18Q 1
高尾はトイレに行くと言って、何時もの軽い調子で秀徳の控室を出て行った。
だが戻ってきた高尾は何時になく鋭い眼差しをしていて、半ば殺気立っているほどだ。
高尾に何気なく視線を向けた秀徳の面々は、そのことにハッと反応する。
いつもはにやにやと調子よく笑っている男がそんな表情をしていれば、当然周りの者が驚いても仕方ないだろう。
「……、高尾?」
真っ先に彼に声をかけたのは、青いベンチに腰かけて指先のチェックをしていた緑間だった。
「……」
「どうしたのだよ」
無言の高尾に、緑間は更に声をかける。共に、主将の大坪もスッと目を細め、高尾の名を呼んだ。
「高尾?」
高尾は、一拍を置いてゆっくりと口を開く。
「実は、いまそこで、誠凛の橙野――白髪の奴――に会ったんですけど」
その名を出せば、途端に緑間は眼鏡をカチャリと押し上げて目を細めた。
「橙野に?」
緑間が尋ねる傍らでは、宮地が思い出したように顔を顰める。
「中学の頃、『トリックスター』とか呼ばれてたって奴だろ? のくせ、今日自分全否定しちゃってたな。あの様子じゃ誠凛の連中はみんなそのこと知らねーみたいだけどどうなってんの?」
「嗚呼、それに、まるで別人であるのも気になる。アイツがどうかしたのか?」
宮地と大坪に訊かれて、直ぐに答えたのは高尾ではなく緑間だった。
猫カフェで納豆の刑に処せられるなどという話は最早頭に無く、彼の過去を踏まえた予測、そして彼は今や取るに足らない敵であるということを話す。
そうすれば一同は、「そんな事情があったのか」と納得する素振りをみせた。
一方、ただでさえ今しがた白美本人にあんなことを言われ動揺していたのに、言葉を遮られてその上、彼の本性を否定する緑間の話をチームの皆が信じかけている。
高尾は、気が気ではなかった。
「ちょっと待ってください!」
咄嗟に制止をかけてから、ハッとこんな切羽詰った声を出したのは久々だと思った。
高尾は全員の視線が自分に向いたのを確認して、大きく一呼吸すると、今しがたの出来事を話し始めた。
白美がどんな態度で、どんな言葉を自分や秀徳、正邦、誠凛に向かって吐いたのか。
それを話すうちに、室内の空気がどんどん張りつめるのがわかった。
話し終える頃には、殆どのメンバーがムッと貌を顰めている。
だが、緑間は、静寂の中でフッと一笑した。
「っちょ、なんで笑うんだよ」
一同は解せぬと緑間を見る。
高尾が尋ねれば、緑間は更に笑みを深めた。
「フン、彼奴が考えそうなことだ。何、そうやって失態をフォローしようとしているだけだろう」
「えっ……」
緑間の言葉に一同が困惑を見せると、緑間はスッと真面目な貌になって全員を見渡した。
「心配する必要はありません。橙野がトリックスターと呼ばれていたのは過去の話だ。本物のトリックスターは、試合で勝利して涙を流すような、仲間を大切にするような男ではなかったのだよ。そしてあの涙は間違いなく、本物と見た」
それを聞いて、一同は「まぁ確かに」と頷き合う。一部しっかり見ていなかった者たちもいたが、ベンチの高尾はバッチリその光景を見ていた。
試合終了後、突如として涙にのまれた白美。確かにあの姿は演技になんて見えなかった。
(でも、それを素で演じちゃうのが橙野じゃねーの?)
高尾にはまだ疑問が残る。すると緑間は、また口を開いた。
「それにあの黒子が、本物のトリックスターを隣に置いておくとは思わない。黒子は橙野を本気で嫌っている節があった。彼奴が『改心』して過去の咎を顧みでもしていない限り、有り得ない。そして黒子――奴は、橙野の嘘を見抜ける男だ」
――「奴が嘘をついたところで、黒子の眼に全ては見透かされてしまう」。
そして緑間は続けた。
「奴等は誠凛などというチームで、慣れ合っているだけなのだよ。そしてあの男は、それが逃げであり、弱みであるということを自覚しているはずだ。対津川の時に感情的になってしまったことで、俺達にそれが露呈することを危惧した。よって、敢えて過去の自分を演じることで俺達を騙し、自分たちを護ろうとした――、これでFAとみたのだよ」
高尾は、緑間は騙されていると信じ、強い警戒を白美に抱いていた。
けれど確かに、そういわれてしまえば猜疑心は揺らいだ。
百聞は一見に如かず、直接白美の姿を見ていないからそんなことが言えるんだ、と主張することもできたのだが、「演技と嘘が病的に上手い」という話を聞けば、直ぐに判別がつかなくなってしまう。
その結果、彼の言動や情報一つ一つが、疑わしくも信ずるべきように思えてきてしまった。
――どこまでが演技なのか、どこまでが本気なのか。何が嘘で、何が真実なのか。もしくはどれも嘘か、どれも真実なのか。
だが、彼が黒であるという側面を白美が胸倉を掴んだ以外で全く目の当たりにしていないから、先輩達は緑間の言葉を信じるのだろうとも思う。
確かに緑間の言葉には説得力もあるし、決定的とは思えないがそう思われる証拠もある。
そこで、彼はやはり黒だというのは勘ぐりすぎなのかもしれない。
しかしそれでも、高尾は自分の眼で見たものを否定できなかった。
控室内の面々は皆、軽く警戒しておけばいいもの、として白美をみなしたようだ。
最早、白美について議論するような空気ではない。
各々、誠凛戦に向けて自分たちの準備を再開している。
この空気は、秀徳のプレイのためにも壊すことができなかった。
高尾はドサッとベンチに腰かけると、大きく仰け反って天井を見上げる。
(ま、要するに俺が、警戒してりゃいいってことじゃん。それに――、舐められてちゃたまんねーからな)
視界は良好、勝つのは秀徳だ、と拳を握りしめた。
(それに生憎、折られる程俺達は弱くねーよ)
(Doubts beget doubts)
*前 次#
back:bookmark
99/136