21Q 4
 ブザーの音と共に、インターバルが終わる。

 白美の出場という事態により、幾ら緑間が『トリックスターは過去の物』といえど、秀徳の選手達も高尾だけではなく、少なからずの警戒はしていた。
 彼のプレイの質は少なくとも第一流に属している。
 それ以上である脅威はないといえども、根本的にプレイヤーとして油断ならぬ相手であることは変わらない。
 白美が隙を見せられる程弱い相手でないことは、秀徳一同勿論承知していた。

 だがコートに実際に入ってきたメンバーを見た瞬間、その認識はぐらりと大きく揺らいだ。

「は……?」

 木村は思わず、目を丸くする。
 他の面々も同じだ。監督も、薄らと目を見開いている。

 SG・日向、C・水戸部、PF・火神、黒子、そして――、白美。
 ベンチにはPGの伊月が残っている、つまり白美は、PGだ。

 この面子に驚いたのは、勿論秀徳だけではない。
 観客席も、大いにざわめく。

――空気が、揺れた。

 白美は、そのことに、前髪の下でにやりと笑う。
 しかしその笑みは傍からではわからないもので、秀徳の面々からは白美の姿は、俯いて集中し第4Qを待っているかのように見えた。

 白髪をオレンジのゴムで結んだじっと動かない白美の姿を目に、秀徳の選手達は戸惑いの声を口にする。

「え、橙野が、PG……!?」

 宮地は「これは一体」と白美をよく知る緑間に視線を向けた。
 白美のPGとしての出場に若干面喰っていた緑間だったが、周りの空気に気が付いてPGとしての白美についての説明をする。

「――橙野は、元来何より心理戦に強かった。今でもそれは変わらないでしょう。更にゲームの流れを読む能力も、それに応じた戦術の取捨選択の適格さも、生半可ではありません。そもそも奴は、帝光の非レギュラーをPGとして率いていました。『コート上の監督』としての力は、……全国でも間違いなく指折り。しかも、奴はSFもやれるだけあって点が取れる。高尾、恐らくPGとしての能力はお前より上なのだよ」

 そう言った緑間の白美への視線は、一転してピリリとした鋭さを含んでいて、他の選手達は貌を強張らせる。
 この緑間に、そこまで言わせるとはやはり、白美は唯ならぬ相手なのだと身に染みた。

 しかも高尾に関しては、薄々わかっていたとはいえ、はっきりと言われてしまった。
 それも、相棒に、だ。

「うわ、っちょ、マジかよ……」

 苦笑いをせざるを得なかった。同時に、激しい対抗心も禁じえない。

「それに、正邦戦で見た限り、怪我をしているとはいえ、橙野の基本的なプレイはどれをとっても、高校バスケじゃ上の上だと言っていいだろう。Fとしても極めて優秀だ――厄介だな。お前ら、気を付けろ」

 大坪が、白美を眼中におさめながら、引き締まった表情をして言う。
 他の4人もそれに頷きながら、視線だけはやはり白美から離そうとはしなかった。



 秀徳の面々が、白美を滅茶苦茶ガン見している。
 その視線は中々強いもので、嫌でも気が付いた日向は、思わず白美に声をかけた。

「橙野、中々の警戒されっぷりだな、おい」

 俯いていた白美は素早く顔をあげると、日向を見て、一瞬ちらりと秀徳の面々に目を走らせて、それから日向ににやっと笑いかけた。

「そうですね。でもまぁ、正邦とやる前に津川の胸倉掴んだり、さっきも火神殴ったりで、何気目立っちゃってますから、仕方ないです」

「ッハ、まあその通りだな」

 日向もニカリと笑った。
 そうして、白美の背中を労わるように一つ叩いて、早足でその場を離れた。

 白美は遠ざかる日向の背中を微笑んだまま暫く見つめ、そしておもむろにスッと目を細める。
 前髪の下、さり気なく横目を向ければ、その先にあったオレンジの目とかち合う。
 自分のそれと似通った、されどまた違う色は、白美を睨みつけるように捉えていた。
 白美は高尾の視線をビリビリと感じながら、そこに向かってニヤリと笑みをぶつける。

「っ……!」

 オレンジの目がスッと細まり、形のいい唇が小さく引き上げられる。
 白美が笑ったのは、一瞬だ。
 けれどその、たった一つの笑みで、高尾の中の白美の像が決定づけられた。

