恋をしている君は誰よりも美しく誰よりも僕に残酷だ 7



 レベルアップの音楽が流れる。いつも葵はゲームをやらないので、たまに待たされるときにレベル上げのためにグルグルと辺りを回りながら敵を倒す。辺りのことを、ときにダンジョンと呼び、ときにフィールドと呼ぶのだと聞いた。そうして戦っているとたまにこの音が流れて、ゆうしゃはレベルアップした。なんて文字と上がったパタメータが画面に記される。ゲームに興味のない葵でも意味は分かっていた。レベルアップとは、強くなることだ。これを見るたびに葵は思う。人も、これくらい分かりやすく強くなれればいいのに。分かりやすいのに。どうして人は、
「よ、待たせたな」
 近くのスーパーだかコンビニだかに買い出しに行っていたという哀場猪蔵が戻ってきた。残念ながら料理の類は葵よりも哀場のほうが上手いくらいだ。だから哀場の家に行くときは彼に任せている。こうして自宅デートするのは珍しくない。好きだと何度も言われてこうして一緒にいる。葵には分からない。こうしていて、気が安らぐのは事実だ。でも、それが哀場猪蔵を好きと思っているかどうかはまた別の話だとも思う。好きと思ったのは、そういった激情は男鹿に対するものだった。その男鹿は今はいない。いつ戻るとも分からない。だが、葵へ向けて何の連絡もない。待つのは寂しい。かなしい。つかれた。そんな気持ちの中、近くに来たのは哀場猪蔵だ。彼は自分を利用してくれていいと、そうつよくいった。そんなことができるほどに葵は大人でもしたたかでも、女でもなかった。その狭間で揺れていることなど、哀場猪蔵にはきっと分かっているのだろう。それとも分からないのだろうか。「食お」の一言を皮切りに、二人で軽食をとりながらそんなことをぼんやりと思う。ゲーム機のコントローラはそこらに置きっぱなしで、放ったまま。二人で食べる食事がおいしいと思ったのはいつだったろうか。葵はふと昔のことを思う。
 祖父と二人、否、ほんとうは弟の光太もいるのだけれど、幼いころの葵は歳の離れた弟のことを、同じ人間として見ていなかったように思う。もちろん悪い意味じゃない。動物のような感覚だったのだ。そして母も父もいない。祖父と二人で食べる食事はいつも祖父が用意してくれていた。むっつりと黙ったまま食べなければ、祖父は怒ることがあったから葵は黙々とご飯を口の中に運んだ。おじいちゃんは怖い。昔、葵はそう母にも父にもいっていた。今でこそその思いは萎んでしまったけれど。どうして怖いと思ったのか。それは祖父があまり話をしない人だったからだ。慣れてしまえば「そういうものだ」と割り切れることが昔はできなかった。ただそれだけのことだ。いつしか邦枝家の食事には光太も入って、気づけば三人の食事になっていて、気づけば食事をつくる役目は祖父から葵に代わっていた。それは少しづつ祖父と近づいてから間もなく、そして徐々にそうなっていっただけのこと。気づかないうちに役割分担はパックリと割れていた。それが嫌だとも思わなかったし、当たり前のことだと思っていた。ただ、母も父もいないことが寂しかった。その気持ちは父母の記憶のない光太には聞いたことがないけれど、きっと持ちえないものだろう。そう思うと、寂しいと思えるだけ葵はすこしだけしあわせなのかもしれないし、ふしあわせなのかもしれないとも思えるのだった。
「ふしぎ。哀場くんといっしょに食べると、光太たちと食べるものと違う味がする」
 それは、決して意味の含んだ言葉のつもりなんてなかったけれど。どうしてか分からないけれど哀場は真剣な眼差しで射抜いてくる。その目は葵の何を見ているのか分からない。耳に聞こえるのはテレビの画面からつけっぱなしのゲームの音楽が何度もなんどもループしている。強くなったゆうしゃたちが歩く架空の町で、聞きなれた曲が鳴る。
