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全てを知っても彼女は最後まで優しく抱き締めてくれて、
最後に抱いた温もりは今も消えない。
「……………」
安心したように眠りきった彼女の横で、ただその横顔をじっと見つめていた。
人間として生きるのを止めたはずなのに、彼女との間にあった熱は人間そのもの。
「ん………アローン…」
「もう起きたの?まだ眠ってていいのに」
まどろんだ意識の中ではっきりと愛しい人を見つけると、なまえは小さく笑った。
それは本当に幸せそうな顔で、思わずアローンは彼女の頭を優しく撫でた。
「どうせもうすぐ沢山寝れるし、最後までアローンを見たいの」
「そうだね………」
彼女は冥王ハーデスとなった今でも、その名で呼んだことはない。
昔と変わらず人間の時の名前で呼ぶ。
他は騙せてもどうやら彼女だけは騙せない。
「ねぇ、なまえは僕と一緒にいて幸せだった?」
「もちろん、私はアローンと一緒で幸せよ。だから、あなたの理想の為に私は喜んで死ねる」
彼女を救いたい。
このまま生きても、この世界で生きている限り安らぎも幸せもどこにもない。
彼女には幸せになってもらいたい。
だから、ロストキャンバスに彼女を描くことを決めた。
「最後にワガママ聞いてくれて、ありがとう」
「ううん、でもどうしたの?」
「この身体全てに君を覚えていたい、君と生きた証を刻みたかった……」
「アローン………」
「もうすぐ、もうすぐだから」
筆を手にして、純白のワンピースを身に纏う彼女をキャンバスに描く。
神話の女神より美しく、慈愛に充ちている愛しき人。
一筆、一筆に想いを込めて。
「アローン、ありがとう。私はあなたを愛せて……」
死ぬことを選んだのは、それが救いになると思わなかったから。
救いたいのは愛しい人の心で。
ただ、側にいることが幸せなのだと気付いて欲しかった。
その為なら"死"を選んだことを後悔していない。
最後の仕上げと共に、彼女の言葉は途中で消えてしまった。
筆が力なく手から落ちて、拾うことなど考えずにただ出来上がった絵を眺めた。
「これで良かったはずなのに、」
ぽっかりと穴が空いたような虚しさが襲う。
「っ、それでも僕は……」
彼女の死が救いになると少しも疑わなかったはず、
涙も流せないほど堕ちてしまった自分を少しだけ憎んだ。
完
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