――緑間は、騙されている。奴は、今も変わらず『トリックスター』だ、と。

 よって高尾は、よりギラリと目を光らせて、白美を睨みつける。
 それを見た白美は、肩を竦めてクスッと高尾に微笑みを向けた。

 柔和な微笑みを浮かべる白美と、剣呑な表情をする高尾。
 高尾が白美を睨みつけているように見える――否、違う。
 二対のオレンジの眼は、どちらも鋭い燐光を帯びている。
 にも関わらず白美の浮かべた笑みは、明らかにコート上の空気からすれば異常だ。
 優しすぎるのだ。

――意味する所、白美は確実に、高尾を煽っている。

 最初こそひっそりとしたやり取りではあったが、気が付けばフロアにいる大部分の人間が、そのことに気が付いていた。

 緑間や客席の黄瀬もそうだが、誠凛の面々も例外ではない。

(橙野、お前は一体何をするつもりなんだ……! だが――)


――頼んだぞ。



 コートに出てきた、黒子と白美。

 白美と高尾の間に1つあったものの、第4Q開始が迫り、それは自然と解消した。
 各々の選手が配置に着くころ、黄瀬が呟く。

「黒子っちとうのっち、出て来ましたね……」

 2人共に、今現在は得に目立った様子はないが、この先彼等が何か仕掛けてこない訳がないだろうというのは想像が容易だ。
 笠松も同様に彼等をじっと観察しながら、思考を巡らせる。

(どうするつもりだ……、高尾がいる限り透明少年は最早切札じゃねえ。それを、どうするんだ)

 このことは、誠凛のメンバー達も疑問に思っていた。

――「高尾を破る術がある」。

 白美はそう言ったものの、具体的な所は誠凛とて誰も聞かされていなかった。
 伊月やリコも、策があると絶対的に言い切られ、そこから先は流されたままだ。
 白美が何かを仕掛けるということ以外は、全くわからない。

 ただそれ以上に、今まで揺らがずそこに定まっていた白美の姿は、今は濃い霧の向こうに姿をくらませていた。
 それは、彼等にとっていくら手を伸ばしても掴めない――まるで幻影かのように。白美を捉えようとする彼等の脳内を少しずつ、着実に翻弄しはじめていた。

 何故、何故、何故、微かな「何故」が1つ、また1つと増えていく。

(そして、俺に対する疑惑の種は『何故』を吸って芽を着実に伸ばす……)

 心から真剣に祈るような、されどどこか不安げなチームメイトの表情を、白美はコート上で独り、ぐるっと見回した。

 来る日に、彼等は一体どのような眼で、どのような表情をして、自分の姿を見るのか。
――それとも、見向くことすらしないのか。

 白美は俯き、瞑目する。
 幾ら白美といえど、不安を感じない訳がなかった。
 一手、また一手と進める度に、自分の首が絞めつけられていく。
 首を絞める悪魔の手は、ケタケタと笑う、他ならぬ自分自身の手だ。
 彼の手を払うことは全く以って簡単ではないということを、白美は知っている。
 可能性があるとすれば、生きるか死ぬかの極限の状態を超えて初めて、彼を押さえつけることができるのだということも、知っている。
 だからこそ今こうして、白美は闘っていた。

 けれど――、けれどもし。

 もう迷わないと何度も心に言い聞かせ、鬼になり、バスケに酔い、それでもなお、コートに立ってなお、こうも恐ろしいのかと、白美は微かにギリリと奥歯を鳴らした。

――それでも、それでも、俺は。

 自分の心の叫びに、即ち欲望に傾聴する。

 さすれば、熱い物が再びふつふつと腹の底から湧き上がり、ビリビリと響きながら、全身に、髪の先まで、指の先までに広がった。

 白美はその熱を確かめるように、拳をクッと握りしめる。

(だからこそ、勝つ――!)

 試合に、賭けに、己自身に。

 白美は静かに頭をあげると、両の瞼を上げた。

 傍でじっと自分を見つめる水色の大きな瞳には、直ぐに気が付く。
 その次に、自分を捉えて離さないオレンジの目にも、意識をやった。

 そして、白美はフッと自信に満ちた笑みを口端に浮かべる。

「勝つのは俺だ」

 オレンジの奥に灯る炎は、霞みながらも確かに鮮やかな色をしていた。



(see ogres or snakes)

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