07Q 1
 第2Qで、白美のヒントを元にして黒子・火神が練った作戦は好調、誠凛の反撃が開始されたかと思われた矢先。
 突発的なアクシデントで、戦術の要であった黒子が負傷してしまった。

「大丈夫か、黒子!!」

 体育館内が騒然とするなか、日向が慌てて駆け寄った先――、黒子はふらふらと立ち上がる。
 額から顔にかけて流れ落ちる鮮血がなんとも痛々しい。

「――ふらふらします」

 日向はどことなく姿勢が安定しない黒子の頭を両手で包むようにして、傷の具合を確かめる。

「救急箱、持ってきて!!」

 黒子は勿論心配だったが、戦術が崩れた為に白美はコートを前に有効な代案を探っていた。
 しかしリコの言葉にハッとして、急いで脇にあった救急箱を抱きかかえる。

「大丈夫かよ!」

 コートでは、火神が震える声で黒子に詰め寄る。
 だが、黒子は流血している側の目を閉じているとはいえ、しっかりと火神を見返した。

「大丈夫です。まだまだ試合はこれからで、しょ――」

 しかし、試合中の流血は黒子の身体には相当応えたようだった。
 黒子は、言いかけたところでふらっと、地面に倒れる。

「黒子ォ!!!」

 日向は、頼みの綱である黒子が倒れた姿を前にして、悲痛な叫びをあげた。
 海常メンバーは、コート内から表情険しく様子を見守っている。

「終わったな――、不本意ではあるが、あの1年コンビが欠けた以上、後は点差が開くだけだ」

 笠松が、自身のユニフォームで汗を拭いながら、黒子を遠目に見る。
 本当は、正々堂々と正面から彼らと闘い、勝利したかった。
 こんな終わり方は、望んではいない。
 だが、彼らが欠けたとすれば、もう誠凛は脅威ではない――、笠松は信じて疑わなかった。

 黄瀬も、自身が彼を傷つけてしまったという申し訳なさと、闘いが不本意に終わってしまうことへのやるせなさに、喪失感を拭えないでいた。

 しかし、今の黄瀬には黒子以外にもう1人気になる存在がいた。
――誠凛マネージャーの、白髪。

 横たわる黒子と、傍らでその傷の処置を急ぐ白髪の男。
 外見からはどうも確信は得られない。
 しかし、先程の声はやはりどう考えても……。

「うのっち……?」

 黄瀬は呟いた。
 ところが、彼は次々と流れる血を拭いながら、まずは止血をしようと試みている。
 処置をしているのだから当然なのだが――はて、記憶の中の彼は意外なことに血が苦手ではなかったか。

「やっぱり……、わかんねぇッス」

 もしかしたら、とは思うのだが、確証が持てない。
――それこそが、彼である証なのかもしれないけれど。いや、これ以上の追求は、後でいい。

 黄瀬は、誠凛のベンチに背を向けた。





 誠凛側では、ベンチに運ばれて横たわった状態で白美とリコの処置を受ける黒子を、メンバー全員が取り囲むようにして見守っていた。

「黒子くんはもう出せないわ。残りのメンバーで、やれることをやるしかないでしょ」

 円状に集まる誠凛メンバーに、リコが言葉をかける。

 「やれることって……」、「黒子いないとキツくね……?」と一年の二人が、弱気な声を上げる。
 その通り、実際、状況は非常に悪かった。
 白美としても、試合中低確率で事故が起こる場合の展開も想像してはいる。
 だが、よりにもよって要の黒子が、このタイミングで、しかも黄瀬相手の試合で、ときた。
 想像はしていても、実際、只でさえこの先の試合展開は「キセキ」相手。
 不確定要素が多いというのに。
 白美の観察眼を持ってしても、この先どうなるか、定かではなかった。
 2年衆と火神が、どこまで海常に食いついて行けるか。

 だが、これだけはいえる。

――黒子抜きで海常にどこまで食らいつけるかが、ある意味チームの強さの指標。
 しかし、――黒子をもう一度出さないことには、黄瀬は止められない。肝心な勝利は、得られない。

 黒子の怪我によって、チームは追い詰められた。
 ある意味、白美が真に求めている状況がこの先実現するということ。

――黒子抜きの、チームの実力を、確かめるまたとない機会。

 だからこそ白美は、この場の指揮では、2年からの信頼も厚く、彼らの情報をより知り得ているリコに口出しをしなかった。

 そして、彼らの背後、ベンチの奥で横たわる黒子のコンディションを少しでも回復させる措置を、全力で行うことにつとめた。

「オフェンスは、2年生主体で行こう。まだ第2Qだけど、離されるわけには行かないわ。早いけど勝負どころよ、日向くん」

 リコは、冷静に主将日向に告げる。

「ああ」

 日向も、短く返事をした。
 ピリピリと肌を焼く様な緊張感が、選手たちを包む。

「黄瀬くんに返されるから、火神くんオフェンス禁止。ディフェンスに専念して。全神経を注いで、黄瀬くんの得点を少しでも押さえて」

 だが、火神は日向とは違い、リコの言葉に身を乗り出した。
 守りのバスケとは、納得いかない。

「そんな! それで大丈夫なんですか!」

 白美は、リコに迫る火神を前に、少し顔をあげて声を出した。

「従うべきだ、火神」

「っ、しらが……!」

 火神は、それでも、と顔を顰める。
 日向が、火神に声をかけた。

「大丈夫だって、ちっとは信じろ」

「っでも!」

 諭すように言った言葉にさらに噛み付かれ、日向は笑顔でイラッとほほにしわを刻む。

「大丈夫だっつってんだろ、ダァホ。たまには先輩のいう事聞けや、殺すぞ」

 日向からブラックオーラが立ちのぼる。

「えっ」

 火神は、日向の怖い一面を前にして、貌を強張らせて黙った。

 試合再開が、近づく。





「――、ごめんなさい。それに、血、苦手ですよね」

 不意に聞こえた呟きに、白美はハッと眼鏡の奥の瞳を開いて、黒子の貌に視線を落した。
 確かにその通りだが、よくもまぁ憶えていたな、と思った。
 それから、否、キセキの世代は全員もう知っているかと思い返す。
 口角が意識の外で吊り上る。

