深海にて35


 寒い冬がくる。
 秋風が強まってきた、寒い日に待ち合わせをするのも悪くない。あなたを待つのはこんなにも、幸せなこと。


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 草木が枯れてきて、風は強め。天気図は等圧線間隔がどんどんと狭くなってきて低気圧に見舞われた日本列島の中で、久しくマフラーを出してきた葵はそれを巻いて少しは暖かな秋の空の中、公園で高揚した木々の葉っぱを見上げていた。まだ息が白いほどの寒さじゃないけれど、体感温度としてはかなり寒くなった。ここで葵が待つのは、男鹿の姿だった。男鹿はいつものようにべるちゃんを背負って間もなく現れるだろう。
 今日、男鹿と会うことになっていたことに理由なんて、もはや特にはなかった。付き合っている恋人同士なのだし、それは当たり前とでもいうべきか。ただ、なんとはなしに連絡を取り合って、明日にでも会おうとなることが増えていた。それこそが、恋人として当たり前なのだろう、きっと。だが、お互いに分からない。そう、お互いに初めて同士なのだ、恋人というものがいるということが。だから、普通の恋人がどんな感じであるのか、葵にも男鹿にも分からないでいる。
 ひゅうう、と強めに吹く風の中、長く伸びっぱなしの邪魔そうな黒髪を靡かせながら、男鹿が現れた。
「おお、来てたか」
 時計をちらと見たら、待ち合わせの時間を5分ほど過ぎていた。そんなことは男鹿が相手ならば当たり前のことで、葵は待つことにも慣れていたから文句の一つも言わない。さすがの男鹿も少し厚めのジャンパー姿だ。それを見て葵はクスリと笑った。
「衣替えしたのね」
「まぁな、急に冷えてくっから」
 そのジャンパーでも今日の風が強めに吹くと身震いするほどだ。男鹿も思っていた以上の風に不快そうに表情を歪めた。ベル坊はちゃぁんと男鹿のジャンパーの中に入って頭だけ出してぬくぬくとしている。その様子にはぁ、と男鹿は溜息をついてこいつはいいよなぁ?と葵に同意を求めるものだから、致し方なく葵は頷いた。葵にしてみればどちらでもいいのだ。男鹿が寒がる姿も、ぬくぬくしているべるちゃんの姿も、どちらも葵にとってはとても可愛らしく映るから。
「ここ寒ぃから、どっかあったかいとこ行こうぜ」
「…そうね」
 思わずニヤついてしまいそうになるその光景に、頷いてから男鹿に背を向けた。どこに行くとか、そういう当たり前のことを決めていないのも、慣れた二人ならではだ。だが男鹿は即決の男である。近くの喫茶店──しかもメニューに、男鹿のためと思われるコロッケがある店だ!──へと進みだしたのは、石矢魔仲間ならではの理解だ。葵はその方向ですぐに理解して着いて行くだけだ。こうして、誰かに着いて行くだけのことでこんなにフワッと気持ちいいような、幸せなような、やさしい気持ちになるだなんて知らなかった。
 慣れた店の席について、二人は向かい合って腰を下ろした。最初のオーダーは葵はコーヒーで、男鹿はコロッケという色気のないものだった。何故だろうか二人で食べたり飲んだりすれば、それはいつもと少しだけ違って美味しく感じるのだった。まだ学生の二人が探しているもの。それはゆったりと──二人+魔王の赤ん坊が──できる場所だった。
 お互いの家でももちろん構わないのだが、何だかんだと気を回して、挙句邪魔されるのがオチだ。邦枝家にはあの最強のジジイが。そして男鹿家には最強の姉・美咲と男鹿ヨメと過去に呼ばれたヒルダの存在がある。ゆっくりとイチャつくなんて以ての外。家でチュッとしようものなら誰が見ているか分かったものではない。夢のまた夢なのだ。そこも踏まえて二人は少しでも自分たちの家から離れたがる。これは口裏合わせでも何でもない、単に邪魔されたくないだけだ。それぐらい学生という枠組みに入れ込まれている彼らにとっては、二人だけで駄弁るだけの、ほんの些細なひとときが大事だったりするのだ。
 こうして男鹿と待ち合わせて、何となく他愛ない話をしたりベル坊とじゃれたりしたのは何度目のことだろうか、と葵はその見慣れた光景を目を細めて見つめる。男鹿はオーダーしたコロッケにパクついて水を飲んでいる。こうしていられるのも、今日もあとわずかの時間だ。楽しい時間の倍だけ、別れはいつも寂しさと物足りなさに胸を突かれる。学校でも一緒に──学年は違うけれど──いるというのに、どこまで私たちは欲張りなのだろう。それでも時間は待ってはくれない。刻一刻と過ぎてゆくだけのものが、時間というものなのだ。窓の外は徐々に日が暮れていくのが分かる。秋も深まってきた今では、夜は夏よりも身近で長い。
 葵はベル坊をあやしながら男鹿のことを見ていた。どうしてこんなにいつも一緒にいるのに、足りないなんて思うんだろう。どうして、もっともっとと願ってしまうんだろう。急に好きだと伝えたくなったり、その言葉を逆に彼から聞きたくなったり、そんなことをいつとはなしに、ふとした時に願ってしまうのだろう。自分自身でも分からない。葵は自分の気持ちに振り回されているみたいで、居心地が悪い。
「男鹿、そろそろべるちゃんに服着せなさいよ」
「ん〜〜、丸出しなのもなぁ…」
「丸出し、ってあんたねぇ」
 この内容ではムードもへったくれもあったものではない。だからこそ、より二人きりでいたいと願うのかもしれない。二人の家でもない、ここでもない、そんなどこかで。
「父親なんだから、ちゃんと面倒みなきゃダメじゃない」
「父親……ってなぁ、だーから言ってんだろ、かあちゃんになってくれ、って」
「…っ??!」
 コレだ。不意打ちみたいにズンとくる言葉。意味も分からず軽く言うなよといつも思う。何度も思う。だが、嬉しいと思う葵もいるわけで。単純なのか単純でないのか、これも自分でも分からないことだ。
 男鹿はまた赤くなった葵を笑って、何となく外に目をやる。もう夕方だ。もう、帰る時間が近い。他愛ない会話は楽しいけれど、笑うたびにその中身が消えていく気がする。なぜなら、ひとしきり話し終えた後になってみると、先に話したばかりの話たちはいつの間にやら男鹿の頭の中は当然、葵の頭の中からもポッカリとなくなっているのだから。会話の中身が大事なんじゃない、いっしょにいたという事実だけはここに在る。それだけで、きっと十分なのだ。そのために、もしかしたら二人は今もこうしていっしょにいるのかもしれない、と葵はぼんやりと思うのだった。
「さぁて、そろそろ」
「そうね」
 名残惜しいけれど、と口の中でモゴモゴと葵は言った。だが、男鹿はそれには何も言わなかった。聞こえなかったのだろう。男鹿はいつものようにベル坊を背負い立ち上がる。あとはいつもの帰路につくだけだ。この何度も来た喫茶店を後にして、また寒い夕空の下、秋風強めな石矢魔の小道を二人は並んで歩く。ベル坊は寒いとすぐに男鹿の上着の中に潜りたがるので、そこでさらにモタモタした。ジャンパーの前を開けてやると、そこにしっかりとインした。丸出しもちゃぁんと隠れるという寸法。ジャンパーを後から閉めれば男鹿とベル坊はひとかたまりになってセット完了である。そのお茶目な姿には堪らず葵も笑う。
「邦枝のそれ、いいな」
 長年使っている色褪せたマフラーは手編みのもので、子供向けにぼんぼりまでご丁寧についていた。だが、葵にとってこれは手放せない大事な品である。だからこそいつもはそんなことを言わない男鹿がこんな風に声をかけてくれて、とても嬉しかった。だから言う。否、言わずにはおれなかった。
「ありがとっ。これ、私がすっごく小さい時、お母さんが編んでくれたの」
「へえ…、ああ、母ちゃんか」
 葵のもとに今は父も母もいないことを知って、男鹿は曖昧に頷く。男鹿のように両親が当たり前にいて、父はサラリーマン、なんて普通の家庭に暮らしている子供から見ればそれはどんな顔をして受け止めたらいいか分からないことだろうと思う。そんなふうに人を思いやる態度が見られただけでも、葵にとっては極上の幸せだった。
「じゃーあったかいよな」
 そう言うと、男鹿は意外な行動に移った。後ろから葵を抱き締めるように手を回し、そのマフラーの中に手を入れた。フワリとした感触が、男鹿の手になる。その手に触れたくて、葵もまた自分のマフラーをもさもさと触りだす。マフラーの中で直に触れたり触れなかったり、こんなに近いのに触れられない、この何とも言えない近くて遠い感じ。焦れったさともどかしさがない交ぜになって、気持ちだけが複雑で、それでも楽しくもあって…。
 やがてそのマフラー越しのむにゅもにゅとじゃれ合い大会はベル坊も交じって三つ巴になったお陰で、たぶんきっと、切なさだけは半減した、と葵は少しだけ残念に感じ、短い距離をじっくりと時間をかけて帰ったのだった。
 それでわかった。男鹿も、葵と離れ難いといつも思っているから、こうして会うんだ。きっと。
 お互いにこうしてじゃれ合う時間は、とてもかけがえのないもので、だから強く願ってしまう。それは、あまりに静かすぎてもっともっとと思うから、深い海に潜りたい気持ちによく似ている。


