スキーは初めてだと禅十郎はいっていたけれど、飲み込みが早くて午前中だけで殆ど初級はクリアし、午後からは中級にいくことになってしまった。すぐに好きなようにスキーができるようになるだろう。スキーウェアもまぶしいほどバッチリ決まっていた。寧々は頼んだ先生からいわれた。
「あの人なんかやってた人? 覚えんの物っ凄い早いよ」
「なんだろねー…、ただの元ヤン?」
 今でも十分にヤンキーな気もするが。ストックを雪に刺しながら歩いて寧々に寄ってくる禅十郎の姿は凛々しい。サングラスにヒゲと濃いめの肌、加えてその長身にロン毛、目立って仕方ないが、それは寧々にも同じことが言えた。要するに、パッと見教師と生徒ではなくイケてるカップルに違いないのだった。
「ファー、疲れたァ」
「午後も教えて貰うんだから。それで一緒に滑ろう?」
「……まぁいいけどよ」
 ランチの前に休憩所で一服する。吐き出す煙が冷たい吐息をかき消していく。若くないんだけどこんなことしてていいのかね? 禅十郎は己に問う。寧々の気持ちは受け止めた。だが、受け取ることはできない、と思う。ならば初めから受け止めることは悪だったのだろうか。寧々はといえば昨夜の涙が乾いたと思ったら、もう笑顔だ。けれどこんなふうにズルズルデートみたいな真似をしていてはいけないと思う。それでも、背を向けて走りされないのが辛いところだ。
 スキーは楽しい。旅館のサービスも寧々のサービスも、露天風呂も最高。このくたくたになった身体でビールを飲んだらそれこそ最高だろう。だが、問題は山積みで気分は晴れない。吐き出す煙は冷気の中に消えていく。ちらと向けた目が寧々と合う。しょっちゅう合うということは、寧々はいつも禅十郎のことを見つめているということだ。学生時代の恋心は、特に先生に向けた背伸びしたものなんていうのは、その時の気の迷いだったり、勘違いに近いものだったりする。近い将来になればきっと寧々も分かるだろう。ただ、今この時に分からないし、解れないのだ。恋というものはえてしてそういうものだ。きっとそのことを近い未来に寧々も理解する。禅十郎が分かったように。
「スキーの先生いってたよ。飲み込み早いって」
「スポーツは嫌いじゃねえ」
 タバコはそれに邪魔をするもののような気がするけれど。寧々はそこは黙っていた。雪の白さに陽の光が反射して、その反射した光が禅十郎の横顔を照らていた。この人と、こうしてこんなところにいれて嬉しいとしかいいようがない。たまに垣間見える憂いのある眼が寧々の胸をうつ。気のせいだろうか。寧々はいつもそんなふうに感じながら禅十郎を見つめていたのだ。
 心の持ちようはまっ抱く違う二人は、同じようにランチに向かうのだった。



 今日も泊まりだった。
「おい、俺はな…んなつもりはねえよ」
「また、……する?」
 刺身に目をやりながら寧々は妖しく笑う。その視線の意味は女体盛りを指しているのだと瞬間に悟った。恥ずかしくないのか、こいつ。呆れたものである。女に手玉に取られる気分。禅十郎は部屋で休みながらもスキーでくたくたになった足を揉みほぐしながら首を横に振るばかりだ。
「布団も別々だ。ハッキリ言うけどな、このなけなしの理性もたねぇわ」
 分かりきっていたことをちゃぁんと白状した。昨日はすいません、バッチ欲情しました、と。言葉にしなくても伝わったろう。寧々は満更でもなさそうに獣の目をして頷いた。ちゃんと女性として見てもらえたのは、素直に嬉しい。子供だと思われるのが一番辛い。確かに生きてきた年数白状どこまでいっても追いつかない。だから常に寧々は禅十郎の前では子供なんだろう。けれど、子供だと呼ばないでほしい。生徒はそればかりを願う。
「今まで彼氏がいなかったなんてことはねえだろうな?」
