。
 そんな俺の心内を知ってか知らずか、先生はまたクスクスと笑った。
「冗談だ。一緒に来るか?」
「え?いいんスか?」
「あぁ」
「やった!」
 現金なヤツって言われるかもしれないけど、俺はクラウド先生の言葉で一喜一憂する。いつのまにか自分の中にはクラウド先生がたくさん溢れていて。それはとても甘い蜜のようなものでもあって、それと同時にとても苦い薬のようなものでもあった。
 この時の俺は叶うことのない恋を、宝物のように大事にしていた。





クラウド先生と他愛のない会話をしながら、それでも心は踊っていた。
 いくつかの廊下を曲がって、いくつかの階段を上って、そしてたどり着いたのは屋上だった。
「うわ…すっごく気持ちいい!」
 ぐいーんと伸びをして、フェンスへと駆け寄った。
 その後ろを先生がついて来てくれた。
「ティーダはここに来るのは初めてなのか?」
「うん。入ってきていいんスか?」
「事前に許可を取ればな。でも学生だけでは入れない。来たいときがあったら俺に言ってくれ」
「また一緒に来てもいいんスか?」
「いつでも歓迎するよ」
「やった!でもなんで学生だけじゃ入っちゃだめなんスか?」
俺のその言葉に先生は寂しそうな、暗そうな、辛そうな顔をした。
「…今、多いだろう?この場所を、こういう場所を、ティーダのように感じてくれない人。いろいろあって生きていくのが嫌になって、その結果いろいろなことが起きてるだろ。だから、学生は一人では入れない。大学側がとってる対処のひとつなんだ」
そう言われてハッとした。今のこの世の中には、そのいろいろに該当する悲劇があちこちで起こっていたりする。
情報ツールの発展のおかげもあってか、いつどこにいても様々な情報がもたらされる。耳を塞ぎたくなるような悲惨なニュースや、目を覆いたくなる残酷な現実が、あまりにも身近で起こっている日常に、なんの力も持たない俺はただ、その現実に唇を噛み締めることしかできなかった。
 けれど、決して他人事ではないから、とクラウド先生は言った。
「みんなに、…幸せになってほしいよな」
「みんな?」
「…うん。難しいってわかってるけど、俺は祈っていようって思う」
 本当に難しいけどな、と小さく呟いて、クラウド先生は空を仰ぎ見た。
 先生が言うみんなが誰を指して、どんだけの規模を言っているのかわからないけど、それはあまりにも尊い考えだってことは俺にもわかる。
 自分の幸せを願わない人。
 でもこれがクラウド先生なんだろう。
 だから好きになったんだ。
 悲劇になってしまった人の周りにも、こんな人がいてくれたらよかったのに。そうしたら悲劇じゃなくて、違う結末があったはずなのに。きっとたくさんの未来や夢があったはず。
 そう考えて、少し気になったことがあった。
「クラウド先生の夢ってなんスか?」
「夢…?俺の?」
「先生は、先生になりたかったんスか?」
「いや、…そうだな、…俺は…、……誰かを守れる人に、誰かを幸せにできる人になりたい、かな」
 それも難しいけどな、とクラウド先生が微笑みながら言ってくれた。
 この誰かも誰を指しているのかはわからなかったけれど、見ている限りでは先生の恋人はいつも幸せそうだし、違うとしてもバッツもいつも笑っているし、フリオや他のみんなも自然と先生の元に集まっている。それはまぎれもない事実だ。
「…十分幸せっスよ、俺も、みんなも」
「ん?何か言ったか?」
「なんでもないっス」
 今日の空は、青空が澄み渡って、雲一つない晴れやかな空だった。今の心を映したかのような綺麗な空は、すべてを包みこんでくれる。
 それはまるでクラウド先生みたいだと思った。
「ティーダは?」
「へ?」
「ティーダの夢はやっぱりプロになることか?」
 目指しているのは確かだし、それも夢に違いはない。
 けれど、自分にできることは他にもあるって、今クラウド先生が教えてくれた気がする。
 決意をする日はこんな日が一番良い。
 大きく息を吸って、思い切り空に叫ぶんだ。
「俺は、プロになる!そんでもって先生を、みんなを笑顔にする!だから、俺はいつも笑顔でいるっス!」
「うん、ティーダなら、なれるよ」
「もう唇を噛んで見ているのはやめるっス」
 ただ見ているだけ、ただ立っているだけ、そんな自分とはここでさよならしよう。
 自分にしかできないことがある。それは理想すぎて、本当の自分はあまりにも微力すぎるかもしれないけれど。
 ここで祈っている人がいる。それが勇気をくれる。だから自分を信じることから俺は始めようと思う。悩んでいるやつがいたらそばに行って、一緒に悩もう。そして考えよう。クラウド先生がいつもそうしてくれているように。
それを教えてくれた先生のために、今を苦しんでいる全ての人のために、笑顔を届ける人になりたい。
そして新しくできた夢を先生に伝えたい。
「いつか、世界中にすべての人に笑顔を届けたい。俺はクラウド先生みたいになりたいっス!」
言い終わると同時に俺はクラウド先生の額にキスをした。
 それは誓いのキス。
最初に笑顔にしたいのは、やっぱりクラウド先生だから。
 本当は唇がよかったけど、俺はまだそこの位置にはいけないから。
「ティーダ?」
 先生は額を押さえて、戸惑いがちに俺を見た。
 後悔しない。叶わない恋なんて誰が言った?
「俺、スコールに負けないっスから!先生!俺を見てて欲しいっス!」
 この宣戦布告をどう受け取ったのかはわからないけど、クラウド先生は少ししてから盛大に笑った。
「デジャヴュって本当にあるんだな」
「何がっスか?」
「ティーダ、あの時もそんなこと言ってたよな」
 それはクラウド先生に見惚れてセンター試験に失敗して、もう後がなくなった二次試験の実技試験が行われた運命の日。
 あの時、先生がいてくれたから、俺は今ここにいる。
「うん、ちゃんと見てるよ」
 一緒に頑張ろうな。
そう言ってまた優しく微笑んでくれた。
 俺の気持ちは少しも届いていないだろうけど、今はこれでいいよな。
 夢を叶えて、また空に叫ぶ日が来たその時は…
 ちゃんと伝えるから聞いてほしいっス。
 それまでは、俺、笑顔で頑張るから。
ずっと笑顔でいるから。
でも、たまには、弱音も聞いてほしいっス。
 先生と二人で見た空は、どこまでも広がっていた。


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