手負いの神 (2/2)




「……、…?なんだぁ、騒がしいな」

「…おい、何があったい」
「た、大変です、閻王が目を覚まし、暴れてます!抑えられません!わぁ、こっちに…!」

飛び出してきた船員の腕をつかみ船員に話を聞くことを試みるマルコだったが、慌てているだけでなく随分怯えて体中が面白いくらい震えていた。その様子にこの騒動の原因を確信して、船員が飛び出してきた扉に視線を移す。ややあって、中からずるずると壁を伝いながら出てきた人物を目に留めて、白ひげは眉根を寄せた。

「……俺の船で何やらかしてんだ、ハナッタレが」

白ひげのあきれたような声にジュールはギッと睨みで返した。まただ、とマルコは無意識に腕を組む。あの目に何故か一瞬思考が止まる。戦場での一瞬は命取りであることを実感しているマルコは、だからこそその一瞬を一睨みするだけで作り出すジュールに慄いた。

「ぜッ、は、はぁ…ッ、貴様こそ、」

ジュールの白ひげへの視線は逸らされる事無く、腕を胸元に運んで巻かれた包帯を力任せに引きちぎり、包帯の残骸を握り締める手を目前に晒した。ジュールの手に視線を移し、すぐにジュールに視線を向けた白ひげの顔には喜怒哀楽の感情は無く、ただ無表情に年若い神の行動を目で追っていた。

「これ、は、何の真似だ…、ぐッ、ガホッ…チッ…」
「神さんは人の善意もうけとれねぇってのか」
「善意…?はは、『善意』だと?誰がそんな見え透いた罠に嵌るか……貴様らはこのチカラが欲しいだけだろう。『敵に回すのは得策じゃない、ならば引き入れてしまえばいい。それが無理なら殺してしまえ』どんな綺麗ごとを吐こうと腹の内では皆同じだ…!だれが、『人間』など信じるか…!!」

頑なな閻王は鬼のような形相をしていたが、一瞬目が翳ったのを近くにいたマルコと白ひげは見逃さなかった。誰も信じないと声を荒げる姿が痛々しく、見ようによっては泣いているようにも見える程、強い拒絶を示すジュールに、眉根を寄せて口を噤む事しか出来なかった。

「てめぇ、オヤジに向かって何、ガァァァ!!」

そんな中、血気盛んな新人船員は、自分の船長を馬鹿にされたと思い込み殴りかかるが、ジュールに触れる前に彼の体から発せられた雷に心臓付近を貫かれ昏倒して盛大に仰向けで倒れこんだ。


「触れるな!…誰も、俺に触れるな!!」


「雷…!?」

激怒しているようにも、潔癖なようにも見えた。また、怯えているようにも。
状況なだけに、海でゆれているせいでそう見えるのかは分からなかったが、自分の体を守るように回された右腕と、体を支える左腕、支えきれずに付いた膝、うつむく顔が、ジュールがまるで泣きながら震えているような倒錯感さえ味わわせた。
その姿の悲痛さに誰も行動を起こせないうちに、白ひげが何かに気づいてすっと視線を上げて地平線を確認し、静かに口を開いた。

「…おいアホンダラ。てめぇまだ追われてんだろ。あっちこっちに軍艦が見えるぜ…」
「海軍が…!」

「クソが…!」

それは倒したはずの海軍が呼んだ応援の部隊だった。白ひげの船を囲うようにぐるりと6隻が円を作っている。ジュールは上体を起こしてそれを確認し、眉根を寄せて舌打ちした。技を放てるほどの気力はもうない。全身傷だらけで碌な体術も剣術も繰り出せない。最悪の状況だった。

「善意は信じねぇってんなら、俺が手を貸してやる義理もねぇ。てめぇの不始末はてめぇでつけてから何処へでも行けや…」

「…そのつもりだ」

その白ひげの言葉に、何故かジュールは思いつめたような顔からふっと険がとれたような顔になり、先ほどまでまっすぐ立つことさえままならなかった体ですっと立ち上がり、白ひげに視線を向ける事無く静かに肯定した。
ジュールを助けようなどという事が、何を考えているのかがジュールは分からなくて困惑し恐怖して、それだけで体力を消耗していたのだ。騙され続けてきたジュールにとって、優しさが一番怖かった。なぜなら、ジュールを騙した相手は全員優しかったからだ。優しさに気を許した隙を突かれ手傷を負い、命を危険に晒す。それが今までのジュールだった。
だから、白ひげはもう自分には興味を失ったのだと理解して、安堵し普段の調子を取り戻せた。

