15Q 1
「それではこれより、Aブロック準決勝第一試合、誠凛高校対、正邦高校の試合を始めます」

 程無くして、誠凛VS正邦の試合を告げる声が会場に響いた。

 誠凛一同は、相手を打ちのめす意志と覚悟を掲げながら、センターラインを挟んで相手を睨む。
 スタメンはいつものメンバーと同じ――否、今回そこに黒子の姿はなかった。

 代わりにいるのは、長い白髪をポニーテールにまとめて背中に流し、白いバッシュでフロアを踏みしめる、橙野 白美。
 今まではシャツを着ていたが、彼は今、誠凛のユニフォームを纏っている。
 だから彼が相当な体つきをしていることが、誰しもの目に明らかだった。
 加えて闘志を秘めたオレンジの眼と薄らと吊り上った口角が、得体の知れない凄みを放つ。

 先ほどの、津川へのアクションもあった。

「うわ、さっき胸倉掴んだアイツ、スタメンかよ」

「強そ……、なかなか迫力あるなあ」

「アイツは戦力外って――、ノーマークだぞ……!」

「でも、足ぐるぐる巻きだぜ? ホントにできんのか」

「つーか、痛めてる選手だすかよ普通」

「誠凛は選手少ないから、苦肉なんじゃないの」

 観客席の大部分が白美に注目し、見極めようとしていた。
 そして正邦の面々からの視線は、その比ではない。 

(テーピング……、確かに怪我はしているようだ。だが、実際こうして出てきたとなると――)

 正邦側の選手達の指先が、警戒で微かに強張る。
――彼の力は、いかほどか。

 その隣のコートでは、自分たちの試合に集中している面々の傍らで、緑間と高尾が白美に目線をやっていた。
 コートに立つ姿に、それぞれ軽く目を見開く。

(出るのか……? 橙野――)

(へえ……、おもしれーじゃん)

 そうして――、ティップオフの時がきた。




その頃、二人会場を訪れている黄瀬と笠松は、フロアを見下ろす二階席に向かっていた。
明るい光の差す廊下を並んで歩きながら、笠松は黄瀬を睨みつける。

「ったく、てめえがちんたら飲み物とか買ってっから、始まってんだろうが!」

 後頭部を軽く殴られた黄瀬は、「いって」と前につんのめる。

 そうこうして二人は二階席に続く階段を上り、フロアを見下ろして――立ち止まった。
 否、立どまらざるを得なかった。

「え?」

「ん?」

 暫し二人はスコアボードから目が離すことができない。

 6:23 0-12。

 正邦のリード。

 一拍、目が見開かれる。

「えぇえ〜!?」

「おいおいマジかよ……」

 2人は衝撃を受けたまま、傍らの席に腰を下ろした。

「――ってか、嘘! うのっち試合出てるし!?」

 ここでようやく黄瀬は、コート上を駆ける白美の姿に気付いた。
 実質上マネージャーである「控え選手」だった今までとは違う。
 彼は足にテーピングさえしているものの、他の選手とさして変わらない様子でコート上を動いている。
 しかもこの時間に出ているということは、間違いない、スタメンだ。
 ベンチを見れば、代わりに黒子が控えている。

「体力温存か? 勝ち上がるつもりだと。でも怪我してる選手を出して、そこで差を付けられてるようじゃ……」

 前回の対戦の数日後、黄瀬から白美についてある程度の情報を得ていた笠松が小声で言う。
 黄瀬は黙り込んだ。

 現状、誠凛は負けている。
 そして、実際前にすると想定を上回っていた相手のディフェンス力に、攻めあぐねていた。





 火神にしつこく付きまとう、笑顔の津川。

(このやろォ……! マジ、ディフェンスだけなら黄瀬並みだ!!)

 火神はドライブで彼を抜くことができないまま、ボールをキープし続ける。

「火神! 持ち過ぎだ! 寄越せ!」

 それを、伊月は咄嗟にボールを受け取ることでフォローした。

「はやっ!」

 相手の春日を驚かせる身のこなしだ。
 伊月はそのままリング前へと走り、ジャンプしてボールをリングに放つ。

 ここで漸く得点が決まるかと思われた。しかしそこで、センター岩村が飛び上り、ボールを叩き落とす。

(完全フリーだと思ったのに、イキナリ現れやがった……!)

