22Q 2
(マークなんてなかったみたいにあっさりフリーになって、そっから軽々とシュートかよ、ッチ、ほんとに厄介だな、橙野――!)
白美が2点を加えたのを前にして、高尾はまたギリリと顔を歪めた。
今の所極僅かな違いだが、高尾の目には正邦戦の時より白美の動きがよくなっているように見えていた。
注意しないとわからない、ホークアイを持つ高尾及びコート外の人間――それも目がいい者――にしかわからない位、少しずつ、けれど確実に、段々と。
まさか周囲に警戒されない程度に、徐々にアクセルを踏み込んでいるのではないかと、否、きっとそうであると。
何をしかけてくるか全く予想がつかないが、この上なく警戒する必要があると思った。
――それにくらべて、コイツは。
高尾は目の前じっと構える黒子を見て、僅かに口角を上げた。
「随分期待されてるみてえじゃん? けど、何かしようっても、させねえけどな」
「……」
感情の無い眼を、ギラリと睨みつける。
――小細工も正面突破も、絶対に見逃さない。ヤワな遊びなどもっての外。
(さあ、プライドでかかってこいよ……!)
「逃げられねえぜ! オレの、ホークアイからは……!」
口から出た言葉が、一体誰に向けられたものだったかは、高尾自身意識することはなかった。
カッとオレンジの目を見開き、黒子を起点にコート全体を視界におさめる。
コート全体は光に照らされていて、そこに影など僅かも存在しない。
いつも通り、否、それ以上によく見える己の目に、高尾はにやりと笑った。
その様子を片目に、日向は困ったとばかり眉間に皺を寄せる。
(死角がない以上、高尾にミスディレクションは通じないぞ――! それに橙野は一体……)
「どうすんだ、黒子、橙野――!」
見えない勝機に、焦りそうになる。
そんな日向に、背後から声をかけたのは白美本人だった。
「いや、厳密には、全く効かないわけじゃないですよ」
「えぇ?」
思いもよらぬ話に、日向は驚いて目を大きくする。
「高尾のホークアイは、コート全体が見えるほど視野が広い。だから、意識を他に逸らしても黒子を視野に捕え続けるんです――」
と、白美は言葉を切って沈黙した。
「おう?」
「だから――」
そして再び放たれた白美の声は、それまでより何故か一段ばかり低く。
白美は黒子と高尾に向けられた目を、スッと細めた。
コートに入る寸前、黒子から受けた言葉を脳内で反芻する。
――「待ってください、橙野くん。やっぱり僕にも、ちょっと手伝わせてください」。
黒子の申し出は、確かに自分に余裕を与えてくれる。首を絞めるそれを、少しだけ緩めてくれる。その行為を、白美は大人しく受け入れた。
――だから、あとは自分が、彼の眼を引き寄せてしまうだけ。
「先輩、ペース、一旦あげますよ」
白美は、ボールの方にチラリと視線を向け、再び高尾と黒子に戻すと、日向にひっそりとそう告げた。
「え――、……っ」
どういうことかと尋ねようとして、さり気に白美の貌を見た日向は、思わず息を詰まらせる。
無表情の中白美の双眸は、今までの何時よりも鋭いオレンジに輝いて見えた。
「そこで黒子は、意識を自分から逸らす前に逆のミスディレクションを入れる。つまり、自分へ惹きつけるようにする」
白美は、抑揚のない声音で呟く。
それとほぼ同刻、ホークアイでコートを捉えていた高尾は、思いがけない違和感にハッと気が付いた。
(近い……)
「止められても止められてもパスを出し続けたのは、来るべきその瞬間に、高尾の意識を自分に引き寄せ、視界を狭める為――、狭まった視野なら、今度は逸らせられる。そして二重のミスディレクションを受けた高尾は、二度と俺から目を離せない……」
白美は、言い終わるとフウッと呼吸を整えた。
バッシュをキュッと微かに鳴らし、今よりも僅かに腰を落とす。
一瞬の瞑目――黒子が動いたのと、白美が双眸に今しがた日向の見た明るいオレンジを宿したのは、ほぼ同時だった。
「――来るッ!」
会場でそれに最初に反応したのは、客席の黄瀬だった。意図せず、臀部が椅子から浮く。
次の瞬間、オレンジのバッシュが地面を強く蹴る。
同時に動きだしたのは、黒子と白美の二人だけではなかった。ボールをキープしていた宮地が対峙する日向を欺き、ボールが手を離れたのもまた、二人がいざ行動に出たのとほぼ同じタイミングだった。
――偶然か、否、そうではない。
白とオレンジの疾風が、コートを駆ける。
「んなっ!!」
「っあ!!」
白美についていた木村、続いてカットされた宮地がコートでは真っ先に反応したが、まるで、宮地の指からボールが離れる瞬間を待っていたかのように、白美の動きは早すぎた。
その時既に、ボールは白美の所有物と化していて。
「ハッ――!?」
それから一拍遅れて、高尾が白美のカットに気が付く。
(速い――!?)
