「よお、目ぇ醒めたか?」
 久我山が意識を取り戻したのは、しばらく経ってからのことだった。姫川は自分の責任もあるのだとほぼ毎日病室に顔を出すようにしていた。また、執事に言いつけてなにかあれば連絡が来るように病院にも言っていた。我ながら過保護だとも思ったけれど、どう考えても今回は自分の責任は大きい。だが、言い出しっぺの古市のせいにするのも忘れなかった。
 銀に輝く頭二つで久我山の病院に行ったところ、彼女は前日までと違っていた。そう、その身を起こしていたのだ。もちろん喜んだけれど、それをバカ正直に笑って駆け寄って大喜びするほど姫川は大人ではない。興味なさそうなふうを装ってふんと鼻を鳴らすそのさまを見て古市は堪らず、「さっすが、ツンデレ……」と呟いた。聞こえていたのでちゃぁんと姫川の弱めのエルボーを頂いたが、男鹿パンチを受け慣れている彼としては問題ないのだった。
「元気そうでなにより」
 久我山はまだ言葉を発さない。そんなことを気にかけながらも姫川は彼女に軽口を叩く。これが精一杯の歓喜の言葉だ。久我山が振り向いたその目には、不安のような色しか浮かんでいなかった。二人のことを目に移し、それでもその態度は変わらない。不安に彼女の目は揺れている。おかしな態度に即座に気づく。こんな顔をして姫川は見られたことなどない。
「君たちは………何者なんだ?」
 忘れて、いるのか?
 姫川も古市も、同じように言葉を失った。これは後遺症と呼ばれるものだろうか。治ることはあるのだろうか。そこには不安だけがあった。久我山は二人を見て軽く首をかしげる。
「同じ髪なんだな、君たちは兄弟か何かなのかい? すまないけれど、私はどうやら君たちのことを覚えていないみたいなんだ……」
 絶望。
 後頭部をブン殴られたかのような絶望ばかりが、姫川の目の前にぶら下がっていた。
 姫川は思い出していた。子供の頃の久我山との思い出を。あれは過去のことだけれど、本当にあったことだ。それも久我山は忘れてしまったのだろうか。そのことが、ひたすらにショックだった。そう、かけがえのない友と友だったことも。──確かに色々とあったけれど、それは久我山が悪いわけではなかったことぐらい、姫川だって理解している。ただ、あの時「裏切られた!」と久我山と喧嘩の一つもしなければ姫川自身の気持ちのやりようがなかったのだと、今ならわかる。時間を置くことで、埋まる傷なんていくらでもある。だから思い出してほしい、と切に願う。
「えっ、そうなんですか…。でも二人は結婚を前提にお付き合い───」
「話がややこしくなるからてめぇは黙ってろ」
 古市が余計なことを口にしようとしていたので慌てて制止した。そもそも結婚とか許婚の話はあるけれど、それは親たちが勝手に決めたことであって、姫川の意思ではない。久我山の意思ではあるようだけれど。しかしお付き合いなんていうものはしていない、断じて。間違った情報を植え付けられてしまうと、後が大変になりそうなので気を配らねばならない。だが古市は制止された意味を理解できずに何度も首をひねっている。というか、お前が勝手に俺たちをくっつけたところから話が始まってるじゃねーか。このクソザコモブ市のヤロウがあ…、と思ったが、今はそんなやり取りをしている時ではない。古市をシメるのは後でもできる。姫川はふたたび久我山に向き合った。その久我山の目には、やはり姫川も古市も、分からないものとしてしか映っていない。いつもならば揺らぐ瞳の中に姫川の姿をただひたすらに追いかける彼女の目があるというのに。
 知らなかった。久我山がこんなふうに姫川のことを見るだなんて。そして、信じられないとも思った。姫川の胸にはじわりじわりと不安という一抹の塊だけが育ちつつある。こうして見られることで初めて気づくこともある。久我山が俺を追ってくるのが当たり前で、そんなことが永劫続くんだと勝手に勘違いしていた。それは、愛しているなどとと急に勝手に言い始め、それを嫌だと逃げ出したあの時から。あの時は逃げ出した。けれど───
「っ、ざけんな…!」
 グラサンの奥から冷たくて熱い眼差しを向ける。忘れたなんて言わせない。信じない。あり得ない。だったら、あの言葉は嘘だったのかと、それこそ裏切られた気持ちになる。腸が煮えくりかえりそうな怒りにも似たこの激情を、どうして発散したらいいだろうか。姫川はそれこそこんな場所で暴力沙汰を起こすことを何とか抑えながら、その震える手で久我山の手を引っ掴む。その久我山の目に確かに映るのは姫川の激情に駆られた姿のみ。これだけ近いと他のものなんて映るスペースなどあるはずもない。急に顔色を変え歩み寄り掴まれた久我山は、不安のあまり顔色を変えている。それを見た古市はおろおろとするばかり。どうやってこの状況を打破しようか。
「何勝手に忘れてんだよ」
 勝手に惚れたとか言っておいて。一緒に作った会社のことも、忘れてしまったのか。あの時に落とした悪魔の絵のことも、すべて。そんなことは認められることではない。姫川は言葉にならないそれらの思いというか思いで、頭がおかしくなりそうだった。他にかける言葉も見つからない。早く思い出せと殴ってやりたかったけれど、まだ軽い捻挫や傷が残るその柔肌をどうこうする気になんてなれない。俺たちの親友としての思い出も、それを覆したあの事件も、すべてが姫川の中で大事だった。久我山がすべてを忘れても、絶対に取り戻してやりたいと願うほどに。
「忘れるなんて許さねぇ」
 勝手な言い草だと姫川自身もわかっている。だが、そう言わなければならないのだ。その手は離れたくないと言わんばかりに強く握られていて、姫川の不安は彼の僅かな震えによって表されていた。
「何としてでも、財産投げ打ってでも、俺がお前の忘れたこと、思い出させてやる」
 医療に全財産を託す覚悟で、姫川は立ち上がった。何としてでも、久我山に記憶を取り戻してもらうために。