「そりゃそーだ。千代と食うもんと同じ味なもんか」
 照れたようにそれだけいうと再びどちらも己の口に食べ物を運んで、こんなたゆたうような午後を送ってもいいのかなどと学校の冬休みという長い休みのことをいとおしく思えるのだった。哀場はいつも思ったことをバカ正直に葵に口にする。口にすることで伝えるのだと彼はいう。それがいちばん伝わるのだし、たしかなことなのだと。葵もそれを思う。もちろんそうだとも納得する。口にしたことはなかったことにはできないし、自分ではない誰かのために、伝えるために、たしかにそこにあるべきものなのだろう。それでも葵は思う。自分は話して伝えることが苦手なのだと。幼い頃からそんなことばかり思っていた。いって分かることならどれだけ楽だろうかと。だからこそ哀場の言葉は胸にじゅわりと染み入るみたいに入り込んできて、葵のこころを溶かそうとする。いえない自分の代わりに彼がいるみたいだと思ったのは、付き合い始めて間もないころ。それから数か月経ったけれど、彼と葵との関係はさほど友人のひとりと変わらなくて、哀場が言葉にするほど「好き」の意味が分からなくなっていく葵は、自分自身にわけのわからないもどかしさのようなものを感じている。今もそうだ。
 哀場はつよい男だと感じる。それは彼女という立場にあるからではない。相対する立場にたってもきっと同じようにそう思うだろう。意思の力はとてもつよく、己が信じたものを決して疑わない、芯の強さを彼は持っている。そういうところは男女ではなくて、人として見習うべきところだと葵は認めている。だが、この思いと恋焦がれることはまったく違う。それは分かっていた。それだけに、葵は彼と一緒にいることについて、疑問もあった。あえて口にはしなかったけれど。食事はつつがなく終了。哀場の手料理とインスタントもののコラボレーションは悪くない。残ったらたまに葵は手土産にもするし、ときには千代と二人で食べてもらうこともある。そんななんでもないことがごく当たり前の生活の一部になっていることに、ふと葵は思いを馳せる。見たこともない魔界の暗い空を時折思う。
「ご馳走様」
「ごっつぉさん」
 片づけは葵の役目になった。役目があるときの葵は早い。その間の少しの時間、哀場はゲームに目をやる。レベル上がったんじゃん、と上機嫌の声。変わる曲調にバトル画面に入ったのだと分かった。男鹿と同じゲームをしているのだと分かってはいた。けれど元より葵はゲームに興味がなかったし、やりたいとも思っていなかった。覚えるつもりがなくても文字通りに進むゆうしゃのせかいにはすぐに足を入れることはできた。それだけだ。数枚の食器を洗いながら窓辺に映る鳥の影に目を奪われた。ツキンと胸が痛んだ気がしたのは、瞬間、怪鳥に乗る男鹿の黒髪を思い出したからだ。後ろを振り向いて、ゲームのコントローラを弄る哀場の背を見つめた。そうしないと、起きているのに夢を見そうだと思ったからだ。数枚だけの皿はすぐに洗い終わり、葵は先に座っていた場所に再び腰を下ろす。ゲームのキャラの動きは動いている。町の中に入ったようだ。目を向けずに、それでも哀場猪蔵はいつでも葵のことを気にしている。彼女のことを思っている。時折ちらと目をやる。
「なぁ、葵は何で俺がいねえときレベル上げしてくれんのさ?」
「待ってるだけだと、間がもたないでしょ」
「ゲームとか興味ねえって言ってたからよ」
「ないわよ。今でも」
「なら、ムリしなくていいのによ」
