『償いと誓い』 初めて人を斬ったのがいつだったかなんて覚えていない。 地獄のような闘技場で、ただひたすらに相手を斬った。自分が生きるために。 死んでしまった方が楽だったかも知れない。それでもイリスは生きていたかった。だから、斬った。 ――それがどれだけ罪深いことか、祖父に助けられてから初めて気付いた。 「生きたいと思うことは罪ではない。だが、自分が生きるために他人の命を奪ったお前は、それを過ちだと言うのか?」 自分は裁かれるべきなのではないでしょうか。そう尋ねたイリスに、マクリルはそう問い返した。イリスの答えは、是、だった。 「私は数え切れないほどの人を手にかけました。自分のために。だから、私は許されてはいけない人間だと思うのです」 「――そうだな」 辛辣な言葉に思わず俯く。その頭の上に大きな手のひらが降ってきた。 顔を上げると、相手の顔がごく近くにあった。子どもの自分と目線を合わすよう、しゃがんでくれたのだと気付く。 「お前が過去を過ちだと言うのならば……過ちを犯したのに、何もせずに許される人などあってはならない。過ちを犯したのに、何もせずに逃げ出すなど言語道断だ。 過ちを犯したと思うならば、イリスよ」 子どもだからと誤魔化さない。真っ直ぐな声。真っ直ぐな視線。 「全身全霊を持って、生きて償え」 そしてズシリと胸に重く響く、その言葉。 「奪った命が成すはずだった事柄をも、お前が受け継ぐのだ、イリス。……それが奪ったものの責務だ」 マクリルは、眉根を寄せて考え込んでしまったイリスの頭を乱暴に撫でた。 「そう難しく考えるなイリス。人ひとりにできることなどたかが知れている。できることを懸命にやればそれで良い。 ただ、死に急ぐな。死は逃避だと心得よ。 全力で生きろ。がむしゃらに生きろ。一生懸命に生きろ。それならできるであろう?」 成程。それならわかるし、それならできる。イリスは頷いた。 「はい。頑張って生きて、償います」 「それでよい」 マクリルは微笑んだ。 瞼を閉じるとその声は鮮明に思い出せるのに、記憶にある彼の笑顔は少しおぼろげで、否が応でもそれだけの月日が過ぎたのだと思い知らされる。 ――マクリルが亡くなって。 アリティアに騎士として志願して。 マルス王子の近衛騎士に任じられて。 そして、彼と共に戦った。……彼の理想を現実にするために。 今ならわかる。生きて償えと言った、祖父の言葉の意味が。 がむしゃらに生きていただけだけれど、生きていたから、マルス様の力になれた。 「……これからも、一生をかけて償っていきます」 墓に小さな花を供え、イリスはそう口にした。 暗黒竜との戦いは終わっても、戦いはまだ終わってはいない。 今生きている人を守るため。イリスは剣を棄てないと誓った。 「そしていつか、真の平和が来たら――」 剣を必要としない世の中になったら。 貴方の墓前に私の剣を供えましょう。 そう告げてイリスは踵を返した。 振り返ることなく墓所を立ち去るイリスは、真っ直ぐ前を見据えている。 彼女の視線の先に映るのは、平和な未来。 |