 早速岩村は味方にパスを送り、オフェンスに切り替わった中で伊月の動きを遅らせる。

「甘いな。その程度のオフェンスでは、うちのディフェンスは崩せない……!」

(守りかってえ……やんなるぜ! 流石東京最強!)

 日向も走りながら相手の実力に険しい表情だ。

「誠凛、まだ点がとれない!!」

「すげえ!」

 座席では、正邦への感嘆の声が飛び交った。

「なぁ〜にやってんスか、もう〜」

 青いシートから試合を見守る黄瀬も、これには苦笑気味に声をあげる。

「あぁ……、橙野以前にこの前やって思ったけど、誠凛はスロースターターっぽいな。けど、そこでいつもしょっぱなアクセル踏みこむのが火神なんだが……。そいつがまだこねえから、なおさら波に乗れてねぇ」

――原因は、津川。

 火神は相変わらず津川のディフェンスを抜くことができず、その大事な一歩が踏み出せないでいる。

「津川! 張り切るのはわかるけど、後半バテるなよ!!」

「大丈夫ッスよ! 思ったほどじゃないんで、余裕ッス!!!」

(橙野いるし、あんなことされたからマジどうなるかと思ってたけど――大したことねえし)

 先輩のかけ声に、津川は快活な笑顔で返事をした。

 上手く動けずイライラが募っていた火神は、その一言にスッと目を細める。
 眉間の皺が深まった次の瞬間には、「んだとてめぇ!!」と津川の横を無理矢理突っ切っていた。
 途端津川はよろけ、審判は笛を鳴らす。

「チャージング! 白、十番!!」

「っあ!!」

 ハッと振り返るも、もう遅い。ファールだ。

「ったく、あのアホ〜。どんだけ血が上りやすいのよ!」

「火神、落ち着けー!!」

 ベンチの先輩たちが火神に向かって声をあげる。
 火神の相変わらずの気の短さに、白美も深い溜息を洩らした。

「火神、これでもうファウル2個目だよ。5つで、退場」

「わかってるよ……。やっぱ、コイツらの動き、何かすげえやりづれえ」

 火神は眉を寄せて吐き捨てた。白美は肩を竦める。

「火神なら抜けるんじゃないかと思ってたんだけどなぁ。流石にキツかった? まあいい――火神が津川を引きつけてくれているおかげで、俺は予定通りに動けるからねェ」

 そう言うとフッと笑って、火神の隣を離れた。

「……しらが?」

 火神は、彼の言葉と表情に、微かに首をかしげる。

(しらがが試合中今までそう目立った動きをしていた憶えはねぇ。つーか普段の練習とか、この間の練習試合の時の方が、ずっといい動きなくらいだ。センパイ達も、オレもしらがも、正邦のディフェンスに……。それなのに、コイツは、しらがは――笑って、る?)

 すぐに試合は再開されるが果たして、津川のディフェンスで火神は動けない。

(マジかよ……、火神を止められるのなんて、キセキの世代と橙野くらいだと思ってたのに……)

(パスもろくに出せないなんて……)

 日向やリコをはじめとした誠凛の面々の表情は、勿論険しい。
 それなのに何故白美はそんなに余裕そうなのか。火神にはわからなかった。



 と、しばらくしたところで、白美が正邦のディフェンスをさり気に外した。ボールを奪ったばかりの伊月が、タイミングよくそこにパスを出す。

 白美は、すぐさま追い付いたディフェンスに一瞬口角をあげると、ドリブルを始めた。

 実の所今まで、白美はそこからドライブで相手を切り抜けるということを一度もしていなかった。
 受け取ったボールは、全てドリブルでキープした後、パスで味方に流していたのだ。 

――何故攻めないのか。
 いや、攻められない、試合前の行動に反して所詮は「つなぎの要員」。
 正邦の面々は白美への警戒を緩めていた。 

 ドリブルをしながらぐるりと見回す中で、それのことは白美によく伝わっていた。
 口角が吊り上ろうとした。けれども味方はディフェンスに阻まれ誰一人としてパスを受け取ることができない状況だ。
 白美は一息ついて、険しい表情を作った。



――先程の火神と同じように、白美もその場で止まっている。しかもこれが1度目ではない。

(まただわ。パスコースがない!)