「オヤジ、そりゃねぇよい。なぁあんた、手ぇ貸すぞ」
「いらん。借りなど作りたくも無い。ガホッ…俺、一人で十分だ。…………今までだってそうしてきた」
「……ッ」

マルコの言葉にジュールは視線も向ける事無く吐き捨てた。普段の調子を取り戻せたジュールにとって、たかだか応援で呼ばれた程度の軍艦6隻など取るに足りない相手でしかなかった。
しかしマルコは、言い終わる直前のジュールにふと目を向けて瞠目した。今までの強い瞳とはまた違う、芯から震え上がるような凍りついた瞳をしていたからだ。
しかしジュールはそんなマルコの心情など構う事無く、くるりと周囲を見渡して海軍の位置を確認して目を伏せ、すっと手を上げ手のひらを天に向けた。


「……咬み落とせ…『ゼクス・トレノドラゴン』」


ジュールがいい終わると同時に、空が一瞬で暗くなり、そして一瞬の間に空から6匹の黄金色に輝く龍がものすごい速さで周囲の軍艦目掛けて降り注いだ。口を開いた龍が軍艦を食い破るように突撃し、少しの間帯電した後静かに消え去った。後に残ったものは焼け焦げたただの木片と、真っ黒になった人型が海に漂うだけという凄惨な戦闘痕だった。
しかし、ジュールは能力を使用したせいか一瞬意識を失ったが、異常なまでの精神力でその場に膝を付くだけに留まった。

「く…、そ…!」
「なぁあんた、やっぱり休んでいけよい。オヤジ、いいだろ?」
「……」

白ひげに確認をとらないうちにマルコはかがんでジュールの腕を取ろうとしたが、それに気づいたジュールはバッと手を払う仕草で、マルコの行為を押し留める。まだ立ち上がる力が回復していないジュールは膝を付いた状態のまま、中腰のマルコを睨み付けた。あの強く鋭い目だった。一瞬呼吸さえ忘れて、ジュールの眼力に呑まれていたことに気づいたのは、ジュールが言い終わりにガホッと咳き込み同時に血を吐き出したのと同じ頃だった。

「触れるな…!ハッ…海賊が、何を甘い事を言っている…!血だらけの俺を見て憐れみでもしたか?冗談じゃない…同情なんざごめんなんだよ!!」
「お、おい、あれ…!」

「鷹の目だ!鷹の目が攻めてきた!」

船員の知らせにその場にいた全員が同じ方向を向いた。どこからなど、熟練者ならば聞かなくても分かったからだ。強く、しかし穏やかな気配がゆっくりと白ひげの船に向かって近づいてきている。それを確認したジュールは、眉根を寄せ目をきつく閉じて俯いた。それに倣って青い長い髪がさらりと流れる。

「次から次へと…よっぽどてめぇの能力がお気に入りらしいな、小童」

白ひげの嫌味など、もしかしたら聞こえていなかったのかもしれない。ジュールは未だ強く目を閉じたまま俯いていた。外界から自らを遮断するためか、それとも自分の内側からあふれ出そうな何かを塞き止めているのか。
やがて鷹の目は、とん、と甲板に飛び乗りジュールの近くに降り立った。

「……て、てめぇ!何しにきやがった!」

「…白ひげに用はない。……酷い怪我だな、ジュール」


色めきたつ船員をよそに、いつも通りの落ち着いた所作で一瞥をくれてジュールの痛々しい姿に目を留めた。ジュールはまだ俯いたままだったが、はぁ、と息を吐いて体の力を抜き、船の縁に背中を預けて寄りかかり目を伏せた。

「…………海軍ががいきなり総攻撃掛けて来たお陰でこの様だ…まさか、貴様まで来るとはな…」
「総攻撃だと?」

ジュールはクッと人の悪い笑みを浮かべてとつとつと話し始めた。小馬鹿にするような笑みというよりは寧ろ自嘲する笑みだ。眉間に皺を寄せたまま、誰の事も目に入れようとしない。今までの出来事を振り返っているようだった。

「ああ…海軍の、少将と名乗る男が3人、中将が2人、…クザンも…いたな…それらの軍隊と…あとは…覚えていない…」
「よく無事だったものだな」

雑兵は一度の攻撃で全員を静めることが出来るほどの腕を持っているのがジュールだった。何度も襲撃をするうちにジュールへの対策を練ってきたのか、ジュールの非常に苦手とする戦闘の連続でこれほどの手傷を負った。神と呼ばれるほど強いのは、実は能力者相手に対してだけで、生身の人間の操る体術や剣術は、純粋な自然系のように攻撃を素通りさせることができないジュールにとっては苦手とする相手だった。まして、敵の数人は海楼石でできた武器で攻撃を仕掛けてきていた。伝説種はその特異性と能力の強大さから、他の能力者よりも海に弱く、並外れた精神力を持つジュールはそれによって昏迷することこそないものの、触れている間は動きが鈍る。その隙を逃すほど愚かではない精鋭達ばかりだったからジュールは今満身創痍にまで追い込まれていたのだ。

