06Q 2
「ここっスよ」

 黄瀬に案内されて体育館に着いたバスケ部は、揃って戸惑いに目を丸くした。
 体育館を前と後ろに二分する、天井から吊り下げられた緑のネット。
 半分から入口側では、当たり前の様に部員たちが練習メニューに取り組んでいる。
 奥のコートに目をやれば、中心部付近には椅子や机も並べられており、明らかに全面を使用する空気ではない。

「片面、でやるの? もう片面は、練習中?」

 誠凛の面々は、不満げにハーフコートを見渡す。

――舐められたものだ。

「自分たちにはハーフで十分だ、ということですか。」
――だとしたら、とんだ凌辱だ。まぁ、予想していなかったわけではないが。

 白美は眼鏡の下から鋭く海常の練習風景に視線を走らせながら、いつも通りの淡い表情で言った。しかし、内心呆れ気味の暗い顔で呻いていたのが、黒子の人間観察眼を以てしてわかる程度に漏れていたらしい。

(白美くんの機嫌が悪い)

 その頃リコの目に、水色シャツに黒いパンツを着てクリップボードを持ったメタボ男が映る。

「ああ、来たか。よろしく。監督の武内です」

 挨拶と共に、武内は、誠凛メンバーを見て「お?」と不思議そうな顔をした。

「ところで、そちらの監督は?」

「あぁ、私です」

「は!?」

 武内も、仮入部時の1年の様に、リコが監督だとは思ってもいなかったらしい。

「君が!? マネージャーじゃなかったのか!?」
 
 失礼にも、リコを指さして尋ねる。

 白美は、「マネージャーは自分です」とそっとリコと武田の間に割り込み、薄く微笑みながらも武内に手を下げさせた。

「男のマネージャー? 高身長だが選手ではないのかね」

「珍しいですよね」

「へぇ」

 武内は関心なさそうに、ふいと白美から目を逸らす。
 一方、リコはむすっとしていたが、すぐに作った笑顔で進み出た。

「監督の相田リコです。今日はよろしくお願いしまーす!!」

 笑顔で元気よく頭を下げられて、武内はさぞやりにくいというように「お、おう……」と頭を押さえた。

「で、あの〜、これは……?」

 尋ねられ、武内は少し投槍な態度で「見たまんまだよ」と答える。

「今日の試合、うちは軽い調整のつもりだ」

「調整……」

 リコは、隠す気もないあからさまな武内の言葉に失笑する。

「出ない部員に見学させるには、学ぶ物が無さすぎてね」

 無論それはリコの頭に一瞬で血を登らせた。
 リコは、肩に抱えたバッグの持ち手をギギギと強く握りながら、「はぁ……」と無理矢理作り笑いをして武内と対峙する。

 それは、白美もだいたい同じだったらしい。
 白美は今でこそ一見穏やかにつとめているが、元々キセキの中でもかなり好戦的な方だ。それに、何気に中々高いプライドを纏う男であることを黒子は知っていた。
策略やトリックなら別だが、それを抜きにして単純に舐められることを、彼が快く思うはずがない。
 白美のことだから、舐められることはある程度予想していたのだろうと思う。
 しかし、それにしても白美は好戦的なタイプだ。ひっくり返すことをなしに舐めさせることを許すわけではない。
 黒子が白美の眼鏡の奥を見れば案の定、そこには焔が燃えていた。
 但し、彼は何やら眼鏡に加えて灰色のカラコンでもしているのか――彼の眼は灰色ではあったが。

(これはやばいかもです)

 黒子は彼の内側でくすぶっているらしい感情を垣間見て、相手の監督に心中そっと手を合わせた。

「無駄をなくすため、他の部員達には、普段通り練習してもらってる。だが調整と言っても、うちのレギュラーのだ。トリプルスコアになどならないよう、頼むよ」

 言い残して去っていく武内の背中を、リコは蒼い怒りの炎を纏って見送る。

「舐めやがって……。つまりは練習の片手間に相手してやるって事かよ……!」

 誠凛側に怒りにも似た緊張感が漂い、火神は獰猛に笑う。
 
 白美といえば既に、心は燃え滾ったまま極めて冷えた頭で監督を出し抜く方法を考えていた。
 ひっそりとそこにいる彼を一見して、誰が、彼が策略を練っていると気付くだろうか。