 禅十郎は風呂上がりのストレッチをしながら、男臭いすね毛足を揉んでいる。寧々はそんな力の抜けた彼の姿を見られて嬉しいと思う。
「レッドテイル入る前はいたよ。ま、中学の時はね」
「早ぇ」
「背伸びしたいんだって。フツウに恋人だったと思うよ。エッチまではしなかったけど」
「……分かってんじゃねえか、クソッタレ」
 それなら。それならどうしてこんなおっさんを選ぶ。そう聞きたかったが、どう聞くべきか言葉が浮かばない。自分でおっさんといってしまうには少し若い。所詮おっさんだけれども。禅十郎は十分にストレッチをしてからビールを汲む。この流れだとこのまま泊まりである。だが既に旅館は押さえてあるのだし問題はない。午後まで十分に楽しんだスキーの疲れは時間差で禅十郎の身体を蝕んできたらしい。あとは飲んだら泥のように眠るだけだ。今夜はきっと情欲の出る幕はなさそうである。
「スキー、楽しかった。ありがとな」
「禅うますぎ。もうスイスイだもんね、なんかやってたの? スポーツとか」
「………俺がガキん頃してたのはケンカだけだあ」
「男鹿とおんなじじゃーん」
 ビールを喉に流し込むと、一息に飲んでジジイくさく息を吐く。っあー、うまい! というやつである。社会人になると分かるけれど、この喉ごしが堪らずこのために働くようになるのだ。窓の外に目をやると白い雪が目に入る。テレビがクリスマスをしつこいくらいに告げている。そういえば24日、今日はクリスマスイブだったか。
「なんでスキーだったんだ?」
「石矢魔は雪が降らないじゃない」
「そりゃそーだろうよ」
「どーせならホワイトクリスマスがいいなって」
「……くだらねえ」
 禅十郎は反射的に頭を抱えた。
 ホワイトクリスマスがなんだ。そもそも日本人に関係のないクリスマスについて、そんなに深く考える必要だってない。それなのに、どうしてこんなにこだわるヤツがいるのか。ロマンチックだ、なんていって全然意味がわからない。男のロマンと女のロマンの、この違いよ。ドリームの違いが甚だしいから男だの女だの、昔から相容れないところがあるのだとはわかっている。それは、古の時代からずっとそうだというし。ほろ酔い気分で酒を注ぎ足して飲む。見ているのはテレビの画面で、どうして隣に寧々が、教え子であるはずの、クラスの生徒の大森寧々がいるのだろうなんて、分かりきったことを脳内に反芻させるのだった。
「アタシだって思ってたよ。クリスマスなんてくだらねえ、って」
「そりゃ気があうじゃねえか」
「でも、乙女になると変わるもんなのね。こんな気持ちになるだなんて、去年のアタシならせせら笑ってたわ。きっと」
 恋もして、すけべなことも経験して、結婚はまだしていないけれど、社会の経験もして、おまけに魔力の経験までしてしまって。それでも分からないことだらけだ。世の中なんて。子供はいうほど子供じゃないし、大人もいうほど大人なんかじゃない。ただの子供を積み重ねたのが大人と呼ばれるものになる。積み重ねるということは大きさや厚みが増すけれど、根底は変わらない。生まれ持ったものや感じ方なんてものはきっと個体差であって変わらないのだ。だから、急に大人びたように色っぽい寧々を見てドキッとするなというほうがきっとむりなんだろう。寧々は禅十郎に寄りかかって微笑みかけた。ひたりと、くっついて身を寄せてくる。離れたほうがいい。禅十郎の理性はそう告げる。もちろん、隣で寝たって襲わない自信はある。昨日のアレを耐え切ったのだし。と、昨日のことを思い出すと、これがまた困ったことに寧々がいるだけで目のやり場に困るのだった。堪らずくいと酒を煽る。酔いは情欲に勝るはず。
「離れろっての」
「やだ」
「あのなあ…」
「なんでよ」
