続・貫いてもいばら道



神崎の片思いつづき。

※由加は結婚してます


 独り寝は怖いと言って聞かない、神崎の目の前でぐうすかと寝ている女の、昔は染めて赤かった髪を思うのは年月のせいだろうか。それとも、単にそのときの思い出しかないからだろうか。そんなぐじゃついた思いを払拭したくて、神崎は彼女のその長い髪に手を伸ばした。それにはもちろん下心なんてものはなく───
「…っ?!」
 彼女、由加の手が、神崎の伸ばした手を握る。きゅ、とゆるく握る。声が出かかった神崎は、そんな由加の顔を覗く。彼女はまだ夢のなかにいるようで、どうしてだろうか、ホッとした。その理由について、考えたくなんてない。それはきっとわかっているから。
 下心なんてない、といいきれるのは弱い心を一度は押し殺せるという、根拠のない安心から。けれど、隣に眠る彼女──昔、好きだと思った女──が、いつ帰宅するか分からない以上、一度は恋い焦がれたその人に欲情しないのだといいきることができる、そんな保証もなにもないのだということを、無防備な寝顔に添えて理解してしまう。
 どうしてこんなに無防備でいられるのか。それは、神崎という男の硬派な生き方にあったのだろう、と彼自身も思う。由加は寝息を立てながら、その柔らかな唇を神崎の耳元に寄せて、ぴたりとその身を寄せてきた。ほんとうにコイツ、寝てるんだろうか? そんな邪な考えが神崎の頭をもたげる。そしてひとつ、得したと思いながらも後悔している。そう、神崎は自分も身を横たえてしまったことを後悔し始めていた。座りっぱなしでは疲れたと思い横になったが最後、添い寝のような格好になってしまったのだ。そんなつもりはなかった。だのに、由加の吐息が耳にサワサワとかかるほど、神崎の心は落ち着かなくなる。由加に握られた手が、神崎の下腹の辺りできゅぅと握りこまれると、動悸はさらに高まった。そんなふうに思う。だって、これでは恋人みたいに眠る姿のようだ。意識はそちらにばかり向かってしまい、眠りにつくどころではない。
 過去に思ったのは、焦がれた時代は嘘ではなかったのだと、そんなことを思う。あれが子どもの大人の中間の、青春時代だと笑うあの時代の勘違いではなかったことが今、神崎にとっては嬉しくも、また余計なことでもあった。吐息で耳から頭へ、胸にドクンとくるもの、背中を伝う柔らかなふわりとした感触。これがなんなのか考える前に理解していた。由加の胸だ。大きさだとかどうでもいい。寝てるときに下着はどうなのか、なんて結婚もしたことのない神崎に女の寝姿は想像するものでしかない。だが、この瞬間に想像は厳禁だ。そう思えば思うほど、頭のなかは邪なものに満たされていく。耳にかかる吐息がくすぐったい。耳は神崎としても弱いところだ。性的な意味で。
 ふ、と息がかかる。それがまるで、あなたがほしい、とでも思っているかのように。そう思うのは頭のなかの邪なもののせいだと分かっている。けれども、かかった息の熱さは現実で、邪と思うことは、熱もなにもないことだ。分かりやすくいうと、セックスしたいと思う気持ちはほんとうだけれど、それに至るなんやかやはうたかたのようだ、というようなこと。もちろん、するつもりはないし、しちゃいけないことは理解している。
 そう、由加は人妻だ。彼女のご主人の暴力から逃げてきた、彼女の心の傷は計り知れない。だからといってこのままでいいわけはない。腫れた目を思い出す。そうすれば男のくだらない欲望などきっと抑え込める。そう信じて神崎も目を瞑る。だが、鼻腔をくすぐる雌の甘い匂いと、耳にかかる吐息と、身体を覆う柔らかさ。すべてが神崎の思いを過去へといざなう。彼女と会った高校時代に、心は早変わりしている。過去の気持ちなんて過去のものといえるほど、満たされたわけではない。過去があるから未来があり、未来のために現在がある。すべては繋がっており連なっている。だから忘れたくても人は、忘れらぬ思いを抱く。言葉にはしなくても。過去にその名前を呼ぶことができたのなら、未来は変わったのだろうか。花澤由加。その名を忘れたわけではない。ただ、呼べずにいた痺れるような思いたちが胸に痛い。彼女の匂いが神崎の過去に突き刺さっている。
 由加の手が神崎の手を握ったまま下りてくる。ああそこはダメだ、神崎は慌てた。無言の攻防。自分の手で股間を守る。いや、意味が分からないけど。すこし熱をもったそこに触れられるのは今の神崎には死活問題だった。男として、今手を出していい女かどうかぐらい分かる。そしてまた思う。こいつはほんとうに寝てるのか? と。だが、細く聞こえる寝息は彼女の眠りを妨げた様子がない。もし起きていたら? それは彼女のオーケイの証しなのだろうが、それならば据え膳食わぬは男の恥で、まさに恥を自分から呼び込もうとでもいうのか、とも思う。否、それで良いのだ、他人の妻を、昔のよしみでどうこうしていい論理はない。神崎は何度も行っては返し、返しては行って、三歩進んで二歩下がる、進まない思考のなか、答を出す。
 強引に身体を起こして低く声をかける。名前を呼びかける。
「……パー子、悪ぃ。オレ、便所」
 闇のなか、由加の目は薄く開いた。やはり眠っていたのだろうか。闇ではよく見えないけれど、彼女の唇が左右に広がり薄く笑った、ように映った。ただ、「ん」とだけ寝起きの声で。
 言いたくないことなら無理に効き出す必要はない。その考えは頼ってきてくれたときから神崎は一貫して変わらない。それでも、このままでいいはずはない。無意味な暴力を許していいわけもない。過去の己が見れば笑うかもしれない。それでも、現在を守りたいと思うのが道。由加にしあわせで、健康的な生活をしていてほしいと願うのは恋ではない。ただの情だ。昔なじみの情がそこには漂っている。それだけのことなのだと頭のなかで言い聞かせ、先にいったとおり便座を上げて小便をする。扇を描き迸る不要な液体とともに身体を震わせて、冷えた夜の闇に耐える。だがときが経てば朝日は上るし、朝も昼も来る。ただ生きて息をしているだけで。
 闇は人を狂わせる。その狂いは季節や月の出具合、天候などによってまちまちだ。だが間違いなく人は狂うことがある。死ぬまで一度も狂わずにいられる人もいるのだろうが、狂う人もいる。珍しくなく。狂わずにいるために神崎は静寂を破り、由加を抱き締めなかった。もしかしたら、今宵の闇が由加を狂わせたのかもしれなかった。神崎は熱を捨て切ってから便所を後にする。闇に呑まれながら。



17.02.12

ただ抱き合ってもにょもにょしてるだけの話です。
完全神崎視点で、過去とこれからと今の話なんですが、「は?これなに?」って言われてもしゃーないかなぁ。と書いてるとき思ってましたw ヤバし。書きたいなぁと思ってたら小難しい感じにぐちゃぐちゃ考え出したのですよ。意味わかんね、ってまじすみません。たまにこういうの書くんだよね…読んでる人絶対「はぁ?!」だww

この話もうすこしだけ続きます。

不倫ネタは書きたくなるんですが、どうにも片方が結婚していないのでいつも可哀想な話になります。結婚してる方は絶対に冷めたところがあるんですが、純な思いがないわけでもないんです。そういう細かい気持ちの揺れは自分にはかける気がしてません。。。

2017/02/12 14:28:52