 正邦の強固なディフェンスに、あの白美もが攻めあぐねる。元帝光一軍、怪我があるといえども一流、その彼を以てしても。

(正邦、ホントにここまでとは……!!)

 リコは顔をゆがめてこぶしを握りしめる他なかった。

 そして似たような反応を、客席の黄瀬もしていた。

「えぇ〜!? うのっちがボール受け取ってあんな風に止まってるとこなんて、オレみたことないッスよ!!」

「あぁ……、正邦のディフェンスは、全員マンツーマン。常に勝負所みたいに超密着でプレッシャーかけてくる。だから、ちょっとやそっとのカットじゃ振り切れねえ。今は出てないが、黒子のパスもいくら凄いとはいえ、フリーが殆どできないんじゃ威力半減だ」

 笠松は、苦戦する誠凛と良い調子の正邦を腕組みをしながら見下ろして言う。

「う〜ん、まあ、ディフェンス厳しいのはわかったッスけど、こんなやり方じゃ最後まで体力持たないッスよ?」

「あいつ等は持つんだよ。なぜなら――」

 が、笠松が言いかけたその時だった。


 試合会場の空気が、ざわっと一瞬揺れる。
 コート上はなおさらだ。

 誠凛、正邦問わず、一同は白美に瞠目していた。

 なんと「仕方ないなぁ……」――白美はそう呟いた後、密着していたディフェンスをフェイクをかけてあっさりと抜いてしまったのだ。
 ここへきての、あまりに唐突な展開だ。

「なっ!? 抜いたッ!?」

 一拍置いて、ようやく状況を把握したのだろう。白美のディフェンスについていた正邦の選手は、咄嗟の反応をみせる。

 しかし彼が動いた時には既に、白美は手から宙へとボールを送り出していた。
 誠凛の各々にべったりの他の選手は勿論、これに対応できない。
 コート内のみならず客席の空気までも、一瞬その動きを止める。

「嘘だろ……、3P――!?」

 誰かが、掠れた声で呟いた。
 その頃には、ボールはセンターライン付近から高く遠くに離れ、リング付近で下降を始めていた。

 白いバッシュが、軽やかに床に降りる。
 ボールは間もなくリングの中心を通過し、スッとネットを抜けて地面に落ちた。
 直後、会場に、ピーというブザーの音が響く。

――白美の3Pシュートによる、誠凛の初得点。

 スコア、3‐12。

 静寂を一拍挟んで、会場は途端に「おぉおおお!」という歓声で満たされた。

 同時に、コート内の両者はかなりの戸惑いを見せる。

「っは!? え、っちょ、橙野。お前今、どうやってディフェンスを……!」

 真っ先に日向が白美に尋ねた。
 白美は柔らかく微笑みながら、極々自然に答えを返す。

「どうやって、って、普通にフェイクをかけただけです。それより先輩、早く戻らなきゃ」

「っ、そうだけどよ……、つかお前――今どっからシュート打った?」

 同じ3Pシューターとして、日向は白美に明らかな違和感をおぼえていた。

「え……、そこですけど。何か?」

 尋ねられて白美が指さす先は、センターラインから1m強離れた程度の場所だ。
 どう考えても、リングから離れている。
 にも拘らず、今のショットは恐ろしいほど正確にリングを抜けた。

 それはさながらキセキの世代、緑間のシュートに酷似していて、日向は目を細めて白美の横顔を凝視する。

(橙野は、努力で中学時代のキセキには追いついたと言っていたが――、そもそも、それ自体おかしくねぇか……? 誰も努力で追いつけなかったから、アイツらはキセキの世代なんて呼ばれるようになったんだろうが……)

