手負いの神 (1/2)




「閻王だ!閻王が着たぞ!」


そんな叫びと共に来船を知らされた、ある種優雅とも取れるゆったりとした足取りで乗船してきた男は、今やこの海で知らぬ者はないであろう、"閻王"ベイン・ジュール。新人クルーの悲鳴など意にも介さないとばかりに微笑してその男を瞳に映すその顔は、"閻王"という異名が似つかわしくない程穏やかだった。

「…おや、君は新米君かな?敵対する意思は無いよ、マルコを呼んでくれないかな」
「だ、誰が呼ぶか!」
「……参ったな」

見張りとしておかれているのだろう彼ら、5人ばかりの船員は、全員震えながらも剣や銃を取りジュールに敵対する意思を表していた。そんな頑なな彼らに困ったように眉尻を下げて苦笑すると、何のためらいもなく右腕を持ち上げ掌を彼らに向けた。
それは一瞬だった。ジュールが片腕を持ち上げた一瞬後には、新人と思われる船員は泡を吹き白目を剥いた状態で痙攣しながら床に倒れていた。それが当然と言わんばかりに、彼らが吹き飛んだ瞬間にすでに看板へと足を進めると、扉の取っ手に手を掛けるより早くガチャリと開かれ、見知った声がかけられる。


「ほんのちょっとも待てないのかよい」


呆れたようにため息を吐きながら、特徴的な話し方でジュールと共に歩き出した。開かれた扉の先にはこの海賊船の主がどっしりと座っていて、ジュールはそこへ迷うことなく歩みを進めた。

「正当防衛ってことにはならないのか?たまに来るんだから、可愛い息子達に俺の事を教えておいてくれたっていいんじゃないか、ゲート」

「そのクソ生意気な態度も相変わらずだな、ジュール」

「何、あなたには負ける」


ジュールに対しているのは、この白ひげ海賊団の船長、エドワード・ニューゲート。最も海賊王に近い男とまで呼ばれている海の猛者を、年端も行かぬジュールが愛称で呼ぶなどと、誰が考えられるだろうか。そしてその無礼を白ひげは笑顔で受け流し、十年来の友人であるかのような笑顔まで見せていた。

「で、何の用だ、ジュール」
「いつものことさ。また熱烈なストーカー君から追い掛け回されていてね。ここになら突っ込んでこないだろうから、匿ってくれないか?」
「毎度毎度落ちつかねぇな。好きにしろ。ついでに息子になっちまえ」
「はは、最後のは余計だよ。ああ、失礼、これゲートに土産だ。ノースの酒らしいが、久しぶりに美味いと感じたものでね。もしかしたらゲートの口には合わないかもしれないが…」

そう言いながらジュールは引き摺っていた巨大なとっくりを白ひげに向かって片手で投げ渡した。白ひげは味を確かめるようにゆっくりと口に含んで嚥下し微笑する。

「ああ、悪くねぇ」
「それはよかった」

それから少しの間は、白ひげとマルコ、ジュールの3人で酒を飲みながら談笑していた。一昔前は考えられない事だった。白ひげにとっても、そしてジュールにとっても。土産の酒を飲みつくした頃、ジュールは若干紅潮した面持ちでマルコに視線を向けた。

「マルコ、どこか部屋は空いてるか?ここのところずっと追われっぱなしで碌に寝てないんだ。部屋がなければ毛布だけでもいい」
「空いてるよい。いつもジュールの為にあの部屋は空けてんだい」

言いながらマルコは立ち上がり、くいと親指を船室のある方向へ向け傾けた。それにつられてジュールも立ち上がり、先ほどよりもゆっくりとした足取りでマルコの後について歩いていった。あの部屋というだけで伝わるところに、ジュールが良くこの船に出入りし、そして寝床を借りている事実が伺える。

