泣きそうな顔をして花澤由加は、何年振りかに懐かしい、あのヤクザな場所に来ていた。神崎に会いに来たのだ。その顔を知っていたから、神崎の舎弟どもが慌てて彼女を通した。大きな屋敷。そう、ここは神崎の家だ。相変わらず大きな塀に囲まれた家。そこに来るのは初めてではなかった。だからこそ来られるのだ。驚いたのは神崎の方だ。まさか、何の連絡もなく由加が来るだなんて思ってもみなかった。汚い自分の部屋に散らかるものを片しながら、客間に向かう。何だって学校を卒業してからしばらく、来ることもなかったのに。
「パー子じゃねえか。何だって急に」
 神崎の顔を見てはくしゃりと顔を歪ませて、由加は声も出さずに涙をぽろぽろと溢した。いきなりのことなので神崎は慌てた。どうすればいいやら分からなかった。この部屋に誰もいなくてよかった。もちろんヤクザの若頭なのだし女の一人や二人、泣かせるなんてどうとでもないことなのだろうけれど、神崎にとってはそれは苦手で怖くて、ふれたくはないタブーみたいなものだったのだ。つまり簡単にいうと、神崎は女の涙に慣れてないということ。
「ど、どどど、どうした?」
 動揺を隠したつもりだったが、どもっていてバレバレで恥ずかしい。だが由加はそれどころじゃないらしく泣きじゃくり出した。ひ、ひ、と喉が鳴る。どうしてここに来て、しかも急に、そして勝手に泣き出したわけだから。いい迷惑だと思うべきなのに、それをどうにかしてやりたいと感じてしまうのは、きっとその昔に惚れた弱味なのだろう。由加が顔を上げた時に分かった。あ、と声は出さなかったけれど、由加のその顔を見て、何となく「逃げてきたんだ」ということは。
 なぜなら、彼女の顔が青アザで腫れていたから。



 由加は高校卒業してから数ヶ月で、付き合いだした彼氏とめでたくゴールインした。バイト先にいた上司の少しだけ年上の男だったという。とても幸せそうな結婚式に、当然神崎も呼ばれたし、ちゃんと祝ってやった。恋とか想いとか、そういう甘酸っぱいものはヤクザの中には不要で、棄てようと躍起になった時期もある。そんなことを知らない由加はいつもいつも、夫婦の惚気を写メ付きでメールしたり、Facebookに投稿したりしていた。そこまではわかっていた。子供ができたとかいう話も聞いたけれど、子供のことをどうたらいってこない辺り、ただの噂だったんだろう。そんな順風満帆な夫婦生活は、旦那の暴力によって打ち砕かれた。今回逃げてきたのはそういうことらしい。由加は泣きながらに語った。そんなひとじゃないのに、と彼女はいうけれど、そういう男を選んだお前の見る目のなさもどうかと思う、がっかりした、といいたくてもいえないもどかしさばかりが神崎の胸の奥をどんどんと圧迫した。
「ねぇ…、先輩。ウチ、やっぱ別れたほーがいいんスかねぇ」
 まだ20代だ。嫌な男に引っかかっただけだとバツ一つ付いてしまうけれど、諦めて新たな人生を歩むということは遅くはない。むしろ、早く気付けてよかったくらいだと神崎は思う。だが、簡単に別れろといえるほどに神崎はそういったことに聡くはない。むしろ疎い。というか、今現在彼女ナシ、婚姻歴ナシ。聞かれても困っちゃうんいやんばかん、なのだ。
「子供、できてなかったのは救いだよな」
「………うん」
 鼻をすすりながらバカ正直に、由加は神崎の言葉に頷いた。この頷きは、間違いなく結婚を悔いているという意味に他ならない。そして、まず手当てしてやろうと思い、ヤスに声をかける。ヤスは自分自身も生傷が絶えないので、救急係みたいになっている。応急処置用の道具などを彼は持っているので呼んだ。ヤスは由加の顔を見ては驚いて「手当てしましょうか?」といったが神崎はそれを断った。
「…俺がやる」
 今だけは。せめて今回だけは神崎がその手で、手当てをしてやりたいと願ったのだ。そして、由加のほろほろと溢れ落ちる涙を拭ってやるのも。ヤスが邪魔だったしワタワタしているので、汚いけど、と神崎は自分の部屋に由加のことを招いた。きっとそのほうが落ち着いて話ができる。もちろん、おかしな下心なんて今この時にないのだけれど。複雑な思いを抱いている自分が存在しているのだから、勘違いされても文句はいえないのだが。