 どうして町の中に入ったのか葵は分かっている。ぼうけんのしょにきろくするためだ。ぼうけんは常にきろくしなければならない。きろくしないぼうけんは無かったことになってしまう。記憶があるのに、無かったことになってしまうのだ。もちろん、負けたこともきろくしなければ無くなるのだ。ゲームとはそういう世界だ。フェアじゃない。現実的に考えて。やってみればやってみるほどにそれが分かる。だからこそ、葵は興味など持てないのだった。だが、それは考え方の違いだ。だからなんだというのだろうか。
「ムリってどういうこと? べつにムリなんてしてないから、私はレベル上げをしてるんじゃない。ただ、ゆうしゃがつよくなるってだけのことでしょ、ゲームで」
 どうしてかイライラしていた。ゲームをすることが気に入らないのではないか。ゲームといえばとんぬらというあの謎の言葉。あとから聞いて葵も納得した。とんぬらなんて名前聞いたこともないのにすぐに覚えた哀場猪蔵と男鹿と。すべてあとになってつながった。今、どうして私はイライラしているんだろう。葵は抑えられない気持ちを感じていた。
 強くなりたい。つよくなりたい。葵はいつも思う。きっと想いの強さだけならば、男たちには負けないほど強い。けれど、思うだけで強くはなれない。強さは努力の後にようやく実るものなのだ。そしてそれは、過去に男鹿も誓って、哀場も望んでいるものだ。誰もが生きやすく強くありたいと願う。ゲームでは簡単だけれど、ほんとうの強さなんて目に見えない、パラメーター化なんてできないものなのだ。だからこそ求めてしまう。分かりやすい強さをほしがってしまう。誰もが。ふと目が合う。イライラしていることを知られてしまった。葵はびくりとした。それでも哀場は声を荒げたりしない。ふしぎそうな顔をして見つめているだけだ。どうして怒らないのだろう、どうして好きだと言い続けていられるのだろう。どうして好きだなんて思ったのだろう。彼は今から葵とどうしていきたいのだろう。こんなイラついた人と一緒にいたいと思うものなのだろうか。哀場猪蔵はとても素直でまっすぐな人だ。付き合いを続けているうちによくわかった。見たまんまのまっすぐな人だ。だが、それでも彼のことを分かるわけではない。
「ありがとな」
 哀場猪蔵は怒らない。深く追求だってしてこない。ムリにふれてくるようなこともしない。その時々に任せているようだった。それは煩わしさからはとても開け放たれた気持ちになるけれど、それでも、葵の胸はどこかすうすうするみたいな、なにか満たされないような思いを感じるときがある。それを言葉にはできないし、彼のように素直にも出せないのだった。それがまた悔しいような、やりきれないような、言葉にするには難しいもどかしさ。今日も怒らない彼に、思わず葵はきょとんとした。そんな葵を横目にしながら哀場猪蔵はゲームのコントローラを動かして、教会の牧師に話しかけて、ぼうけんをきろくする。セーブのときの音楽が流れてきたときに、哀場が葵の手を握る。その手はとても温かい。イライラしながらも癒されている。どこか懐かしい気持ちがした。葵は少しだけ笑った。


14.01.17

今年一発目、なんだか気難しい葵ちゃんとアイバーの話です!あけましておめでとうございます。しかも阪神大震災20年の日とかさぁ…
(ちなみに、震災はこっちも311とかあるんでお腹いっぱいというか……もう語れません)

この話はね、もっとグダグダうだうださせたかったんだけど、葵ちゃんって強いからそこまでわがまま言わないかなぁ、という感じでね。ハンパになってしまいました。
この流れの話はまた書くと思います。

恋だけじゃなくて、ヒトを形作るのはいろんなものがあるんだよって意味合いも含めて、恋愛ものが根底にあるこのシリーズでわざとこんな話にしたっていうのもあるんですよね。
しばらくはグダグダの恋愛だけの話はちょっとお休みしようかな、というか去年だいぶ書いたっていうのもあるし、飽きたかなw
2015/01/17 19:28:16