「テッちゃんが言う程でもないって。それに処置はちゃっちゃと終わらせたいし、いちいちビビっちゃらんねぇって」

 白美は、彼以外に聞こえない様に、黒子の耳元で囁いた。
 黒子は、じっと白美の双眸の奥を見つめる。

「そうですね。僕の怪我、生かしてください。――それでこの先、どう見てますか」

 黒子の言葉に、白美は一瞬瞳孔を広げた。
 そして、ニヒルな笑みを顔全体に浮かべる。

「――流石黒子、わかってやがったかぁ」

「信じてる、って言ったでしょ」

「嗚呼……。フッ、そうだねぇ、暫くは先輩たちの実力を見せてもらって――黒子と火神で涼ちゃんギャフンと言わせるのは、もうちょい先になることを――期待」

 飄々とした声音で、喋る。
 しかし裏腹に、白美の目は鋭く体育館のライトの光を反射している。

「――、先輩の攻撃力がいかがなものかによって、大きく変わるとしか言えない。生憎まだ、先輩ズのデータは不十分極まりないからねぇ。とりわけ、メンタル面で圧倒的に情報不足。最大の不確定要素ってとこ。で、涼ちゃんと火神――、これは情報的には比較的足りているとして、涼ちゃんの成長速度は想定より早い。でもって、火神だけでは、彼は間違いなく止まらない」

「ということは、ボクが」

「そ。必然的に、テッちゃんにはまた出てもらうことになるよ。今はっきり言えるのは、こんだけかなぁ。――俺の専門は試合予測やらデータとることやらじゃないし」

 白美は、声を一段下げて告げた。

「この試合、今は見守って、準備するしかないね」

 と。

 黒子が、白美の言葉に「はい」と頷いた時。
 ちょうど、試合再開の笛が鳴った。

「ったく、今時の1年はどいつもこいつも。――もっと敬え! 先輩を! そしてひれ伏せぇっ!!!」

 日向に関する話を聞いていない火神と黒子、他1年達は、皆引き気味で、声を荒げる日向をコートへ見送った。

「スイッチ入って本音漏れてるよ〜、キャプテーン! 気にすんな、クラッチタイムはあーなんの」

 伊月は、きょとんとしている火神を見上げて言う。

「え」

「取り敢えず、本音漏れてる間はシュートそうそう落さないから。オフェンスは任せて。お前はディフェンス、死に物狂いで行け」

 黒子抜きで、試合が再開する。

「リコ先輩、先輩方の実力、大きく見積もっても構いませんよね」

 白美は、黒子の隣でベンチに座るリコに尋ねた。

「――、勿論よ」

 リコは、大きく頷くと白美に微笑みかける。

「だって、黒子」

「ハイ」






 程無くして、試合が再開された。
――誠凛の攻撃。

(スクリーン! 渋いタイミングでやりやがって……!)

 小金井が仕掛けたスクリーンに、海常側の選手が顔を顰める。
 更に、伊月がフェイントをかけて海常笠松の隙をつくり、奥で待つ日向にボールをパス。

「コイツッ!」

 海常8番は動こうにも、水戸部に阻まれて動くに動けない。
 その間に、日向はシュートモーションに入り、フリーでボールを放った。

「優しい時は並みの人。スイッチ入ると凄い、――けど、怖い。二重人格クラッチシューター、日向順平」

「ざまぁ」

 日向は、ボールが大きく弧を描き、見事リングへと収まったのを前に、ニヤリと笑う。

「沈着冷静慌てません。クールな司令塔かと思いきやまさかのダジャレ好き、伊月俊!」

「――やべぇキタコレ!」

 リコが紹介する端から、伊月は思いついたダジャレへのヒラメキに興奮の声をあげた。

「仕事きっちり縁の下の力持ち、でも声誰も聞いたことない。水戸部凛之助」

 白美が視線をやった先で、水戸部はいつもの様に穏やかな表情をしている。

「なんでもできるけどなんにもできない、Mr.器用貧乏! 小金井慎二」

 偶々リコの紹介を聞いていた小金井は、その言い様に「ひでぇ〜!」と涙を流した。
 リコは、強気な笑みを浮かべる。

「――生憎ウチは、一人残らず諦め悪いのよ!」

「どうやら、そのようですね」

「うん!」

 白美は、リコと笑顔を交わした。

――やはり、誠凛を選んで良かったかもしれない。これなら、近いうちに俺のバスケができる日が、来る。

 白美はギュッと膝の上の拳を握りしめる。
 バスケをしたいこの衝動が、満たされるその時を想像すると、思わず身震いがした。

 黒子は薄目に白美の背中を見上げ、そして、目を閉じた。

(referee-time)

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