!誰も救われない話
!ジャンが女々しい/ルキーノが不憫/ベルナルドがどうしようもない





 一体、俺は何時までこの心地好い悪循環に浸っていなければならないのだろう。躯は満たされている筈なのに、何の充足感も得られない。俺は、空っぽだ。女みたいに優しく扱って欲しい訳じゃないのに、女みたいに睦言を欲している。情けない。こんな女々しい思考を持つくらいならいっそ、何もかも捨て去って溺れてしまう方が未だ救いようがあるのではないか。ベルナルドがこちらを振り向くなんて、夢のまた夢の筈なのに。傍にいて、俺に触れてくれる。キスしてくれる。それだけで、そこから抜け出す気など失せてしまうのだ。
 知りたくなかった。知らない振りを、していた。それなのに、俺の付けた覚えのないキスマークをまざまざと見せ付けられて、(確信犯だと思いたくなかった)俺は狼狽えてしまった。何時もの軽口でも噛ました時には、今まで必死に積み上げてきたものが一気に、それこそ音を立てて崩れ落ちてしまいそうで。壁一つ隔てていた距離が心地好いと、そう思っていた筈なのに、恋人となった今は(もはやそれもお笑い種か)一層厚くなったそれを突き付けられているような気がしてならなかった。

「…まだまだ余裕かい?ジャン」

 現実に引き戻される。セックスの最中に考え事なんて、今となってはよくある事だ。彼が愛しくて愛しくて堪らない筈なのに、もう一人の自分がこの光景を見下ろして、惰性で躯を重ねる男達を嘲笑している。ベルナルドは、浮気をしている事を俺が気付いている、と間違いなく知っている。それが俺に嫉妬させる為なのか、それとも特に意味もないのか俺には分かりたくもなかったが、それでも俺を嫌いにはなっていない事は確か、だと思いたい。おかしくて仕方がない。
 視線を向けようとするも何故だか焦点が合わず、目の前の像を捉えられない。何も返せないでいる俺に、ベルナルドは困ったように笑った。

「俺を差し置いてハニーに考え事をさせるとは、妬けるな」

 冗談にしても笑えねえよ、ベルナルド。嗚呼、でも、間違いではないのかもしれない。俺が想うのは恋人である今のお前じゃなくて、俺にだけ優しい、ちょいダメオヤジなベルナルド。ないもの強請りだと誰かに後ろ指指されても構わない。俺は好きだよ、あんたの事が。だから、独り善がりはもう終わりにしないか。

「…じゃあ、考え事が出来ないようにしてくれよ」

 これは本心だったりする。大丈夫だ、恋人ごっこを演じている俺は、こうして笑えている。染み付き習慣化した振る舞いはそう簡単に崩れる事はない。
 お決まりの台詞回しに、奴の目が細められるのが分かった。脚を開かされると、ベルナルドの中心が押し当てられる。そういえば、散々後ろを解されていたんだっけ。好きでもないのに勃つなんて器用な躯だな、なんて思いながらも、自分も人の事は言えなかった。意思とは裏腹に(尊重しているとも言える)躯はベルナルドを欲し、ぱくぱくと後孔を収縮させている。鋭い痛みでも与えられたら、何も考えずに済んだりして。あ、ダメだ、俺、痛いの好きじゃないし。

「入れるよ、ジャン」
「言うなよ、そんなの」
「…はは、可愛いな」

 そうですかそうですか。不特定多数にもっとこっ恥ずかしい台詞を囁く癖に、よく使い分けが出来るもんだな。拗ねているとでも思われているのか、やたらねちっこく愛撫されるのがもどかしかった。それは何なんだ、俺を大事に思っていますアピールか?それでも入ってくるベルナルドのものに少しばかりの幸福感を覚えるところは、単純な人間だな、と考えたりする。
 時間を掛けて中心を埋め込まれる。何回やっても慣れない圧迫感に躯は強張るが、性器を触られれば簡単に意識は移る。その隙に、奥まで突き入れられた。

「あ、っ…は、あ…」
「はっ…、悪い…もう、我慢出来そうにないよ、ジャン…」

 俺は何時まで我慢してれば良いんだよ。そう考えられる俺は、この男の言うように、まだまだ余裕なんだと思う。内壁を擦るように抽送が始まると、痛みと快感に耐える為に行き場を求めていた手はシーツを頼りなく掴む。こうなると呼吸の仕方を、段々と忘れてしまう。ひっきりなしに漏れるはしたない声は、こいつの耳にどう聴こえているのだろう。
 注がれたローションのお陰で大分動きやすくなったのか、小気味良い音を立てながら律動が続けられる。切っ先で抉られるように良いトコロを突かれ、思わず甲高い声を上げてしまった。今更恥ずかしがる事でもない。ベルナルドはそれを認めると、脚を折り曲げて躯を密着させた。鋭角から打ち込まれる衝撃に思わず目をきつく瞑って、喉から溢れ出る断続的な喘ぎをただ聞いていた。

「は、あぁっ…は、っ、あ…っ」
「あ、っ、一回…イッておく、か…?」
「んっ、は、っ、あんたの体力がない、だけじゃねえの…っ」
「…っ、はっ…そりゃあないよ、ハニー、お前だって…ほら、イキそう、だろ…っ」
「や、っあ…!あ、は…っ…も、ん、あぁっ!」

