皇帝のおはなやさん

フリオニールはドアのプレートを見た。それから手元の伝票を見た。どちらにもレウァール法律事務所と書いてある。法律事務所と書いてあるのだから法律事務所なんだよな。ここ最近毎日のように通っているような気がする。もちろん客としてではない。仕事でだ。フリオニールが勤務する『皇帝のおはなやさん』には若い女性からこのレウァール法律事務所宛にアレンジメントの注文がよく入る。開業祝いでもないのに競うように豪華な注文が入り、メッセージカードには食事に誘う熱烈な想いが記されている。所長のレオンという男がイケメンで、更には部屋の隅にいる名前は知らないが無愛想な男がこれまた目の覚めるような美人だから最初はそういう設定のホストクラブか何かだと思っていた。だがちょっと前に見た雑誌の若手起業家のコーナーにレオンが載っていて、弁護士と書いていたので変な想像はやめた。顔で仕事をしている訳ではないだろうが、美形揃いの法律事務所があってもおかしくはないだろう。
「こんにちはー、お花を届けにあがりました」
ノックをしてからドアを開けて中に入ると無人だった。鍵をかけずに空けているということはすぐに戻ってくるのだろうか。だとしたら待たせて貰おうとフリオニールは辺りを見回した。昨日も一昨日もアレンジメントを持ってきた。長持ちする花が売りの店だから毎日届けていればそれなりの数が残っている。出窓や応接セットのテーブルはもちろん、折り畳み椅子の上にまで篭が乗っていてこれ以上置く場所はないように思えた。だが今日持ってきたこのアレンジメントもフリオニールが心を込めて作った力作だ。できれば飾ってほしい。
どこか置く場所がないかと探しながら歩いているとソファーから投げ出された足があった。誰もいないと思っていたので心臓が跳ねる。
「あのー…皇帝のおはなやさんですけど…」
相手は法律のプロだ。勝手に入って何か無くなった物があると言われれば勝ち目はない。だが声をかけても返事はない。聞こえなかったのだろうかともう一度大きな声で言ってみたが反応はなかった。
どうしよう。受領のサインを貰わないといけないから勝手に置いて帰れない。でも人が寝ている場所に黙っているのも気まずい。元来の真面目な性格が禍してどこかで適当に時間を潰すなど考えつきもせず、フリオニールはただ立ち尽くしていた。
それからどれくらい時間が経っただろうか。何やら外が騒がしくなって不安になってきた。パトカーのサイレンが近くで止まる。救急車も来たようだ。近所で事件でもあったのだろうか。そこではっと気付いた。誰もいない事務所、パトカーや救急車、そしてさっきからぴくりとも動かない足。あれは本当に生きている人間の足なのだろうか。事件現場はここなのかもしれない。
フリオニールはぎこちない足取りでソファーの正面に回った。今警察に踏み込まれたら何とも弁解できない。ゆっくりと覗いてみると真っ白い顔があった。
「っ!」
背中を冷たい汗が流れる。蝋人形のようなその人は、あの無愛想な美人だった。もしこれが死体だとしたら死とは何て美しいんだろうと思う。フリオニールは全てを忘れて暫し温度のない顔に見入っていた。
「う…ん」
美しい彼がころんと寝返りを打つ。その声に我に返ったフリオニールは花籠を落としそうになった。わたわたと持ち直しもう一度彼を見た。さっきまでの無機質な顔から一変してあどけない寝顔だ。薄く開かれた唇も滑らかな頬も間近に見ると血の通った淡い桜色をしていた。
「…ゴクッ」
男…だよな。長い金の睫毛を見ているとだんだん自信がなくなってくる。こんなに美しい男がこの世に存在しているなんて。
もっと近くで観察しようと顔を近付けるとふるりと睫毛が震えた。
「ん…」
ふるふると何度か震えてからゆっくりと瞼が開く。中に見えた透き通った碧は晴れた空の色でもなく透明度の高い湖の色でもなく、初めて見る色だった。
「…誰?」
その瞳に映る自分を見てフリオニールはがたんと後退った。ゆっくりと起き上がる彼を、それでも美しいと思いながら見ていた。
「あー…花屋さんか」
「あ、そうそう。皇帝のおはなやさんです。お花を届けにあがりました」
「毎日お疲れ様。でも置く場所ないな」
篭を渡すと彼は置く場所を探して部屋の中を見回した。だがやはりこれ以上は置けないようで、とりあえずと応接テーブルの上に置いた。
「ま、いいか。持って帰ろ」
部屋に飾るのも華やかになって良いだろうという彼に嬉しくなる。自分の作った篭が彼の部屋に置かれるのを想像して頬が緩んだ。
「…?花屋さん?」
「は、はいごめんなさい。ここに受領サインを…」
「俺の名前でいいのか?」
「はい」
伝票に記されたサインを見て彼がクラウドという名前だと言うことを知る。事務所を出てからクラウド、と呟いてみた。何だかとっても良い名前だ。今日は無愛想でもなかったし、フリオニールは少し得した気分になった。

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