 汚い部屋に招いたけれど、由加は何も言わなかった。どうしてもこの手当てだけは神崎自身でやらなければ、そう男らしく思ったのだ。だから、たどたどしい手先でやわらかな由加の肌にふれながらも手当てをしてやった。手当てらしいものはしていなかったみたいで、薬を付けてやると痛い、痛いと子供みたいに痛がる。こんな様子の由加を見ると、昔とどこが違うのかまったく分からなかった。けれど、もう彼女は子供じゃない。子供すらこさえることのできる、子供みたいな無垢なおとななのだ。由加は痛みでは、決して泣かなかった。
「で、よ」
 由加にどんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。由加の、一度は愛したその男のことを腐すわけにもいかなかった。そうしてしまいたい気持ちも山々ではあったが、知らない誰かを悪くいうのは神崎のポリシーに反したから、そうしなかった。だから、これからのことを考えて欲しいと思った。もしかしたら、一緒に歩める未来とか。だが、そんなことを口に出せるはずもなく。
「どーするつもりだよ」
「わ、かんねっス………だから、先輩のとこ、来たんっスよ…」
 再び由加は涙を溢しだし、それを見て神崎は慌てた。抱き締めたい。けれどそれは、どういう意味の「抱き締めたい」なのか。子供じゃない、もはやいいおとな。結婚している女とヤクザな男の二人で抱き合っていたら、それは、それほどの意味なのではないだろうか。そう神崎は思えてしまって胸が高鳴る。潤んだ瞳から溢れ落ちる大粒の涙を、ティッシュで拭いてやる。本当なら指でぬぐってやるのがカッコいいのだけれど、そんなこともいっていられない。
「暴力ヤローはサイテーだ。と思う」
 それはまごうことなき神崎の気持ち。女は自分たち男より力が弱いものだというのに、暴力でものを言わせようだなんて、なんてふてえ野郎だ。そう思うのだ。けれど、別れろとはいえない。そういう押しの弱さがきっと、ただの仲良しで終わってしまう要因なのだろうけれど、それが分かっていてもなお、神崎は踏み込めないでいるのだった。
「まじで困ったら、うちで匿ってやるし?」
 結局こんなことしかいえない。本当は、抱き締めてチューして押し倒して、いけるとこまでいってしまいたいのに。どこまでも硬派でマジメな己に嫌気がさす。けれど、そんな神崎を慕ってくれている由加の姿はどこまでいっても眩しいのだった。


貫いてもいばら道



15.04.08

もう少し神崎くんに頑張ってもらって、ぎゅーかちゅーくらい(もしくは両方)はしてもらう予定だったのですが、予定外なほどにうちの神崎くんは硬派で不器用で使い道がねえ! 動いてくれなかったです。ダメダメです。


ええと、実はこの話はリアル関係がある話だったりします。そんなんばっかりですみませんww
でも、物を書くってそういうことじゃね? 違うかなぁ? 割と関係のあることが元になって話が生まれてしまえるので、なんだか…こういうのがいいとか言ってもらえるのはありがたいけど、微妙な気持ちだったりもします。

なんとなく
べるぜ/報われたくて恋をしているわけじゃないけど、報われたいと願ってしまうのが恋というものだから 04/19
からつながってるような気がしてなりませんw

title : おどろ
2015/04/08 23:24:16