その日もケンジと藤田はいつものように学校の屋上へと来ていた。二人だけで話し込む時、よくこの場を使っていた。他に生徒がほとんどいなく、景色が良いこの場所が二人は好きであったし、話す内容においても都合が良かったからだ。


「まさか藤田が狼男とは思わなかったな…」


手すりに肘を付き、遠い景色を眺めるようにしながら思い返すようにケンジは言った。その言葉に藤田は少しだけ恥ずかしげに頬を赤く染め、ケンジとは違い手すりを背にして座った。

藤田が自分は狼男だと告白したのは二人が出会ってからそれほど遠くはない数ヵ月後のことだった。藤田はまさか自分が秘密を他人に話すなど思ってもいなかった。それほど、二人の仲が短時間で深まったということだ。
しかし、それでいっても自分のことをケンジに受け入れてもらえるか不安であったし、怖かった。もしその瞬間ケンジの自分に対する目が異端者に向けるものと同等のものになったとしたら、耐えられそうにはなかった。また一人の世界に戻れることなど出来ないほど、ケンジという一人の人間に藤田は心を奪われていた。一度親友というものができ、味わってしまった感覚を簡単に捨てるということは考えられなかった。
深く深く考えていた藤田だが、結果はあまりにも単純で滑稽なものであった。ケンジは狼男という部分ではなく特に関係のないところばかりを気にし、本題は笑い話として軽く受け流した。藤田が無理矢理話を推し進めたくらいだ。とはいえ、藤田にとってはそう軽いものとして考えてくれるほうがありがたかった。

思い返せば色々なことがあった。いや、この三年間を色々などというたった二文字で表すにはふさわしくはない。ケンジは遠い小さい町並みを眺めながらそのようなことを思っていたが、理系であるためかなかなか良い言葉が見つからなかった。

いつもと同じ場所にいるはずなのに、いつもとは違って会話があまりない。そして明らかに違うものが二人の手に握られていた。その黒い長い筒の中には、二人がこの三年間をしっかりと突き進んだという証が入っているのだろう。
ケンジは人工的な四角い建物から目を離し、グラウンドを見下ろした。先生や友人達と泣きながら写真を撮ったり、笑い合い別れの挨拶をしている無数の生徒が見える。見てはいなかったが藤田にもその騒がしい声は痛いほど届いていた。


「泣いた?卒業式」

「…俺が泣くわけないだろ。藤田は泣いた?」

「泣いてないよ!」


泣くことなんてできるわけがなかった。二人にとって卒業式というものは幼稚園児が行うお遊戯会と大して差がなかったからだ。心のこもっていない合唱に、便乗して嘘泣きが混ざっている館内、酷い有様だった。それ以外のことはよく覚えていない。人間は自分にとって要らない情報は無意識のうちに捨てるのだという。多分そういうこと。しかしケンジは移動中の生徒の列に紛れながら偶然一瞬だけ目に入った藤田、藤田は式中に自分と離れた場所に座って他の生徒に見え隠れするケンジ。二人は式が終わって数十分経った今でもそれだけは鮮明に覚えている。
それからもう一つだけ二人が泣くことができなかった理由がある。それはまだ自分の隣に親友がいるということ。泣くなんて恥ずかしいから見られたくない、表向きはそうではあるが本当はごく単純なもの。ただ隣にこいつがいる、それだけで二人は幸せだった。それが別れ際であろうとも。

でもなんだか生徒達を見ていられなくなって、ケンジは藤田の隣に座った。そこから見えるものは白いコンクリートの床と銀色の向こう側の手すり、そして更にその向こうに広がる灰色の雲が蔓延った空だった。持ちこたえられなくなって今にも雨を降らしてしまいそうな雲はゆっくりと形を変えなんとかそれを防いでいる。


「帰る?」


生徒達の声がすっかり聞こえなくなっていることに気付き、藤田は独り言のように言った。その声は異様に振るえ、寒いからなんていう言い訳は通用しないだろう。ケンジは賞状筒のふたをぽんぽんと取ったりはめたりしながら、あぁとどっちともつかない返事をした。
それっきり、どちらも何も言わなくなってしまった。立つことなど全く思ってはいない、といった風で身動きさえほとんどしなかった。

写真か悪くないな、とケンジはふと思った。そういえば先程の生徒達は写真ばかり撮っていた。最後の時間を形に残しておきたいのだろう。それはケンジもよく分かっていた、加えて自分はよく写メを撮るのだから尚更だ。しかし、一つだけ心に引っかかるものがあった。何故みんな写真を撮っているのか、それは前にも言ったがもう会えなくなってしまう友人との思い出作りのためだろう。ただ逆を返せばもう会えないから写真を撮る。そんなの撮ってしまったら最後じゃないか、ケンジは取り出そうとしていた携帯をもっとポケットの奥へ押し込んだ。

気が付けば大分暗くなってしまっていた。時間的にはまだそんなにも遅くはないのだが、この厚い何重もの雲のせいだろう。雨も降りだしそうということもあり、いよいよ屋上にいられなくなった二人は賞状筒を重そうに持って昇降口へと出た。人気はなく、学校もぽつりと職員室だけに明かりが灯っていた。
相変わらず会話は長くは続かず、しかしいつもの分かれ道にはどんどんと近づいていってしまう。ケンジの馬鹿らしい冗談も藤田の変に雑学染みた話もいつものような笑いには繋がらなかった。

赤信号が短く感じる、周りの人間達はすたすたと自分達を追い抜いていく。野鳥の鳴き声から車の音まで、全てが大きく響いて聞こえる。


「とりあえず…元気でな」


初めて別れに直結する言葉をケンジは発した。目と鼻の先の分かれ道を見て、もう言うしかなかった。藤田はその声に力無く返事をし、横断歩道を渡り終えたところで立ち止まった。隣で歩いていたケンジも必然的に止まり藤田を見る。
約一ヶ月後には別々の学校に通い、住むところも大きく離れることとなる。正直、辛かった。しかしその選択をしたのは紛れもなく本人達であるケンジと藤田であった。今更どうにかなる話ではなかった、身動き一つすることも許されず決まってしまった一本の道をただ歩くしか二人にはできなかった。


「親友だろ」

「…うん」

「離れたってさ、暫く会えなくてもさ」

「分かってるよ、大丈夫」


微笑んだ藤田にケンジも軽く笑みをこぼす。
人の波にのまれるように再度歩きだした。大通りから左右に延びる少し細い道路、いつものようにまたなと一言だけを言いそれぞれ背を向けた。変わらない日常、ただ一つ違うものをあげるのならば手に握られている黒い賞状筒くらいのもの。

ぽたぽたと、とうとう雨が降ってきた。雲も耐えきれなくなってしまったらしい。
一人になったケンジと藤田は、久しぶりの雨に良いタイミングで降ってくれたものだと互いに同じことを思っていた。

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