(ハーフコートを全面にさせる方法――、あの武内という監督の度肝を抜く方法――)

 実の所白美は体育館に足を踏み入れた瞬間から、答えを求めて、試合を脳内シュミレーションしつつ、ハーフコートに視線をめぐらせていた。
 そして、気が付く。
 フッと頬が緩んだ。
 黒子の傍に寄り、そっと耳打ちをする。

「打開策は見つかったし、試合は全面でできるよ。安心して」

 耳元で聞こえた囁きが意味するところを察し、黒子は「はい」と頷いた。

(『トリックスター』の名は、伊達じゃありません)

 「上々だ」と、白美は人知れずほくそ笑んだ。






 ところで、これから始まる試合にワクワクしながらユニフォームを着こむ黄瀬に、背後からしかめっ面の武内が声をかけた。

「黄瀬、何ユニフォーム着てるんだ。お前は出さんぞ」

「え?」

 意表を衝かれた黄瀬は、間抜けな貌で固まる。

「各中学のエース級がゴロゴロいるうちの中でも、お前は格が違うんだ」

 監督の断定する口ぶりに、黄瀬は慌てた様に後ろに控えるレギュラーたちと誠凛メンバーを見て、身を屈めた。

「監督止めて〜! そういう言い方マジ止めてぇ〜!」

 だが監督は聞く耳を持たず、「お前まで出したら試合にもならない」とそっぽを向いて行ってしまう。

 黄瀬はこれには酷く狼狽し、困った様に誠凛メンバーを見た。

「言ってくれるね」

「久々にカチンと来た」

 勿論、誠凛メンバーに先程の会話は丸聞こえだ。
 彼らは自制さえしていたが、各々が心に抱く怒気は自ずと表情や態度から漏れ出す訳で。

「なはっ、スイマセン! まじスイマセン! ベンチには俺、入ってるから〜!」

 黄瀬は慌てて誠凛メンバーの前に駆け寄り、ヘコヘコと弁解の言葉を並べた。

「あの人ぎゃふんと言わせてくれれば、多分オレ出してもらえるし」

 黄瀬は右手で武内を指さしながら、左手で口の横に囲いを作って声を潜める。

「それに……、そもそもオレを引きずり出すこともできないようじゃ、キセキの世代を倒すとか言う資格もないしね」

 黄瀬の挑発に、白美は安心しろ、と言う意味を込めて聞こえない程度に「フン」と鼻を鳴らした。

「おい、黄瀬、誠凛の皆さんを更衣室へご案内しろ」

 監督は、誠凛メンバーと交流があるという黄瀬に声をかける。
 だが黄瀬が動く前に、誠凛メンバーは自らぞろぞろと更衣室に向かっていった。

「いや、アップはしといてください。出番待つとか無いんで」

 黒子はそう言い残すと、火神に続いて体育館を出る。
 黄瀬は「え?」と目を開いたが、黒子が残した言葉の意味を察し、目を細めて口角を上げた。

 最後に、白美が体育館を出る。
 
 その姿は、火神や黒子を踊る気持ちで見送っていた黄瀬の眼に、最初は何気なく映っただけだった。
 ユニフォームではない服装に、大きな荷物は、彼が選手ではない証。 
 しかし体格は細身といえ、黄瀬自身と変わらないくらいの高身長。長袖長ズボンで筋肉はハッキリわからなかったが、一見スポーツ選手。 
 
「マネージャー……?」
 
 低めの一つ縛りで肩に流れる、眩い白の髪。
 シルバーフレームの向こう、整った顔で柔らかく細められている銀の双眸。

 優男。そんな印象。
 黄瀬はそう結論付けて、彼から視線を外そうとする。
 
 しかしその時、彼の口角が僅かに吊り上ったのを、黄瀬は見た気がした。
 
「――!?」

 咄嗟に、ハッとして彼の姿を追う。
 しかし、差し込む太陽光の眩しさに彼は溶け、そのまま消えて行った。
 黄瀬は、眉間に皺を寄せて視線を落す。

 何故、反応してしまった。
 それは、口角をあげる仕草が、あまりにも彼に似ていたから。


(まさか――ね)

 そんなはずはないと、苦笑した。

(Can you see my pride?)

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