深海にて33

※ いつか分かんないけど、たぶんチューもしてねんじゃね?的な頃の話
※ 揺らぐ乙女ごころ


 急に男鹿からメールが来た。帰りに寄りたいところがあるから時間があるか、というものだった。珍しいことだ。葵は特にいつもの帰宅だと思っていたので時間ならあるけどどうしたの、と返したら、休み時間になってからそのメールが返ってきた。遅くなっても大丈夫なら行きたいというもの。なんだか男鹿らしくなくて「?」マークが頭から出まくりであった。遅くなるというのなら祖父に話をしておかないと怒髪天をつくほど怒り倒すかもしれないので、面倒に思いながらも電話をかける。なんだかんだで祖父といっても葵の親代わりなので、気持ちは若い。ケータイも堪能ではないが扱う。電話をかけたらすぐに捕まるので、用事があるときは便利ではあるのだが、男鹿との付き合いのことはそこまでよく思ってくれていないような気もするし、ちょっとかけづらくはある。
「もしもし? あ、おじいちゃん。あの、今日、帰りすこし遅くなるから」
 あまり面白くない様子で返答してくる祖父は、もしかしたら男鹿に妬いているのかもしれないな、と感じる。それはそれでちょっと面白い。そんなことを思いながらケータイをしまうと、近くの席の姫川が声をかけてくる。
「おう、どうしたよクイーン。夜遊びか?」
「なんなのよ、そのやらしい言い方」
 男鹿と付き合うようになってからも、チョッカイかけてくる姫川は相変わらずだ。クイーンと呼んでくるその呼び方はあまり好ましくないけれど、変わらず接してくれるこういう存在はありがたいものだと時折感じることもある。うざったく思うこともあるけれど。
「お盛んだねえ」
「そんなんじゃないってば」
 男鹿から来たメールを姫川に突きつける。短文の飾り気ないメールは実に男鹿らしい。帰りに寄りたいとこあんだけど 時間ある? という端的なもの。そもそも男鹿はメールがマメなワケでもない。見てくれ通り面倒くさがりなので通話のほうが多い。葵としても、電話のほうが本人の声を聞くこともできるし、同じ時間を過ごしているような気がするから、好きなのだった。でも男鹿は話すのが得意ではないし、会話が途切れると、というか必要事項しか話さない典型的なタイプだ。電話もあまりしない。だからこそ嬉しくなるのかもしれないが。
「アレじゃねぇの? 今日、ヤッちまう気なんじゃねーの」
「バカっ! 男鹿、が、急に、そんな…」
 姫川は冷めた態度でそんなことをいうものだから、葵は真っ赤になって否定した。姫川はクスクス笑って葵をいつもからかう。
「はぁ? 俺はアレって言ったダケだけど? ナニ想像したワケえ? エッチなことでも? いやん、エッチなコ」