高尾が白美の姿を捉えたのは、白美が後を追ってマークに付いた木村にちょうど動きを阻まれたところだった。
白美はその場でドリブルをはじめ、木村と対峙する。
「抜かせない――!」
木村はそうは言ったが、相手が悪いというのは秀徳の面々も、言った木村自身もわかっていた。
今までの白美なら、ここを洗練されたドライブで切り抜けるが常だった――、しかし高尾だけは、白美の動きに今までとは違う物を感じ取っていた。
足の置き方――、違う。膝の曲げ具合、腰の高さ、姿勢、ドリブルの動き――違う。
基本に忠実で無駄なく洗練されたそれと形容される今までのそれとは、何か。
確かに、一挙一同が洗練されいて細緻であることに変わりはない。
(でも、なんつーか、これは――、危ねえ!)
何より――、白美の口角がニタリと吊り上っていた。高尾が、トイレとその道中で見たそれと変わらない、「悪人面」。
まるで、木村を嘲笑うかのような、それでいて相手になどならないと蔑んでいるような。
そうして、高尾は白美の口が、何かを木村に向けて放つのを見た。
――「虫けらに用はねェよ、フッ」。
ゆっくりとした口の動きが止まったと思えば、今まで以上に吊り上る口角、深まる笑み。
「っつ……!?」
対し言葉を浴びせられた木村といえば、勇ましかった表情をすっかり衝撃と混乱、そして段々と増えていく憤慨にに歪めていた。
「お前!」
更に、思わず木村の口から出たであろう自分を呼ぶ声を聴いて、その表情を見て、白美はますます目を細め、遂にはいつもの優しげな微笑みをしてみせた。しかしその目は、明らかに人を蔑視する色をしている。
それが示すところは、ここにいるのは他ならぬ「トリックスター」であるという白美の主張であろうと、木村と高尾、たまたま白美の表情に気付くことができたその他の事情を知る者は感じ取った。
「じゃあ、止められます?」
最後に、白美は静かにそう問うた。けれどもそれが答えを求めた問でないことは、木村も直ぐにわかった。
挙動を見逃すまいとし、木村は白美とボールの動きに瞬差で反応する。
右に突き出された腕とボール。
(右か――!!)
速い。確かに速い。だが、決して反応できない速さではなくて、木村は白美の行く手を塞ぐ。
途端に白美の眉間に皺が寄り、対する木村の頭には「いける」という言葉が浮かんだ。
が。
「なんてね」
刹那吊り上った口角に、木村がよからぬものを感じた時にはすでに遅く。
ボールは白美の左手に、そしてしまったと思った時には大きく開かれた左右の足の間を、それは抜けていた。
一拍おいて何をされたか木村が理解した時には、目の前に橙野はいなかった。
まさに、息を呑むようなプレイだった。
ハッとしたのは木村だけではなかったようで、流れる空気の変化を嫌でも感じ取れてしまう。
そしてその時初めて、高尾は自分が黒子を見失っていることに気が付いた。
否、それだけではない。鷹の目が、最早正常に機能していないことにも。
(it's Show Time)
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