蛇口を捻るとキュッという音と共に頭から被っていたお湯が止まった。シャワーヘッドからはポツポツと水滴が垂れている。ホテルのシャワーは勢いも弱ければ締まりも悪いのかよと、実家や学園の大浴場に想いを馳せる。
 早く帰って広い湯船に浸かりたい。傍にかけてあったタオルで体を拭き、用意されていたルームウェアに袖を通す。髪も適当に拭って、タオルを首にかけたまま、甘ったるい匂いが漂っている部屋へと戻った。

「お、ここピザ頼めんじゃん」

 冷蔵庫へ水を取りに行きがてらテーブルの上に乗っているものを横目で見る。出前であったりアメニティの説明だったりと、カラフルな冊子が並べられている。
 冷蔵庫から水を取り出してソファーに座りながらペットボトルの蓋を開けた。半分ほど飲んだところでテーブルの脇に置くと、先ほど見た冊子を手に取った。ペラペラとページを捲って、色々なものがあるもんだと流し見たが、暫くして飽きて元の位置に戻した。
 部屋に入った時から焚かれていたアロマの匂いが段々と強く感じられ、芳香器を止めた。服に匂いが移っていないといいが、未だ湿っている髪からも同じ匂いが漂ってきたような気がして、出る前にもう一度シャワーを浴びようと決めた。匂いで標的にバレるなんて馬鹿な真似はしたくない。

「……おっと」

 ソファーで横になっているとスマートフォンが震えた。本音を言えばこのまま寝てしまいたいところだったが、画面に映っている名前を見て通話ボタンを押した。

「はいよっ……と。どうかしたか?」
『今お時間よろしいですか?』
「……ああ、構わねぇよ」
『随分と眠そうですね』
「だってねみーし」

 電話口から聞こえてくる、すみませんという事務的な声に欠伸で応える。
 如月斬夜とのあのファイト以来、金蛇流忍術の再興をするべく少しずつ活動をしはじめ、今では戦国学園に在学しながら忍者としての仕事も請け負うようになった。そのため授業を長期に休む必要も出てくるが、教師の許可はバディファイトで打ち負かしてもぎ取った。勝者の言うことは絶対、こういうところが戦国学園の良いところだと改めて感じた。
 今日の任務はとあるクリミナルファイターの尾行だ。バディポリスに頼むのは都合が悪いとかで話が回ってきた。なんとなく黒い雰囲気が付きまとっている気もするが、依頼は正規に受け手続きも済ませたし、不当な金を貰っているわけでもないし大丈夫だろう。それに依頼者への過度の干渉は、コンプライアンス違反だ。バディポリスと違って、忍者ってのはそこんところビジネスライクなんだよなと、首に巻きついて気持ち悪い湿っているタオルをそこらへんに放り、ソファーに座り直した。
 だいたい依頼といえば浮気調査や居なくなったペット探しなどが大半のなかで、今回みたいなものが入ればそれなりにやる気も違ってくる。その分、疲れも溜まりはするが。

「ねっみ……」
『では単刀直入に言いますが、学園への帰還を1日早められませんか』
「あー、そりゃ厳しいなあ」
『……そうですか』

 依頼者と結んだ契約書には細かに期間も決められている。今更、変えることはできない。契約を破って、またバディポリスにパクられるなんざ御免だ。まあ、このくらいじゃ捕まりはしないとは思うけれども。

「なんか急ぎの用事でも入ったのかよ」
『ええ、寮長のサインがいる書類が一枚』
「前言ってたやつか……それ代筆じゃ無理? お前かレア麿か……丁度良い教師とかいねーの」
『私とレア麿殿は風紀委員長と生徒会長として別にサインがいるんです。丁度良い教師などいませんよ……その権利剥奪したの貴方でしょう』
「言ってくれるねぇ……お前らも同じくせによ」

 勝者は絶対。どんなに立場が上の者であろうとバディファイトで負ければ一気に引きずり下ろされる。そのような戦国学園において四鬼将という名の生徒会は絶対的な存在となっていた。授業自体は一生徒として教師から受けるものの学園の管理運営その他諸々は、四鬼将が殆どを管轄している。言わば経営陣と社員が入れ替わっているようなもので、自由にできるという点は気に入っているが、やることが増えるという欠点も多いのが面倒だったりする。