「……無事に見えるか?もう、チカラは使えてあと1,2発が限界だ…そんな状況でお前に勝てるとは思わない……もう、どこへなりとも連れて行けばいい」

ジュールは微笑した。何もかもを諦めたような哀しい笑顔だった。それを目にした鷹の目も一瞬言葉に詰まる。覚悟しているのか。連衡されればどのような扱いを受けるか、恐らくこの年若い神は感づいていて、それが嫌で何年も抵抗しては逃げ延びていたはずだというのに。

「……鬼ごっこは終わりか」
「もとより、いつまでも逃げらるとは思っていない。それもたった一人で、な」

それでも何年も海軍の上層部と渡り合い、捕まらずにいられたことは閻王たる所以だった。
しかし本人はそれを功績とは捕らえていない。今自嘲しているのは、恐らく自分の運の無さや運命というやつをを呪っているに違いなく、やがてそれも諦めに取って代わる。もう、終わりなんだ。逃げるのも、裏切られるのも、追われるのも、自由も、プライドも。これからあるのは、首輪を付けられた政府の言いなり人形。手足切られたような閉塞感の中で死ぬまで政府に飼われ続けるということだけだ。ジュールに拒否権はない。どんな任務でもYESと答えなければならなくなる。今までの海軍の行動がそれを物語っていた。その未来を思ったら少しだけ泣けた。


「………ミホーク…」

「……なんだ」


掠れた涙声。今までこんな儚い声など、ミホークは聞いたことがなかった。どれほどの手傷を負っていたとしても、その声は威厳を持ち気高さを失うことがなかったというのに、今のジュールはどうだ。絶望というものは、こうも人を変えてしまうものなのだろうか。

「お前に少しでも慈悲があるなら、ここで俺を殺してはくれないか…」
「……」

ジュールは言いながら顔を上げ、苦しそうに眉根を寄せて必死に笑顔を作った。際限なく泣き出してしまうのを笑顔で抑えているようで、胸の締め付けられる思いをミホークは味わっていた。同じ笑顔でも、こうも違うものかと、積年のあの好敵手とは酷く違う、とふと赤い髪の人物を思い浮かべる。確かに涙を流し泣いているのに、泣き声もあげず笑顔で押し隠す。ジュールの最後のプライドなのだろうそれは、非常に痛々しい姿だった。


「…頼むよ、もう、……疲れた……」


瞬きをする度に零れ落ちる涙が頬を伝う。孤高の立ち居地を保ってきた男の末路がこれかと思うとやりきれない気持ちもあったのだろうミホークは、今抱いている感情や考えている事柄を同情と結び付けないように押さえつけながら、目の前の男の始めてみる涙顔をしばし眺めていた。ジュールは答えを求めている。たったひとつ、YESという答えを。それをミホークならばかなえてくれるだろうという、無責任な信頼でもって安心しきった目を逸らす事無く向けていた。

「……そうだな、そうするとしよう」

「……え…?な、何…?」


答えを聞いた瞬間のジュールの顔は、今まで見てきた笑顔の中で一番きれいだった。憑き物が取れたようなさっぱりとした嬉しそうな表情を浮かべていた。しかし、その後のミホークの行動はジュールの予想に反するもので、いつのまにか腕を引かれミホークの肩に担がれている。ジュールは分けが分からずに何をするのかと、ひいてはどこに行くのかとミホークを窺うが、後ろ向きに担がれてしまっては表情を窺うこともできず、まして満身創痍の今の状態では碌な抵抗もできずにただ困惑することしか出来なかった。

「主をある人物のところに連れて行く。そこでも仲間ができぬようなら、その時こそ約束を果たし、主を殺す」

「…何言ってるんだ…?」

ジュールはミホークが急に異国語を操っているようにさえ感じていた。彼の行動には脈絡がなさすぎた。ジュールの頼むという言葉に確かにYESと返されたはずなんだが、と数分前の出来事を必死に頭で繰り返しているうちに、何故かどこかに移動するような状況になっていてついには頭が真っ白になっていた。

