Purple

 今日のジタンはいつにも増して愛想が良かった。楽屋入りに来てくれたファンクラブの女の子達にはこれでもかと手を振り、いつもはマネージャーに任せているファンレターを受け取ったりしながら時間をかけて楽屋に入った。支度を始めてもふんふんと鼻歌を歌いご機嫌そのものだ。
「何かあったの?」
 共演の女優が隣でメイクをしながら聞く。今日はファンクラブの総見だから気合が入るのは分かる。だがそれだけではないような気がする。ジタンはよくぞ聞いてくれましたと身を乗り出した。
「兄貴が観に来るんだ」
「え、あのクジャ先生が?」
「ああ」
 楽屋の中が一気に色めき立つ。今日の公演でクジャの目に留まれば次の仕事が入ってくるかもしれない。クジャは実力重視で知名度に囚われない配役をする。クジャが演出した舞台で無名の新人が一気に押し上げられ、その後も潰れることなく活躍している前例を見れば端役ほど今日の舞台には気合が入った。
 だがジタンの機嫌の原因はクジャではない。クジャに連れられて来るクラウドだ。オープンキャンパスで会って以来だから久しぶりだ。舞台が終わったら楽屋にも来てもらうことになっている。早く会いたいと今からそわそわしている。
 クジャの目に留まろうと異様な盛り上がりを見せる楽屋で、誰も浮かれるジタンを気にはしなかった。



『おーっと、綺麗な姉ちゃんだぜ』

 次のシーンはジタン扮する暗殺者が客席の女性の写真を撮る段取りになっている。ここはある程度のアドリブで客を沸かせるのが肝だ。
 ジタンはカメラを持って袖に立った。センター三列目に彼の人はいた。暗い客席にいても尚光輝く麗しい彼。
「たーんらたた…」
 軽く歌いながらステージに出る。誰か弄れそうな女性を探す。大抵は観に来ている芸能人だ。だが視線がどうにもクラウドから離れない。気付くとクラウドに話しかけていた。
「おぉーっと、キレイな兄ちゃんだぜ」
 クジャが嬉しそうに自分を指さす。ジタンはつい本気でむきになってしまった。
「銀髪の自意識過剰兄貴じゃねーよ。美人なのはそっちの金髪の兄ちゃん」
 クラウドが俺?と驚いてジタンを見上げた。
「そうそう。すべすべの白い肌に金髪の貴方ですよ」
 客席からどっと笑いが起き、その後で拍手が起こった。そこでジタンははっと我に返った。公衆の面前で兄弟の恥ずかしいやり取りを晒してしまった。だが今日のお客さんはほとんどがファンクラブの会員だ。クジャのことは知っている。だからこその拍手だろう。
 フラッシュが焚かれカメラがクラウドを写す。だが小道具であるこのカメラにはフィルムが入っていない。入っていたらきっと良い一枚が取れたことだろうと残念に思いながらジタンは演技を続けた。
 そして迎えたカーテンコールは今までで最高の舞台だった。
 楽屋に戻り化粧を落とす。クラウドが来るのを今か今かと待ちわびていると携帯が鳴った。クジャからだ。大方ファンに囲まれて動けないと救援要請だろう。だからもっと地味な格好をしろと言っているのだが、こういう場でのファンとの交流も好きな人だから仕方がない。警備員さんの手が空いているといいなと思いながら出ると、話はもっと飛躍していた。
「ちょっと嫌な奴に見つかっちゃってねえ、クラウドを連れて楽屋に行けないんだよ。ホテルに避難するからそっちに来てくれる?」
「あ、ああ」
 この場合の嫌な奴は大抵ゴシップ好きの三流週刊誌の記者だろう。女性好きを豪語する割にはスキャンダルのないジタンをやたら敵視する輩がいたはずだ。
 ジタンは急いで着替えると劇場を後にした。もちろん出待ちのファンにはたっぷりとサービスをして。
 ホテルに着くと顔馴染みのコンシュルジュがにこやかに出迎えてくれた。最初からここに来ることが決まっていたかのように振る舞いキーを受け取る。セキュリティエントランスを通るとどっと疲れが出た。せっかくクラウドが会いに来てくれたのにこんなことになるなんて。ジタンやクジャにとってはごく当たり前のことだが、一般人のクラウドは引いたかもしれない。これが原因で距離を置かれたら寂しい。
 エレベーターを降りてドアにキーを通す。ため息をつきながら開けるドアは重かった。
「遅くなってわりぃ…」
「ジタン!」
 だが予想に反してテンションの高いクラウドが抱きついてきた。ふわりと甘いシャンプーの香りが鼻腔を擽る。不覚にも女の子にしか反応しないはずのセンサーがきゅんと反応した。クラウドに男の恋人がいるという先入観がそうさせたのだろう。ジタンはぶんぶんと首を振った。いくら綺麗でもクラウドは男だ。
「あ、疲れてるのにゴメン」
 ジタンの不可解な行動にぱっとクラウドが離れる。それを名残惜しいと思ってしまうなんて末期だ。ジタンは首を振るとクラウドの手を取った。
「いや、来てくれて嬉しいよ」
「招待してくれてありがとう。初めて見たけどすごく面白かった」
「こっちこそ来てくれてありがとう。でもこんなことになってごめんな」
 思わず尻尾も一緒に項垂れる。軽い気持ちでしたことがこんなに大きくなるなんて、分かっていたはずなのについ気が緩んでしまった。
「大丈夫なんじゃない?」
 クジャが笑う。クジャも奴らのしつこさを分かっているはずだがどうしてこんなにも楽観的なんだろう。クラウドみたいな美人は一般人とはいえジタンやクジャとの僅かな繋がりから酷い事を悪意を持ってねつ造されるに違いない。実名は出さなくてもすぐに知られてしまう。悪い噂程広まり易い。
「彼らが何とかするから」
「彼ら?」
 ジタンが首を傾げる。クジャの言葉にクラウドが少しだけ嫌そうな顔をした。
「そ、とーっても強力なナイト達がいてね」
「ふーん」
 それは何となく分かる気がした。クラウドはジタンよりずっと大人だししっかりしている。それでもふとした仕草がたまに守ってやりたいと思わせる。
「俺は嫌なんだが」
「仕方ないさ、君はトラブル体質だから」
「…」
 思い当たる節があるのだろう。クラウドはぐっと言葉に詰まってしまった。それから深くため息をついた。
「好きでトラブルを呼び込んでる訳じゃない」
 ジタンははっとした。たとえクラウドがどんな体質でも、この事態を招いたのはジタンだ。
「クラウド…」
 何と謝ったらいいのだろう。下手な言い訳をするとドツボにはまりそうな気がする。
「面倒くさくて本当にゴメン。でもジタンとは友人のままでいたい」
「っ、それはもちろんっ」
 ほっと息をつきありがとうと微笑むクラウドを見てジタンは飛びつきたくなった。礼を言うのはこっちの方だ。俳優としてではなくただのジタンの友人は少ない。一般人とはいえ好奇の目に晒されることの多いクラウドはジタンの気持ちを分かってくれている。
「さあ、そろそろ行かないと」
 クジャが立ち上がりジタンを促す。長い間密室に閉じこもって余計な詮索をされたくない。さっさと外に出て思わせぶりな行動をしてやるからせいぜい踊って貰おうか。
「クラウドは従業員通用口から出られるように手配してあるからね」
「ありがとう。じゃあ、ジタン」
「ああ」
「今度は大学で」
「必ず」
 最後は言葉も少なくジタンは部屋を出た。次に会えるのはいつになるだろう。確約はない。それが少し寂しかった。