15.10.17

お久しぶりでございます。佐藤です。
男鹿×葵ちゃんのシリーズ、かなり久し振りに書きました。しかも、マフラー越しに三人で遊ぶっていうのを書きたかっただけなのに……なげーよ。みたいな、ね。すいません。

このシリーズも、この数見て貰えば分かるんですけど、まぁ小ネタ扱いでなんとなくショートストーリー書きたいときに書こうと思って書いてたら、まぁ男鹿×葵アンソロジーの話を聞き及びまして、そこで一応の終わりを迎えさせてもらいました。
大体の書きたいことは書ききったんで、これからはもうエロいのだけ書けばいいかなーと思ってた矢先にコレです。エロスはどうしたんやぁ??

アンソロ後に書いたものの第一弾です。
時期としてはいつなんだろ?高校時代なんで、もしかしたらこの感じなんでエッチした後かなぁ?それともイチャイチャレベルのときかな?と書いてる方もよく分かってないんですが、ベル坊もいるんで(セリフは入れてないっすけど、いつものように男鹿の髪引っ張ったり、寝たりと存在はしてます。空気にしたつもりはないんだけど、なってたらすいません)


これから男鹿×葵も書きますけど、ベル坊どうなったとか、男鹿の気持ちの変遷だとか。
あともし、こんな男鹿×葵見たい!とかあればもしかしたら反映するかもしれないです。なんかあったらよろしくです。。

2015/10/17 13:10:26