「白ひげ、ジュールに遺恨はないか。連れて行くが、問題は?」
「ねぇよ、アホンダラ。さっさと行けや、酒がまずい」

ミホークはジュールを肩に担いだまま、白ひげの了承を取った直後に己の小船に乗り込み船を出した。
白ひげの船の面々はジュール同様に分けがわからないまましばらくの間ただ呆然と突っ立っていた。




*



聞いた話ではあれから赤髪のところに連れて行かれ、色々問題はあったようだが晴れてジュールも孤王ではなく赤髪海賊団の中の一人として、たった1年足らずで心からの笑顔を浮かべるまでになっていた。
赤髪に属してから半年ほどたったある日、閻王はたった一人で手土産を持参してこの船にやってきた。そのときの事も今でも白ひげは覚えている。尖り過ぎて棘だらけだった孤高の王が、まるで柔らかいソフトボールのようになってあの時の無礼の謝罪と手当ての礼を言って頭を下げた。白ひげはジュールの全てに驚いていた。笑顔を見せたこともそうだったし、跪けと叫んだ男が膝を付いて頭を下げいている姿も驚く要素のひとつであれば、ジュールの全身を取り巻く雰囲気ががらりと様変わりしていることも、何もかもに驚いていた。

「…あのハナタレボーズもやるじゃねぇか」
「赤髪のことかよい?」

マルコの質問に頷いて酒を傾けながら遠い地平線に視線を移す。

「ああ…昔の小童と比べりゃ、今のあいつは正反対の性格してやがる。…おめぇ、今のあいつから『人間なんか信じねぇ』なんて言葉出ると思うか?」
「……四皇の一人に数えられるだけあるってことかい。」

白ひげの話に、彼の言いたいことを悟ったマルコは得心顔で頷き笑みを浮かべた。白ひげと似たようなことを考えてもいたのだろうその返答は時間をかける事無くすんなりと吐き出され、それに白ひげも満足そうに頷いた。いつもは貶すが、今だけは認めてやってもいいとさえ思っていた。そして柄にも無く、時間をかければ自分にも同じことが出来ただろうかと考え始めてしまったことに、白ひげは自身に呆れたようにため息をつく。


「……何の話?」


いつの間にかそばまで歩いてきていたジュールが、いつもよりも少しだけ顔を歪めて近づいてきた。恐らく白ひげとマルコの会話が聞こえてしまっていたのだろうその顔は、喜べばいいのか照れ隠しに怒ればいいのか判断が付かないといった複雑な面持ちだった。

「ジュール、おめぇもこっち着て飲め」

近づいてきている事を気付いてもなお話を止めなかった確信犯の白ひげは、にやりと人の悪い笑みを浮かべて酒瓶をジュールに向かって放り投げる。それを仕方ないな、と微笑しながら受け取ると彼らの傍に腰を下ろして白ひげを見上げた。

「はは、全く、俺は起きたばかりなんだけどね」
「関係あるか。飲みてぇ時に飲んで何が悪い」

酒を傾けながら、白ひげの豪傑ぷりに笑みを浮かべて世間話に興じた。曲がりなりにも敵船の中で、友人のように接する事ができるものなどそう多くはなく、まして白ひげと赤髪は同盟を結んでいるというわけでもないれっきとした敵同士であるというのに、ジュールと白ひげ達とはどう悪意を持ってみても友人にしか見えなかった。ジュールの事を最初に気に入ったのはこの船の船長なのだから、船員とも仲良くなるのは当然のようにも見えた。

「今度は何処に行ってきたんだい」
「ああ…ウォーターセブンに行ってきたんだ。お頭が水の国だと絶賛するものだから、少し見てみたくてね。お頭へのお土産も買ったんだが、帰りの途中に奇襲を受けて、全部俺の非常食になったよ。」

話の途中で聞き覚えのある駆動音が聞こえてもうじきいつもの嬉々としてここに飛び込んでくるのだろうなとこっそり笑みを浮かべる。しばらくして扉をばん!と空けてよく通る声でオヤジッと叫び矢継ぎ早に帰還を報告した。


「ジュール来てるってマジか!?」


「元気そうだね、エース。こっちへおいで、一緒に飲もう。…いいよな、ゲート?」
「好きにしろ」

船長の了解を得て嬉しそうな表情を隠す事無くジュールの隣に腰掛け酒をあおる。普通に海賊として振舞っているときはカッコいいのに今はまるで子供のようだな、とジュールは兄になったような気持ちで楽しそうに酒を傾けるエースの横顔に視線を移してやんわりと笑んだ。



End.

OP


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