「そうか、ありがたい」
「(…言葉が)」

マルコはジュールのその言葉遣いに、おや、と肩眉を持ち上げた。その言葉遣いは彼の船長が礼を言うときの口癖のような言葉で、今までのジュールは操った事がなかったからだ。ジュールに口伝してしまうほど一緒にいるのかと、ジュールの後ろにいる人間を思い起こして苦笑した。
数歩進んだ頃、ジュールは、あ、と声を出して足を止め、懐をごそごそ探って小さな子電電虫を取り出した。

「その前に連絡しておかないとな…」

子電電虫がぷるぷるぷると声を出す。思いがけずすぐに繋がった事と、恐らく電話口から聞こえてきた相手の声にそっと微笑をこぼすジュールを、マルコは静かな目で見つめていた。

≪どうした?≫

「副船長?ジュールだ。帰り道に奇襲にあって、今白ひげに匿ってもらってる。久しぶりに会えたから今日はここにお邪魔するよ。明日帰る」

≪分かった。お頭にもそう言っておく≫

「ああ、頼む」

電話が終わると、ジュールはマルコに視線を向け、悪かったねと小走りに駆け寄って案内を頼んだ。実際案内など無くても幾度と無く着ている船なので記憶を頼りに進めばいいのだが、自分の船ではないという理由で自由に船内を行き来する事を良しとしなかった。そういうときの案内人は専らマルコで、船の中では1,2を争う程親交が深まった。


*


案内を終え、コツコツと床を鳴らしながらマルコが甲板に戻ると、それを確認した白ひげは視線だけマルコに向けて口を開いた。
「ジュールはどうした」
「布団にくるまった瞬間に寝入ったよい」
まるで困った弟だといわんばかりの表情で肩を竦めるマルコから視線を外し、前方、遥かかなたの地平線に視線を移して酒瓶を傾け、しばらくの沈黙の後白ひげは再び口を開いた。
「…あいつをどう思う」
「最初の頃と比べると、やっぱり変わったよい。言葉使いも雰囲気も随分柔らかくなったしいつも笑ってるよい。」
マルコの冷静な分析に頷いて頬杖をついた。
「……そうだな」
随分昔、ジュールと白ひげたちとの初顔合わせは、悪かった。最悪だったと言ってもいい。そんな相手が今では酒飲み友達にまでなるなど、あの当時は誰も想像できなかっただろう。

そう、随分昔−−






* * *




平凡な一日。波は穏やかで風も微弱。急ぎの航海ならやっかいだが先を急がない航海ならばこんな小休止も悪くない、そんな一日を、突如として降ってきた隕石によって覆された。キー、という風鳴りの後、ものすごい勢いで甲板に何かがぶつかり転がった。

「な!なんだ!?」
「こいつ!閻王だ!」

姿を確認すると、降ってきたのは最近世間を賑わせている超新星のルーキー、名を"閻王"ベイン・ジュールだった。青色の髪に黒いマント、一度見たら忘れられない程の美貌。
潰したのは海軍、海賊合わせると数えるための指は両手どころか10人分でも足りない程だった。小物ばかりではなく、海賊ならば億越え、海軍ならば少将以上しか相手にしていないにも関わらず、未だ負けなしの"閻王"が、血だらけで空から降ってきたのだ。体を動かすのも辛いらしく、小刻みに震えながら腕をつき体を持ち上げようと、大怪我の所為で大して力の入らない体を支えていた。