「それ、期日厳守系?」
『そうですね』
「5日後には戻れんだが、それじゃあ間に合わねぇっしょ?」
『ええ。延ばせるか聞いてもみたのですが……』

 困ったような声に、どうするかなと考えながらテーブルの上に置いてあったリモコンでテレビを付ける。チャンネルを色々と変えながら、一番気に入ったもので止める。

『おや、誰かいるのですか?』
「いやテレビ付けた」
『そうですか。今日のお務めはもう終わったようですね』
「おー今ホテル……あ、良いこと思いついたわ」

 テレビを眺めながら飲みかけのペットボトルを持ってベッドへと移動する。ベッド脇にある小さなテーブルにペットボトルを置き、1人には大きいベッドに横になった。

「んじゃあ、持ってきてくれよ、その書類。バディスキル使えばそんなに遠くねぇっしょ」
『それは構いませんが、仕事の邪魔では?』
「いや標的が家に帰りゃ俺の仕事も終わりなんだよなあ。今日はもう出てきやしねーっしょ」
『そうですか。では此方としてもそのほうが都合が良いですし、今から向かわせていただいても?』
「おっけ。じゃ、ホテルの住所送るわ……まぁでも無理に来なくてもいいぜ」
『はい。では、後ほど』

 通話を切りメッセージアプリを開いて現在位置情報を送る。ちゃんとこいつは来るかねぇと、たった今まで話していた女にも引けを取らない美しい容姿の男に想いを巡らす。多分来るだろうけどなと、文武両道で容姿端麗、学園でも色んな意味で一目置かれているその男、霧雨正雪の到着を眠気覚ましにテレビを見ながら待つことにした。

 ホテルへの入り方が分からないとの電話がかかってきたのはそれから30分後くらいのことだった。テレビの眠気覚ましも虚しく寝落ちて電話で起こされた俺は枕に顔を埋めながら、フロントでの手続きは全て終わってるからそのまま入ってこいと部屋番号を伝えて通話を切った。ドアの向こうで物音がし、着いた気配を感じ取ったところでベッドから這い出て迎えに行く。ドアを開けると何とも言えない表情の正雪と目が合った。

「……入る?」
「入ります、けど……」
「よなぁ」

 思わず笑いながら招き入れると正雪の表情が不機嫌そうに変わったのが分かった。それにまた笑いたくなったが、何とか耐えた。

「何ですか、これ」
「どれのことだよ」
「テレビです」
「それかあ」

 これだけ面白いものがある空間で正雪はまず何に興味を持つだろうかと思っていたが、まぁ妥当か、映像も音もうるせぇもんなと呆れ顔の正雪を見やる。

「何って、眠気覚ましっしょ」
「消していいですか?」
「なんだい。見なくていいのかい?」

 そう言ってる間に正雪はリモコンにさっさと手を伸ばし、肌色の画面を消した。なんだつまらねぇなと思っていたら、伝わったのか睨まれた。

「ここにしますか、普通」
「なんだよ。いいもんだぜぇここは。入退室で人に見られることもねぇし手続きもすぐ済む。料金は安いし、食い物だって頼みゃくる。暇潰しもこんだけ色々ありゃ仕放題っしょ」
「ですが……」
「忍ぶには丁度いいぜ、ラブホは」

 困惑している様子の正雪を尻目にソファーへ座ると、正雪はテーブルを挟んだ向こう側でカーペットの上に正座した。わざわざ床に座るくらいなら、横に座ればいいと思うが、警戒しているような様子が面白いため言わないでおく。しかし、そもそもここが何処か知っていて来ているのだから、あまりに警戒されるとそれはそれで腹は立ってくる。意地悪した自覚はあるが、無理強いはしていない。ちゃんと来なくてもいいと逃げ道は作ってやったはずだ。

「んで、書類は?」
「はい、これです」
「ペンどこかにあっかなあ」
「普通は机の引き出しにありませんか」
「普通はな」

 立ち上がり近くの机の引き出しを開けた正雪が素早い手付きでそれを閉めたのを見て、なんとなく察する。何が入っていたかは知らないが、空ではなかったのだろうな。表情はいつも通りの落ち着いたものだが視線が合わないあたり、多少なりとも焦ってはいるようだ。
 持ち歩いている普段使いのペンを取り出し、もう探さなくて良いことを伝えると、正雪はまた向かいに座った。向かい合っても交わることのない視線に、ポーカーフェイスを装ってはいるが内心では予想以上に意識しているのかもしれないと思うと、段々とこちらの調子まで狂ってくる。確かにあのときAVを見て少なからず感化され、咄嗟に正雪に会いたいと感じて呼びつけてしまったのは事実だが、それ以上のことは特に考えてはいなかった。だが、据え膳食わぬは男の恥とも言うっちゃ言う。
 受け取った書類に一応目を通して確認をする。どうということもない内容が書かれている文章を目で追い、いちいちこんなものでサインが必要かねと文句の一つでも垂れたいと思った。