 中を蹂躙しながら、此処ぞとばかりに、勃ち上がった中心を扱かれる。先端から漏れる先走りを塗り付けて、射精を促すように愛撫される。齎された強すぎる快楽の波に、俺は声を上げ四肢を突っ張り、絶頂へ昇り詰めた。
 後処理が面倒臭いから中出しするな、と言いたかったが、そんな間もなく、精液を最奥へと注がれる。あれ、何時からあんた早漏になったんだ?人の事言える立場でもないか。躯を震わせて余韻に浸る俺に、呆気なく繋がりを引き抜いたベルナルドは、上に覆い被さってくると、額をくっつけてきた。

「今日は、これくらいにしておくかい」
「…ダーリン、もう歳かしら」
「はは、冗談だよ」

 宥めるように、キスされる。くっそ、だからそれは反則だっての。藻掻いて足掻いてどうにか抜け出そうとする俺をそれだけでいとも簡単に留まらせて、嗤っているんだ。もう、入り込んでくる舌を拒む気力も失せた。させたいようにさせて、優しすぎる愛撫に酔いしれる自分の躯に、俺は全てを委ねる事にした。



 少しずつ浮上してきた意識に、また朝が来たのだと思い知らされた。いやによく眠れたのと、目覚めが良かったのがまたムカつく。夢といちゃいちゃ戯れる気も微睡む気も起きず、目を開けて隣を一瞥する。ベルナルドがいない。いる筈もない。次の日に仕事があろうがなかろうが、目が醒めればそこには誰もいないのだ。
 皺の寄ったシーツ、鼻にこびり付く臭い、中に注がれた、体液。こんな甘ったるい余韻を残すなら、いっそ何もなかったかのように消し去ってくれれば良いのに。
 そうだ、これが俺の日常だ。何も変わった事なんてない。型に嵌まった、抜け出せない悪循環。今までそう言い聞かせてきた、平気だった筈なのに、胸をきつく締め付ける何だか分かりたくもない感情が、つい、溢れてしまった。頬を伝うそれをどうする気もない。これは、ただの自己満足だ。放っておかれてる俺って可哀想、ベルナルドの所為で泣いてる俺って可哀想。ただその事実に陶酔しているだけだ。こんな姿を誰かが見たら、同情とかしてくれるのかな。

「…おいジャン、いるか、」

 あーあ、最悪だ。こういうカンは当たって欲しくないってのに。今、二番目くらいに遭いたくない男としっかり目が合ってしまった。入るならノックくらいしろよ、とか文句を言ってやりたかったがそんな余裕はない。見られてしまった。男泣きにしては情けない、みっともない顔を。ベルナルドとの関係は周知の事実だけど、破綻寸前だとは気付かれたくなかったな、なんて、ワガママ。

「お前…っ、その、悪かった」

 とか何とか言いながら、部屋から出て行く気がないのは何故なんだ。もはや声を張り上げる気力さえなかった。今何か言ったところで、何の説得力もない。歩み寄ってきたルキーノは、ベッドに腰掛けると、小さく俺の名前を呼んだ。違うんだ、俺が呼ばれたいのは、あんたじゃないんだ。こんな思いをしているのも馬鹿馬鹿しくなって、込み上げた自嘲を、そのまま押し出してしまう。

「…っ、わらえよ、…笑えば良いだろ、ほら、笑ってくれよ、ルキーノ」

 分かり切っていた事だ。それなのに、こんなに胸が締め付けられるのは何故なのだろうか。なあ、あんたなら分かるのか?
 堰を切ったように、止まる事を知らないぐちゃぐちゃの羅列が喉から溢れてくる。こいつに愚痴っても仕方ない筈なのに、共感して欲しいみたいに。嗚呼、駄目だ。こんなの、そこらへんの女と一緒だ。女々しい。情けない。

「…捨てられる事が怖くて、現状に甘んじて、一人で泣いて…それに浸ってんだから、マジ、笑えるよな。ばっかみてえ…どうせ、俺なんてあいつにとってただの、お遊び、っ…ん!」

 その先の音は、そのまま奴に飲み込まれた。首根を掴まれ引かれると、唇を塞がれていた。咄嗟に引き剥がそうとするも、体格の良い男の腕にがんじがらめにされ、それも叶わない。(抵抗らしい抵抗なんて最初からする気もない癖に)ほんの数秒で唇を解放した彼を罵倒する事も、口を拭う事も忘れ、俺は腕の中に収まっていた。

「…は、はは…弱ってるところに付け込まれるってこんな気分なのねー、落ちそうだワ」
「もういい、何も言うな」

 地を這うような低い声音。縋ってはいけない筈なのに、脳裏にちらついた恋人の顔が、次第にぼやけていく。これは、彼に嫉妬させたい訳でも、意味がない訳でもない。間違っている事も、どうにもならない事も知っている。けれど、寂しかった。俺はただ、ベルナルドに振り向いて欲しかったんだ。
 嗚呼、これでめでたく俺もビッチの仲間入りか。もう一人の自分が嘲ったそれには聞こえない振りをして、俺は、ルキーノの背中へぎこちなく腕を回していた。やはり、抱き心地には違和感を覚えた。




夢のまた夢
(好い加減微温湯に浸かるのはもううんざりだ。それならいっそ、悪夢に苛まれる方が救いようがあるというものだ)





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