「もう、いいんじゃないッスかね、久我山さん?」
 古市がふ、とやさしく笑って言う。姫川は古市の顔を見て、すぐに久我山に目をやった。久我山の見慣れた、してやったりな微笑。
「ありがとう、姫川。私なら大丈夫だ。君が私と結婚してくれさえすれば、すべて思い出すよ」
 カーッと頭に熱がせり上がってくる。あああそうかい、こいつら、グルだ! 謀られたというわけか、そうか、そういうことすんのかこの自称・智将とやらは。仕組まれたこの会話に、言わされたことと言ったことの小っ恥ずかしさに姫川は地団駄踏んだ。そして、こんなに自分という存在が脆くて弱いということにも。あれだけ息巻いて鼻で笑って見せていたのは、ポーズだけだったということを、身を以って知らされた。
 自分は、弱い。
 だから久我山の存在が、必要なんだ。そう、きっと男というのは、そういうものなのかもしれない。支えて、支えられて。そうして生きてゆく。
 先の、久我山が自分のことを思い出さなかったのならばきっと、姫川はおかしくなってしまったかもしれない。それこそ、誰のことも信じられずにすべてに背を向けて、金だけがすべてだと言い張って。疲れ切って死んでいたのかもしれない。姫川のすべてを許す、この久我山という一人の存在だけを見つめて。
 怒りにも似た高揚が、少しずつなりを潜めていく。後に残るのは忘れられていなくて良かった、という思いと、
「忘れられたら──…、どうにか……なるかと思ったぜ…」
 その光を取り戻した久我山の柔らかな髪をやさしく包んで、そして自分の胸元に引き寄せその身体を抱き締めた。やれやれ、という感じに古市は困ったように笑った。人は誰もがピンチにならないと、本音を言えなかったりするんだよなぁ…。
 己の弱さに気づくことができた姫川は、きっとこれから彼女の手をむげに離すことはないだろう。その大事さに、気づいてしまったから。


15.10.14

まぁ最後に久我山を出させてあげられなかったから、記憶喪失ネタ詰め込めるところがあったので入れ込んでみたw って最近こんなんばっかなwww
どうにもいい意味で久我山に弄ばれる姫ちゃんです。つーか久我山がこんな演技できないできないw とか思ったけど周りをずーっと騙して男だってバレてなかったんだから、自分出さない方法なんて心得てるのかもね〜なんて思ったりして…。

っつーことで、また書いたよ。なんか姫久我ばっかり書いてるじゃねーか!
ほんとうは男鹿葵とか男鹿ヒル書きたいんですよ奥さん!なんか久我山氏が可愛いせいか私のパッションを止めてくれないのです……。
姫川にイタズラとかして許されるのって久我山以外いないよねって思ってるし。。


東邦神姫では姫川のことが一番興味持てないキャラだったというのに……なぜかネタは多めです。
東条はバトルとか動きが欲しいのでマンガで描きたいキャラですねー。