・残念なベルナルド




 彼は俺の事を知らない。斯く言う俺も、彼の事をよく知らない。毎朝この時間、この電車の先頭車両に乗り進行方向左側のドアに寄り掛かって景色をぼうっと見ている事くらい。今日の食事はまた菓子パンかな、もう少し良いものを食べた方が良いのに。髪型はセットか寝癖か見分けが付かないけれど今日はそれなり。歯は磨いているかな、風呂に入っているかな。こんな満員電車の中で異臭を放たれた日には興奮して適わないじゃないか。
 背後から近付いて、腰へと手を這わせる。ぴくり、と肩が揺れたのが分かった。どんな顔をしているか分からないのは口惜しいが、今はこのままでいい。そのまま引き締まった形の良い尻へ下ろして、やわやわと撫で回す。流石に気付いた彼が制止しようと試みるも、残念ながらその細腕は束ねられてしまう。嗚呼、可哀想に。こんなところで、見ず知らずの男に痴漢されるなんてきっと夢にも思わなかっただろう。
 暫し尻を堪能した後、前へと手を回す。ベルトを解いて寛げれば、微かに甘い吐息が漏れたのが分かった。未知の快楽への不安とそれ以上の期待。何も知らない無垢な青年を支配しているかと思うと、ぞくりと背筋が震える。

「は…」

 荒くなる呼吸。もはやどちらから発せられた喘ぎかすら分からない。下着越しに形を確かめるように掌で包み込んでやれば、逃れる為にか太腿をもぞもぞと擦り合わせていた。残念ながら俺には期待しているようにしか感じられない。
 もう少し、後少しで直接彼のペニスに触れる事が出来る。垂れそうになる涎を何とか口内に留めていると、電車が大きく揺れた。どうやら停車駅に着いた模様だった。大丈夫。こちら側は開かないから、もっと楽しもうね、ジャン。そう言葉を飲み込み、反対側のドアが開いた、その時だった。

「ぐっ…!」

 不意に痛みが躯を突き抜ける。踵で思い切り足を踏まれたらしい。痛みに上がる呻き声が情けない。間髪入れず腕を掴まれ、そのまま出口へ突き出される。あれ、違うだろう、ジャン。お前の降りる駅は三つも先、

「おい、降りろ」

 突き刺さるような低音。そんな声を聴けるなんて思ってもみなかった、なんて、ね。これは俺の頭の中で繰り広げている日常。御縄になるまできっちり妄想して、今日も一日が始まる。一体何処からだって?始めからに決まっているじゃないか。




火傷火に懲りず
(失敬な、この程度で火傷なら彼の事を想う余り灰になっている)





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