「…!く、がほっ!…は、はぁ…ッ、し、ろひ、げ…?くそ…」

ようやく上半身を持ち上げ、視線を周囲に走らせたジュールは、落ちた先の船の厄介さに盛大に眉根をよせ舌打ちをした。

「傷だらけじゃねぇか、小童。」
「こ、わっぱ、だと…、死、に損な、が…言っ、く…る…!」

大怪我の状態からでも強がって見せるジュールに、白ひげは怪訝な顔から一種でにやりと口角を上げ声を立てて笑った。

「グラララ!死にそうだってのに吼えてやがる。おい、手当てしてやれ。気に入った」

白ひげはその性格ゆえに好き嫌いがはっきりしている。嫌いな人間など目もくれないし、突然の訪問者であるならば、生死を問わない方法で叩き出しているだろう。好悪の対象でなくとも、血だらけの人間が、それも七武海の元懸賞額さえもゆうに越える賞金首が自分の目の前に虫の息で落ちてきたのだ。好意を抱くほうが難しい。それだというのに、白ひげはジュールの死に瀕している状況でも命乞いもせず慌てふためく事もない態度に、好感を持った。
しかし白ひげのその言葉に、甲板の縁に手を掛け体重を支えながらもふらりと立ち上がったジュールはキッと彼を睥睨した。自分にとっては"閻王"でさえもただのひよっこに過ぎないから警戒する必要もないのだと、そう言われているようで我慢ならなかった。


『貴様…!誰に向かって物を言っている!跪け!』

「!!!」


ジュールの激昂した言葉に、体が自然と動いていた。その事実に瞠目したままの白ひげと船員のうちの数人は甲板に膝を着いていた。自分の身に何が起こっているのか分からない、そんな表情で、船員達の全員が驚きを隠せないまま、ジュールだけがその中で当然のように周囲を睥睨している。これがジュールの能力だった。悪魔の実の能力者を従える、または拒絶・抵抗する事が死ぬほど困難になる、能力のうちの一つ。

「隊長!?親父まで!!一体何を…!」

『動くな、そして…忘れ、…ッ』


張り詰めた空気がふっと途切れ、それと同時にジュールの体もぐらりと傾いて倒れこんだ。身じろぐ様子もなく、どうやら気を失ったらしい。ジュールの能力で膝をついていた数人の白ひげのクルーは、唐突に戻った体の自由を確認するように掌に落としていた視線を、ジュールに向けた。ほぼすべての人間が、なんてやつだと言うようにジュールに視線を向けていた。中には恐怖に呑まれた瞳をしている者もいる。普通の人間ならば当に意識が混濁し立ち上がることもままならないであろう大怪我で、あの白ひげにケンカを売ったのだ。この船にいるすべての能力者が膝をついたことから、能力範囲はこの船全てに行き届いていて誰も"厳命"に逆らえたものはいなかったのは、ジュールの自身の能力を支える精神力が尋常ではない事を示していた。

「ふん、なるほど、『神』か」
「『神』…?親父、どういうことだ?」

白ひげは自分の椅子に腰掛け直しながら、納得したように声にした。

「悪魔の実の能力だ。こいつはカミガミの実ってやつを食ったらしい。」

悪魔の実には、自然系、超人系、動物系など種類があり、すべての実はこのどれかに分類される。しかしジュールが口にした実は、このどの分類にも当てはまらない種類のものだった。
悪魔の実のすべてのシリーズの能力を無条件で無効化でき、能力者であれば言葉ひとつで従える事ができる、または抵抗・拒絶する事が死ぬほど困難になる。そしてこの実の、神と呼ばれるゆえんはもうひとつあり、ロギア系能力の全てを使用する事ができるというものだった。
悪魔の実・伝説種、カミガミの実。

「……それが本当なら…ま、まさしく神だ…!」


「…でもその『神』が傷だらけだったよい…」


目に浮かぶのは、つい先ほどまでこの場にいた人物の凄惨な姿だった。賞金首とは思えない程のそれほど逞しさを感じさせない体には、夥しい量の刀傷や打撲痕がありいたるところから出血し、体を動かすこともままならない様子の突然の来訪者は、そんな命を食い破られる程の戦闘の後にも関わらず、その目は少しも淀んではいなかった。そうだあれはまさに、心臓を鷲掴みにされたような――。

そこまで考えてマルコは、今までしなかった連続した物音に気づいて意識を浮上させる。その音は徐々にこちらに近づいて来ており、やがてそれが壁を強く叩く音や物が落ちる音だけでなく、悲鳴も混ざっている事に気づいて顔を顰めた。しばらく様子を伺っていると、船内へ続く扉が勢い良く開かれ、そこから数名の船員が慌てて飛び出してきた。




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