 危惧していたことが起きた。ジタンは紙を握り締めながら走っていた。一度だけ来たことのある大学の研究室。周囲の目も構わずに走り続ける。
「兄貴!」
 力に任せてドアを開けると、クジャとクラウドがいた。二人でのんびりとお茶なんか飲んで、そんな場合じゃないと言いかけてジタンは口を噤んだ。手にしている校正刷りにはクラウドと彼の師のとんでもない話が書いてある。何の免疫もないクラウドにそれを見せてしまってもいいのだろうか。
「どうしたんだい?」
 ドアを開けたきり固まってしまったジタンに二人が首を傾げる。頂き物のお菓子があるから一緒にどうだいなんてのんきに言われて我に返った。今はそんなことをしている場合ではない。
「…これ」
 ジタンは机の上に事務所から持ってきた校正刷りを広げた。そこにはセフィロスが様々な業者から多額の賄賂を受け取っていること、そしてその金でクラウドを愛人にして高級マンションに囲っていることが書かれていた。更にはそこで見ていたかのような性生活まで赤裸々に描かれている。
 ジタンはこの記事を押さえた時の記者の言葉を思い出した。事務所が押さえている訳でもないのにスキャンダルどころか浮いた話の一つもないのはおかしい。裏で何かやっているんだろう。だから代わりにクラウドの記事を書いたのだと。
 ジタンに浮いた話がないのは仕方がない。女性好きを自負するジタンだが、世の中に溢れる数多の女性の中から一人だけを選ぶなんてできない。どの女性も全て同様に愛すべき存在だと本気で思っている。それが今までジタンを守ってきたのだが、まさかこんな風に裏目に出るとは思ってもみなかった。
「へぇ…」
 クラウドは初めて読むゴシップ誌の記事を目を丸くして読んでいた。その様子を申し訳なく思いながらジタンが項垂れる。
「本当にごめん」
「何でジタンが謝るんだ?」
「だって…」
 これを読んでもまだ二人は笑っている。ことの大きさが分からないはずもないだろうに。
「大丈夫、クラウドには強力なナイトがついてるって言っただろう?」
 クジャはハーブティーを淹れるとジタンの前に出した。
「セフィロス、見た目通り凄くプライドが高いから」
事実ならともかく、こんな願望のような嘘を並べられたらどんな顔をするだろう。想像して二人は顔を見合わせた。
「これ、貰ってもいいか?」
「あ、うん」
「せっかく会えたのにゆっくり話せなくてゴメンな」
 クラウドは校正刷りを丸めて持つと立ち上がった。そしてひらひらと手を振るとクジャの研究室を出た。
 たとえ事実無根であっても悪意を持って書かれた自分の記事を顔色一つ変えずにいるなんて、クラウドは思ったよりも修羅場を知っているのかもしれない。ジタンはハーブティーを飲みながらその後姿を頼もしく思いながら見送った。


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