 湧き上がった微かな疑念が、少しずつ膨らんでいく。

「先輩、何見てるんですか? 早く戻らないと」

 とはいえ、日向の疑いは、半ば本能的にそれを察知した白美によって遮られることとなり、この場からは流れることとなったのだが。

 
 しかしベンチのリコは、そうはいかなかった。
 突然の3Pシュートに騒然とするコート内を、顔をこわばらせて凝視する。
 視線の先、明らかに戸惑う日向と声をかわしながら、白美が小走りに移動していく。

(え、あまりにもあっさり過ぎて、まるで相手の隙をたまたま突いたとか、あわよくば攻めあぐねたから打ったら入っちゃったラッキー、くらいに見えてしまう。でも違うんじゃ? そうじゃなくて、橙野くんは元々動けた? 見切っていたのに、今まで積極的に攻めることなく苦戦してるフリをしてた?)

「黒子くん、今のって……!」

 思わず尋ねる。
 傍らの黒子は、じっとコートを目に映したまま、口を開いた。

「多分、それで合ってると思います」

「……!!」

 見開かれたリコの目には、今度は伊月に「ナイスシュート!!」と声をかけられて、柔らかく微笑む白美が映る。

(そんな、一体どこまで計算してるの……??)

 
 ところで、その頃白美のプレイに脅威を感じていたのはリコだけではなかった。
 コートを移動しながら快活に笑う伊月は内心、確かに驚愕していた。

(あれは間違いなく、完全に正邦を見切ってる。でも俺たち同様に苦戦しているって風に装って、しかもパスの中継しかやらない、否、「できない」風に見せかけていた。「この程度か」と正邦の警戒は緩んでたはずだ。たとえボールを持ったところで攻めはないと、俺すら判断しちまった。当然ディフェンスはパスを塞ぐことを考えた。でも、橙野はそこでマークを振りはらっちまった。放された方は驚いて反応が遅れる。他のディフェンスはマークしてる相手に気を払っているせいで反応できない。――確実に、3Pが決められる。ロングレンジの見事な3P、それもあっさり守りを壊して。再び相手に警戒される、――操っている。……でもなんで今? 初めから攻めずに俺たちに回していたのは何故……、いや、まさか。だとしたら)

――それはもう、狡猾どころの話でない。



 その頃、客席では誠凛の今回初の得点を受けて、黄瀬と笠松が白美の事を話題にしていた。

 コートの白美を見下ろす黄瀬の目付きはどこか鋭い光を帯びていて、笠松の表情は無意識だろうが少し強張っていた。

「先輩、さっき『体力温存で』うのっちが出てるって言ったッスよね」

「嗚呼……。でも、どうやら、そうでもないみてえだな」

「――おかしいとは思ってたんス。白美っちがたとえ怪我して本気のプレーをできない状態だとしても、今までの動きは明らかに悪すぎるって。うのっちは伊達に『トリックスター』なんて呼ばれてたわけじゃない。総合的なバスケセンスや頭脳とかはもちろん半端じゃない上に、トリックとかディフェンスに対する突破力とかは特に、俺達の中でもトップクラスだったんス」

「マジかよ」

「んで思った通り、今、うのっち明らかにサラッとディフェンス抜いたっしょ? しかも、そっから緑間っち並みの3P……。分が悪いから、1Q中に点をいれたって感じッスかね。抜いてからの得点までできるクセに、今まではワザと相手を抜かないで、味方にパスを回していたとしか考えられないッス」

 そう言う黄瀬は、ほんの少しだがコート上にいるときの様なオーラを放っていて、笠松はゴクリと喉を鳴らした。

「つまり、橙野が今ここで出てるのも、戦略のうちっつー事か」

「あの人の考えることはサッパリわかんないッスけど、うのっちが何の策も持たずに試合に臨むこと自体有り得ないんス。そもそもうのっちは、先輩の思ってるより遥かに危険な存在ッス。ハッキリ俺の見解を言うと――」

――「この試合、誠凛が勝つッス」。

 そして、問題は、誠凛がいかにして勝つかである、と。

 黄瀬は、コート上で白髪を揺らし穏やかに微笑んでいる白美の姿を、細い目で凝視しながら、言った。

 そうしてブザーが鳴り、第1Qは3‐12、正邦のリードで一時停止した。

(Stomp the grass to scare the snake)

*前 次#

backbookmark
79/136