 こういうからかい方は、どう逃げてよいやら分からないから葵は嫌いである。恥ずかしいばっかりになってしまう。姫川に一撃入れてから葵は男鹿に大丈夫だとメールをした。そうだ。短文を打ち込みながら姫川の言ったことを思う。男鹿だって今まで積極的じゃなかったけれど、それに好きになったのは葵の側から。いつも男鹿は淡々としていて、葵ばかりが空回りしているみたいで、これじゃどうりで周りが気遣ってくれるわけだ、とも感じる。でも、もしかしたら──どうしてこのタイミングなのかは、よく分からないけれど──男鹿だって男の子なのだし、単に機をうかがっていただけのことだったのかもしれない。葵と同じように彼もまた頭の中で空回りしながら。それならいいのだけれど。しかし、姫川の言う通りだとしたら、どうしたらいいんだろうか。まだ何の準備もできていない。気持ちは、それは好きだけれど。それでもすぐに、例えば夜の街に出てしまうだとか。そういうことを想像したことがなかったから。付き合いたいと願っても、一緒に歩くとか、手をつなぐだとか、キスをするとか、ペアのマフラーを着けるとか、そういう幼稚なことしか考えていなかった。だから、メールの送信ボタンを押してから怖くなってきた。いいよと言っておいて、今さら遅いというのに。揺らぐ。嫌じゃないけれど、でも、よく分からないから怖い。嬉しいけど怖い。自分以外の誰かのことを思うことは楽しくて、夢中になってしまうことだけれど、逆にどう思われるかと思うことは悪いように考えてしまいがちになる。複雑に揺らぐこの心を自分自身でももてあます。
 それからの授業とか、放課後に男鹿の顔を見るまでのことはほとんどうわの空だった。放課後になって男鹿の顔を見てしまえば、ドキドキは最高潮に達した。一日中ドキドキしっぱなしというのは、実に疲れるものだけれど、とても幸せでもあるのだなあ、なんてバカなことを思った。好きなのはきっとそれだけで幸せなことなのだと思う。
「ねっ、ねぇ? 今日、おじいちゃんに帰り遅くなるからって電話しといたけど、どこいくの?」
「行けば分かる」
 とりあえずという形で、いつものように男鹿は学校の真ん前にある田舎くさい商店で、まさにいつもと変わらずコロッケを買って「食うか?」とやる。もちろん葵はいつも貰うのだけれど、あまりにもいつもどおりのことに、これから始まるであろう非日常なんて本当にあるのだろうかと己を疑り、姫川を疑った。
「ホンット、男鹿ってコロッケ好きよねえ」
「だってうめえじゃん」
 これもいつもの放課後の、挨拶みたいに繰り返される会話。でも、こんなことは恋人じゃなくてもできる。葵と付き合う前の男鹿は、いつもここで古市と一緒に買い食いしていたのだ。帰る相手が変わったけれど、どう見ても男鹿は緊張したりドキドキしたり、明日何喋ろうなんて考えたりしないのだろうか。たまにそんなことを思うと葵は不安になる。好きなのは自分だけで、男鹿はまったくそんなことはなくて、一人芝居みたいに勝手に浮いたり沈んだりしてバカバカしい。だから男鹿に聴きたくなる。私のこと、本当はどう思っているのか。好きなのか。恋人だったらどうして、手をつないだりキスしたりハグしたりしないのか。

 いつもと違うのはここからだ。いつもならこのまま帰路に着く。けれど、今日は違う。男鹿は公園に寄る。初めて会った公園。そんなに前のことじゃないのに、あの頃が懐かしい。あの時、男鹿に会わなければ恋を知ることはなかった。勘違い甚だしい男鹿の言動は実に厄介で、慣れるまではいちいち揺らいだ。今でもたまに何の臆面もなく男鹿はいう。
「なぁ邦枝、まじでベル坊のかーちゃんになる気ねえ?」
 意味を考えないでいっているのは分かるのだけれど、慣れても瞬間想像してしまうから、やっぱり照れてしまう。恋人という立ち位置になってから目をまっすぐに見て、そんなことをいわれると夫婦なんて文字がチラつくから。男鹿にしてみれば単純に母親代わりも必要だというだけの、ただそれだけのことなのだろうけれど。ベンチに座ってベル坊をあやしながら男鹿はぼんりしているので、この時間は何なのか。葵はよくわからないと思いながらも、それでもこんな時間がゆうらりと過ぎることがうつくしいと思えた。降り注ぐ沈みゆく太陽の光とか、公園の静けさと自然とか、サワサワと揺れる木々のざわめきとか。ずっとこんな時間が続けばどんなにいいだろう。
「何笑ってんだよ」
 という男鹿もちょっと楽しそうだ。ケンカとは違う楽しみを感じている。それが伝わってくるから、葵は笑みをさらに深めた。そういえば笑ったつもりがないのに笑えている。きっとそこだけシンクロしている。
「なんか、…分かんない」
 でも、たのしい。ふうん、と分かったような分からないような返事をする男鹿は、どこか子供っぽい。そして、男鹿は珍しく時間を気にするようにしてチラとケータイの時計を見ていう。
「もう少ししたら、いくぞ」
 どこへ。といおうと思ったが、先に聞いているのでやめた。行けば分かる。そして、また思い出す。ホテルとかに行くつもりなんだろうか。へんな想像をしてしまいそうになって、それを振り払うために何か話さないとと思った。
「こ……、こういうの、なんか、いいよね」
「あ? ……ああ」
 唐突にいわれた言葉に男鹿は、よく分からないといった表情で戸惑う。そして何か考え込むように眉間に皺を寄せて僅かに俯く。よくなかったのだろうか。葵はそんな些細なことで不安を覚える。男鹿の人となりは分かったつもりだ。だが、わからないこともまたたくさんあるのだということが、徐々に分かってくる。男鹿が言いづらそうに口を開く。
「こういうの、……なんつうか、…あれだろ、デート、っていうんだろ」
 そうか。男鹿の拙い態度だとか、言葉だとか。男鹿もぜんぶ初めてのことばかりで、葵といっしょなんだ。だから男鹿も手探りで、どうすればいいかずっとわからなかったんだ。それに、男鹿にしてみれば恋人という存在についても、きっと葵以上に考えたことなどなかったはず──いつもの男鹿の行動を鑑みれば分かること──だ。デートであると意識してしまうだけで恥ずかしくてむず痒いような気持ちになるほどに。男鹿はまだ言いづらさそうにとても短い言葉を吐いた。
「でも、いうと、ハズい」
 そういって頭を垂れた。そんな男鹿らしくない男鹿の様子を見ていると、ギューっと抱きしめたくなる。かっこいい。強い。ワイルド。でも、可愛い。それが男鹿なんだ。もっとこんな男鹿も含めて見ていたい。葵はそう思っていたが、急に男鹿はすっくと立って、いつもの調子に戻る。じゃあ今のはなんだったのだ。
「いくぞ」
 だからどこに。
 男鹿の後に葵は続くと、駅のほうへ向かっていく。ほんとうに行ってしまうんだろうか。いくところまでいってしまう? だが、それはさっきの調子じゃ考えられない。駅構内に入り込んでゆく男鹿の背中を追って、徐々に不安が消えていくのを感じた。しかし、切符を手渡された時には、何がどうなってどこにいくのか、別の意味で不安が湧き上がる。やっぱり言ってほしい。顔に出ていたようで、男鹿は珍しく悪意のない笑みを浮かべて、切符を手渡したその手をそのまま握って行く先を促す。あ、私こんな気分の時に手を握ってる。なんだかあべこべでおかしかった。浮かれた気持ちがなくなった時には限って男鹿は。
「心配すんな。遅くっつっても終電には帰っし」
 そういうことじゃないんだけど。男鹿はどこかズレている。そこが男鹿らしいとも言えるのだけれど。もちろん男鹿と一緒に行くのだから、危険はないのだろうが──しかし、なぜか一緒に歩いていたりすると絡まれる回数はさすがと言える──。握った手の中に切符があるから、その手を離してくれないと行き先の当たりをつけることはできない。だからといって、この手を離したいわけじゃない。温かいその手が、ただ、うれしかった。

 流れゆく景色を眺める。もう放課後が訪れてから時間が経つので、夕暮れ時だ。まだ明るい空もこれからどんどん闇へと向かうだろう。青空が夕空に変わる時の、あの淡くてきれいな色が葵は好きだ。流れて消えていく民家の屋根屋根を見つつ、窓に手をついて初めて男鹿と手が離れたのだと悟った。気づくのが遅すぎる。そして同時に、どこか物足りないような、名残惜しいような気持ちがしたがそれを言葉にできるほど考えなしでもない。先の男鹿の手の感触を思い出そうとした。こんなに近くにいるのに、こんなことを考える。触れたければ触れられる距離に、すぐ隣にいるというのに。そんな思いを振り払うように男鹿にまっすぐに空を見る。電線はあるものの、やはり空はいつも、
「おー、キレーだな」
 ぐ、と葵は言葉に詰まる。思っていたことは一緒だった。それだけのことで。へんに感動する。今が日常にある非日常な空間。きっと悪魔たちと戦う時以来、こんなに男鹿と心を通わせたことはない。そんな気がした。
「うん、キレイ。私ね、昔から、空が好きだったの」
 電車は駅の名前を言って振動ののち、止まる。まだ男鹿は降りようとしない。そういえばどこ行きの切符だったのだろう。ようやく葵はそこにまで考えが至る。男鹿と一緒にいると、それだけで舞い上がってしまってうまく思考回路が回らなくなってしまうのだ。切符の駅名を見ながら、
「雲とか、空気感とか。空って、晴れの時は気持ちも晴れるじゃない」
「俺はどっちかっつーと海派かな」
 何がどっちかっつーと、なのかは葵には分からないが、あと3駅くらい走れば降りなければならないようだ。空は気づけば藤色っぽい色にまで染まっていて、夕暮れの燃えるような真っ赤な太陽の姿は、建物たちで見えない。あとは暗くなるばかりだと物語っている。もちろん、明けない夜はない。
「さあて、降りるぜ」
 男鹿から声をかけられるままに葵はついていく。強引なのは男鹿らしい。駅から出て向かう先に大きな会場が見えてきた。あ、もしかして…。葵がそう小さく声をあげたら、男鹿は首を縦に振った。そして、ぺったんこのカバンから紙を取り出して葵の手元に渡してくる。突きつけるように。
「いやか?」
「…別に、そんなことないけど」
 気持ちが乗らないのも事実だった。今来たのは、野球のスタジアムである。つまり、男鹿が選んだデートコースは、葵にとって初めての遠出デートが、今回の野球観戦ということになるのだった。ルールはそこそこ分かるけどあまり興味がないので嬉しさは半減しているというのが本音だ。
「けっこーいい席取れたんだぜ。一塁側の」
 そう言いながら男鹿は気にしない様子で中へ入っていく。まあ仕方ないけれど、だから夜遅くなるっていったのか。あの邪まなドキドキはどこにいったんだろうか、と葵は残念半分、ホッと半分の気持ちだ。球場の中に入ると人の入りは結構なもので、意外にも女性の姿も結構いる。早い時間なので応援用の簡易ユニフォームまで受け取れる。男鹿が頭から被るので葵も続いて真似た。今回は広島と中日の試合らしい。こっちは中日のホームだからチケットを取っていたらしい。男鹿が野球の話をしていたのは知っていたが、聞き流していたので中日ファンだとは知らなかった。
「多いな、カープ女子。本拠地じゃねぇのに来てる」
 赤いユニフォームは敵陣のものだが、中日のカラーは全体を見ても何だか少なげだ。そんなことを思いながら観客席に向かう。まだ試合は始まっていない。席に着いて隠し持ってきたジュースを飲みながら、隣同士で座る。なんだか今までにない不思議な空間。野球にも広島カープにも、中日ドラゴンズにも興味はやっぱり持てないのだった。会場の雰囲気からわかる。ピッチには選手たちが集まっているし、ワラワラとグランド整備みたいなことをする人たちもウロついているし、どうやら始まるのは間近のようだ。
「マエケン」
 男鹿が唐突にいった。葵は、え?と聞き直す。指差した先に、その人がいる。赤い帽子で浅黒い肌をしたお兄さん。
「野球知らんでも聞いたことあんだろ。今日本一のピッチャー」
「う、うん」
 そういって男鹿がマエケン体操を真似る。解説付きで。こんなユニークなことをしてしまえる人だったのか、と新しい発見。なんだかこんな瞬間が来るだなんておかしくてたまらない。葵はどうしてだか笑えてしまうのだった。そう、興味のないことであっても、隣にいるのが男鹿だったらきっと笑えるのだ。ムリして合わせるつもりなんて最初からないし、きっとそんなことをしても男鹿は喜ばないだろうと思うけど。
 今日は今までより、いつもより、ずぅっと恋人らしかった。興味がないことでも、隣にそんな人がいるだけで幸せ。そしてやさしい気持ちとか、楽しい気持ちになれるのだ。もっとこうして、焦らずに近づいていきたい。これまでよりもっと、近い存在になりたい。葵は中日の応援をマジメにする男鹿の隣で、そんな和んだ気持ちになっていたのだった。



15.03.06

試合が見終わるまで書こうと思ったんですが、引っ張るだけになりそうなんでやめときました。
付き合いだして間もない感じかな? 男鹿と葵ちゃんの青臭くて進まないばっかりのデートの話。こういうの、好きなんだ〜。
他愛もない会話と、他愛ない行動の中で、いちいち幸せだったり嬉しかったりしてるのが、恋とかそういうものなんだ、というのが伝わってくれればいいなぁと。

あとは、最初の姫川との掛け合いが、なんかいい関係だなとか勝手に思ったり。でも姫川とは学年違うんだよね。姫川は入り込むのも平気そうだけど。
細かいとこ考え出すとおかしいよなw うーん、これはヒドイwww

内容としても、葵ちゃんが勝手にぐだぐだ考えてるだけの話なんだよね。細かいとこは気にしないでフィーリングで読んでくれ、ってここで書いてもなぁ…。たのんます。。
2015/03/06 23:08:03