 テレビがクリスマス特番を告げている。芸人が視聴者のためにクリスマスプレゼントに笑いのホームランを打ちますと言いながらネタをやる。年内に何度も見たネタで、そんなに笑えない。ほろ酔いの頭がぼやんとしているのだろうか。禅十郎は掴まれた腕の力の強さに気付くまでしばらくかかった。寧々の腕が震えている。そんなに強い力でなかったせいなのかもしれないけど、ぐいと引っ張られて声が強張っていたせいで聞こえにくかったのもある。
「なんで、って言ったの」
「はあ? なにが」
 話の流れを記憶しておくほど集中していないらしい。怒ったような目をした寧々と目があった禅十郎は、その様子に気圧された。のしかかるようにしてそのふくよかな身体で押してくる。こういうの、考えなしでやっているのかそれとも計算尽くなのか。女心はきっと死ぬまで禅十郎には分からないだろう。
「アタシが嫌ってこと?」
「んなわけねーだろがよ」
「じゃーなんで、離れろっていったのよ」
 それかよ、面倒くせーなー。と思ったけど、すんでのところでその言葉を押しとどめた。これをいうわけにはいかない。なぜか。それは、寧々が生徒だからだ。きっとそれをいえば寧々は傷つく。結局はそこに行きつく。話は堂々巡りだ。世間体というやつ。大人になってしまったんだなぁと感じる。それが寧々のような無垢な気持ちのものにそれを感じてしまうことが申し訳ないとも思う。だったら正直に、生徒らに近い気持ちで答えてやらなければならない。己の気持ちに素直になって。そう、ありのままに。
「ぶっ飛びそうだからだよ」
「なにが?」
「…理性」
 一番、寧々を傷つけない方法。それは、お前は女だといってやること。その上で、できないといってやれば納得するだろう。だから少しでも傷つけないように、そう思うのであって。恥ずかしい気持ちなど微塵もない。だって、子供なんかじゃない、相手は女豹といったほうが近い。だから素直にいえるのだ。そのおかげで寧々は僅かに微笑みながら問い返す。女として見られるのは、思う人がそう見てくれるというのは嬉しいことに変わりはない。どんな形だって。
「いいじゃん、飛ばせば」
「ダメだってーの」
「なんで」
 だが、こうして押し問答が始まるのか。どうしたって傷つけないことなんてきっとできないだろう。無垢な彼女を。どうしたって傷つけることしかできないのだろう。どうすれば傷を浅くできるかなんて、無謀なことばかり禅十郎は思う。こんなふうに相手を思いやる気持ちなど、これまであったろうか。考えてみたけれど、思い浮かぶことがない。それほど冴えない存在なんだろうなあ自分。心の中だけでちょっとひとりごちた。
「嫌いじゃねーよ。でもお前と、やるわけにゃいかねえよ」
「だから、どうして?」
「…おめーだってよ、どーする、ってんだ……」
 禅十郎の声がガラガラと掠れる。寧々の身体を押し倒すようにのしかかりながら、寧々の目を見る。まっすぐに見返してくる目は澄んでいて、汚れなんてないのだろう。それを汚すことは禅十郎には躊躇われた。その気持ちと行動とのせめぎ合い。禅十郎は寧々を間近に見つめて言葉を紡ぐ。
「子供、できたらどーすんだ…」
 そういうことだ。セックスを望む以上は結局こういう話になる。下世話かもしれないけれど、それでも望まれない子供を持つことなど禅十郎には考えられなかった。女を抱きたいと思うのは当たり前のことで、しかも寧々は女でしかないのだ。少なくとも、今この瞬間、寧々は生徒ではないのだから。


14.12.21

話自体は進んでませんが、向き合う感じになりつつある禅さんと寧々の話ですw
こんなん子供なら理想的に振られる話だな。まあガキなら振られたくないんだろーけど。。

2014/12/21 21:04:38