深海にて31

※ひなまつり、小ネタ


 3月3日、ひな祭り。
 この日は、日本の女の子たちにとって、深い意味がある日だと葵は思う。でも、それを同じように思ってくれる人なんて、自分の親以外に誰がいるんだろう。そう思うには年月がかかった。気付くまでに、理解するまでに。
 雛人形を出すのは、いつからか葵の役目になった。それは両親がいなくなってから。それまでのことを思い出す。笑っていた。父が、母が。よくある言葉といっしょに。
「おい、今日中にしまわないと、ヨメに行き遅れるぞ〜」
 そう言われたのは何年、否、何十年前のことだったろうか。あの時の父の微笑みは思い出せるのに、父の顔は思い出せないのだった。なんだか矛盾しているとは思うけれど、それでも人の記憶というものはアテにならないものなのだ。のっぺらぼう、ではないけれど思い出せないものは思い出せないのだ。そして、父のあの笑いはたしかなものとなっているんだろうか。もう葵は25の年月を経て、十分に立派な女性へと成長していた。この歳で、まだ独身。きっと両親がいればそれは心配される要素になるのだろう。だから、毎年のように葵ははやく結婚できますように。お父さんとお母さんが、はやく戻って来ますように。そんな根も葉もない、科学的根拠のない想いを抱えつつ、葵は子供の頃から自分のためと帰らぬ親のために、ひな人形を出してはしまい続けてきた。それは、今年も変わらない。


「うわ、なっつかし」
 どうして男鹿がこの日にくるのか。呼んだわけでもないのに男鹿が久しく邦枝家に来た。男鹿の登場を、光太は快く思っていないようで、特に、祖父が亡くなってからは風当たりが強い。しかしそれを気にする男鹿では当然なくて、いつものとおりで飄々としているままだ。
 話戻って、先に男鹿が言った呟きだ。葵の家に置いたひな人形を見てそんなことを言ったのだ。まあそれはそうか。数年前に結婚して男鹿家から発った姉の美咲の姿が浮かぶようだ。別の意味の懐かしさに、葵は複雑な想いを浮かべる。
「女がいると、こーいうの、必ず置くよな」
 それは邪魔なものなのだろうか。その意味を、理由を知っているはずの男鹿は、いいとか悪いとか、そんなことを感じさせない言葉しか吐き出さない。ただ、昔の懐かしい想いだけに心を過去に馳せているみたいに微笑む。懐かしいことはいいことだ。新しいことが悪いわけじゃない。年齢を重ねるということは、過去を美化していくことに他ならないのだから。きっとそれは男鹿も同じなのだろう。三段のひな人形たちを見ながら男鹿は、あまりに自然にいう。
「明日、サッサとしまえよ」
「もちろん」
 邪魔だもの。という言葉を飲み込んだのは、その男鹿の真剣に燃える瞳を見てしまったから。その理由なんて葵には分からないけれど、さっきまでの男鹿と、どこか違っている。尖った空気が辺りを揺らし、会ったばかりの彼の喧嘩ばかりしていた時のことを思い起こさせるような。そんな冷たく尖った不穏な空気が、さらに凍りつくような、そんな雰囲気に葵は身のやり場に困り居心地が悪い、そんな気がした。
「なに?」
 そう口にするだけでいっぱいいっぱいになってしまった。男鹿の表情が、あまりにそれらしくなくて、見ていると胸が痛んだ。理由は分からない。知りたいと思うものが分からないからかもしれない。そんなものなど、山ほどあるというのに、どうして。
「そしたら、行き遅れねぇだろ」
 ──ヨメに。そう言わなくても、瞬時に男鹿の言葉の意味は理解できた。だが、その言葉はあまりに男鹿らしくなくて、葵が理解できずに止まった。思考停止みたいな、パッキと凍ったみたいな空間。そんな葵のことなど読んだみたいに男鹿が続ける。
「サッサと来いよ」
 差し伸べた手に持っていたのは、婚姻届。男鹿の汚い字が並んでいて、頭が悪そうだと感じたのはほんの一秒にも満たないこと。
 ほんとう?
 あまりに唐突に訪れた、けれど願ってやまなかったこんなことに、葵は言葉もなくてその紙を奪い取るように取って、それを目に焼き付けるように見つめた。間違いなく書いてある、男鹿の住所、氏名。男鹿辰巳。ああ。この日を、どれだけ待ち望んでいたことか。何度も結婚という言葉を飲み込んで、祖父にもそれとなく言われていたことだったけれど、男鹿からの言葉が聞きたくて、どうしても自分から言いたくなかった、女としての最後の砦みたいなもの。求められたいという最終形。好き合っているだけでは得られない、男女の最終的な行き先。
 葵の頭の中に、今までのいろんなことがぐるぐると巡って。それは時に厳しくて辛くて、けれど確かにうつくしくて楽しくて嬉しくてすばらしい。ひな祭りというものは、ヒナがオトナになる日なんだ、きっと。流れる涙を抑えきれず、葵はそんな呑気なことを思った。婚姻届を握り締めながら。
 きっと、あなただから、そう思えた。きっと。


15.03.03

30分くらいでチャラチャラっと無茶ぶり書きました、ごめんぬ。
これを深海にてに入れ込んでしもうていいものか分からなかったのですが、ここに向かって書いている、という意味合いも含めて(この先もあるのだと思ってますけれども!)これも深海にてのシリーズに入れることにしました。エロ要素ないぜー?w

男らしい、けれどケンカ以外にも男気ある男鹿が書きたい!ってのもありました。

ちなみに、こんなのとまったく無関係なエロも書いていました。なんだか続きが書けそうもないので、中途だけどアップしようかなぁ…


今日の私は結婚うんぬんというか、仕事だww 両さんの誕生日だからそれは思い出してましたよw

2015/03/03 22:59:02