「そういや、お前、デュランダルは?」

 書類から顔を上げずに問う。何か違和感があると思ったらデュランダルとその鞘であるコアガジェットを持ち歩いていない。流石にコアデッキケースにして持ち歩いているとは思うが、あまり見ない光景だ。

「金蛇殿も闇烏はどうしたのです?」

 書いていた文字が若干曲がった。誤字ではないし大丈夫だろうと、このまま最後まで書き切る。

「……流石にここにまで寄り添わせるのはまずいっしょ」
「そうですね……私も同じです」

 いくらバディとはいえ、何から何まで一緒というわけではない。なかにはバディとそういった関係を持つファイターもいるらしいが、そこらへんの分別はついている。
 サインをした書類に不備はないか最後にもう一度全体を簡単に読み返して正雪に手渡す。

「でも、私のことは呼びましたよね」
「……呼んだなあ」

 正雪は書類を確認すると立ち上がった。そこでようやく目が合った。青い瞳が少し揺らいだのが分かった。久々に正雪の目をちゃんと見たような気がする。
 言ってしまえば正雪とはそういう関係なのだが、学園ではそれらしい素振りは一切していない。全寮制ということもあり2人になる時間も場所もなければ、四鬼将としての立場もある。おまけに俺の恋人である正雪様はこの容姿もあって、生徒や教師から構成されるファンクラブなるものが存在している。バレたら反感を買うに決まっているし、全員からファイトを申し込まれると思うと面倒くさくて敵わない。負ける気はしないが、波が立たないことに越したことはない。なんだかんだ四鬼将にはそれぞれにファンクラブが存在しているようだが、なかでも正雪のところは人数も多ければタチも悪いやつが多い。俺のところは正に体育会系といった筋骨隆々の奴らが数人いるらしい。
 しかし、そういった理由以上に俺も正雪も別段恋人らしいことにそこまで執着心がないということが一番の要因だ。唯一知っているレア麿から「お主達、本当に付き合っておるのか」と聞かれたこともあるが、恐らくその心配はまだいらないだろう、今目の前にいる正雪を見る限り。

「帰っちまうのか?」

 ドアの方へ向きを変え、歩き出した正雪に声をかける。俺の声に反応して足を止めると下を向き、何かを諦めたような深い溜息を吐いた。そうして、長い髪の片側を耳にかける。肌が白いとこういうとき不利だよなと、赤くなっている耳を見て思う。感情が昂ぶっているのが分かりやすい。

「明日も仕事でしょうから、これでも遠慮していたんですよ」
「ああ、警戒して遠く座ってたわけじゃねーのか」

 いくら執着心がないといってもここまでお膳立てされると正雪でもその気にはなってくれるようだ。あまり見ることができないその様に、優越感に似たような感情を覚え、ソファーからベッドへと移動する。腰掛けた途端に肩を押され後ろに倒された。

「なんだよ、どっちが据え膳だよ」
「貴方でしょう」
「へーへー。だったら来てねえって?」
「分かってるじゃないですか」
「まあ、いいけどよ」

 正雪の長い髪が俺の頬に当たった。おかずにAV見るかと茶化したら怒られたのは言うまでもないが、悪い悪いと笑いながら全くなんでこいつが俺なんかをねと思う。何度考えたかもう忘れたぐらいだが、どれほど考えても理解はできないし不安にもなる。文武両道で容姿端麗、つまりは才色兼備。逆の立場だったら絶対に俺は選ばないが、今は正雪のこの思い違いだろう感情を信じて、目が醒めるまでは甘受するつもりだ。

「お前、ムカつくぐらい整ってんな顔」
「金蛇殿は、かっこいいですよ」
「趣味わっり」

 近くにあるスイッチに手を伸ばして照明を落とした。俺をまともに見て萎えられても困るし、こんな見目をした奴と正面切ってやったら罪悪感が湧いてくる。
 部屋に漂っている残ったアロマの甘ったるい匂いを嗅ぎながら、頬に触れている正雪の髪を引っ張って顔を近づけさせ、心底明日の仕事に行きたくないなと思った。



***

愛喃(あいのう) 造語
・愛:愛し合っている/ラブホ
・喃:呼びかける語/同意を求める語
・あいのう:I know(分かってるよ)

漢字二文字が戦国学園って感じで意味も詰めれたので珍しくタイトル気に入ってます

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -