※ 姫川夫妻 うだうだ竜也が考えるはなし
※ 愛よりセックスの正当続き
※ 鬱展開


みんないつかは死ぬの



 愛とか、子供に対する気構えとか、そういうことを聞かれる。答えるのは当然、まだまだ一年生にもなっていない自分たちなのでたどたどしい、穏便な答えばかりだけれどそれで納得する人がどれくらいいるのかは竜也にしても分からない。べつに愛などなくても、情などなくてもセックスはできる。子供のことを考えるようになるのは結婚というものに直面したから。元来苦手で、よく分からない生き物が新たに誕生することに対しての言葉にできない不安は山のように、ときに川や海のように竜也に押し寄せる。不安は不満を生む。そこにいるはずの潮もいない。不満は言葉にならないからどこにもぶつけようがない。言葉にならないから不満はどこか弱い、そしてどこか強い。気持ちを弱くして不満だけを強くする。気分的にその不満を弱くするのはむず痒い快感だけだ。それが痛みを伴えば尚良し。罪悪が快感を増すだなんて人というやつはどうかしている。罪悪が心を焦がして脳内は痺れてゆく。目の前で鳳城林檎の肢体が踊る。モデルのようなプロポーションに、汗とそれ以外のぬらついた艶やかさ。体液が脚の付け根を濡らしている浅ましい姿は仄暗い部屋のなかでとても背徳的で痺れを増すのだ。竜也の首に両腕が回されて、耳に吐息を吹きかけられる。眼に映るのは暗い病室の風景。とても無機質ななか、後ろに揺れるカーテンからときたま覗く向こう側の現実の景色。現実と非現実が交差する頭のなか。
「……きて」
 冷めた。竜也は目を逸らした。耳元でペチャペチャと濡れた音がする。耳たぶを舐めている女。誘い文句に色香のある言葉と雰囲気。そのどれもが色褪せていく。冷めるとはそういうことだ。強引に女にのしかかり、押し倒す。人の熱気で温まったベッドの上に衣擦れの音だけを響かせて揉み合うような格好になる。竜也は看護師を見下ろして低くいう。
「いらねぇ」
 その言葉が予想外だったのはいうまでもない。呼ばれてそのまま来たくせに、そう目がいっている。男は身体で落とせると信じている目。バカにしきっている。ありありと出てしまっているのを感じると、さらに気持ちは冷めていく。欲望も失せるというものだ。
「間に合ってるよ」
「奥さん、体調悪いのに?」
「安い身体にゃ、興味ねえんだ」
「気持ちよかったでしょ?」
「…いらねぇってんだよ」
 冷めてしまった。脳髄まで痺れさせるほどの快楽にはまだまだ足りない。それ以上に考えることもある。これからのこと。未来のこと。親のこと。潮のこと。会社のこと。少なくとも目の前にいる看護師のことを思う余地はひとつもない。萎えた気持ちは戻ることはなかった。竜也は振り向くこともせずに看護師に背を向け、暗い部屋を後にした。女のなかに残るのは、敗北感。それだけだ。暗い部屋のなか服を着ながら悔しさに唇をつよく強く噛んだ。

 竜也が向かったのは潮がいる病室だった。体調が悪いと入院して十日。間もなく潮は退院する。もうここにいる必要はない。体調は快方に向かうだろう。あとは気持ちを落ち着けることが必要だった。潮は窓の外を見つめていた。その目には何が映っているのか、それは潮以外に知る由もない。ただ、映したくないものをむりに映すことはないと竜也は初めて思っている。顔色はまだ悪いままだ。早く体調が回復すればいいのにと思うが、そんなに簡単なことではない。すくなくとも、二人にとっては。
「医者んとこ行ってきた。退院許可もらってきたから、外食でもするか?」
 少なくとも病院食よりはどこか店で食べたほうが美味い。だが、潮の顔は曇ったまま目に輝きはない。病室の匂いはあまり精神的にいいものじゃない。人の生き死にを司る怪我とか病気の病棟とは違うので雰囲気もまあるいものだが、こんなところとは早めにオサラバしたほうがいい。気持ちのいいところではないからだ。潮としては食欲が湧かず返事をする気になれないのも、竜也でも分かるが人は生きている限り食べないわけにはいかない。気持ちは空腹などなくても、体は空腹を訴えるはずだ。細くてちいさい手を取る。
「…はやく、へやに、もどりたい」
 手を握り返しながら、どこを見るともない目でぼんやりどこかを見ながら潮はいう。外食じゃなくてシェフに作らせるか。竜也はすぐに頷いた。片付けは蓮井に頼んでおけばいい。ただ、しずかに日々を暮らすことも必要だと思う。それが可能かどうかは分からないが。近い未来のことすら、もはや読めなくなっていた。ただ、今の潮をなんとかしてやりたいと思っていた。彼女は今、とても落ち込んでいて、悩んでいて、自分を見失っている。そして、これからをひどく悩んで、どこを見ればよいか分からずただひたすらにぼんやりしている。それは言葉にすらされないけれど、きっとそうだ。潮の気持ちの、ごくごく三分の一くらいでも分かってやれるつもりで竜也はいる。本当のところを測れる機械などないのだから気持ちの問題でしかないのだけれど。



 上の空でぼやっとしたままの潮と一緒に帰ったのは何日ぶりだったろうか。竜也はあのとき、入院だなんだと騒いでいたときのことを思い出せる。そう遠くない過去だからだ。つい最近のこと。だが、もうしばらく行く必要のない病院。…だといいけれど。
 部屋のソファは病院のベッドなんかよりも断然ふかふかで気持ちいい。けれど気分は晴れない。潮は自分の体に触れようともしない。着替える以外には。着替えるときは致し方ないけれど、必要以下に触れないようにしているのがわかる。自分はバイキンみたいに、そんな感じに見えるほど己に対してやりきれない思いを抱えているのが分かる。それを見るのは竜也としても辛い。悪いのは潮じゃない。どちらかといえば竜也のはずだったというのに。こんな嫌な思いをするだなんて、どちらも思っていなかった。世間がどうとか、そういうものは一切考えたくない。せめて今夜は、今夜だけは。

 竜也は今日、医者から呼び出された理由を思い出す。あのときの発言ほど死刑宣告に等しいものはない、そう思ったのは己が親としての自覚が芽生え始めたからだったのか。そんな大人なつもりなど一切なかったというのに。
「流産しそうなのです! …こちらに来て、頂けますでしょうか」
 それは竜也が忙しい人だと知っての言葉。おずおずと述べられた言葉。それすらもイラつく原因だった。竜也は咄嗟に走った。会議をキャンセルした。体調が悪いと顔色の悪い潮を思い出した。ときに真っ青な顔で笑っていた。医者がなんたらいっていた。完全には理解できない。医者のせいにして丸投げしつつ仕事をこなした。子供はできてしまえば、例の十月十日。それを平和に過ごせば生まれるものだと思っていた。危険など、母体になにかない限り、あり得ないものだと。そう、母体になにもなくても、子供は呼吸できなくなるだなんてことをまったく予想もしなかった──ひと月ほどまえ、潮が竜也を何度もしつこいくらいに呼ぶものだから、行ってみた。面倒だな、思ったのは顔にはきっと出ていたろう。けれど、そんな想いはすぐに消えた。潮は膨らみつつあるお腹をゆるゆるとなでながら触るようにいう。その笑顔に母とはこういうものなのかと竜也は思ったものだ。そして、身を寄せた竜也にどがんと蹴った赤子の足の感触は、たしかに忘れられないものだった。腹のなかでそれは生きているのだと──。予想しないことが起こるのが、人生だ。誰かがいった。たぶん大昔に「ありきたり」の発言になっているかもしれないけれど。
「気に病むな。竜也、お前まで」
「……さすがに、そいつはむりだ」
 竜也は言葉にしなかったが、子供ができたと聞いたとき、実をいうとそこまで嬉しいとは思わなかった。むしろ、戸惑いすらあった、やはり親になるということに躊躇いがあったのだ。自分から見て親というものはほとんど尊敬するところのない、ただの奔放な大人の一人だったからだ。金さえあればそれを愛だのと名前をつける。へんなやつらだと思っていた。潮も似たようなもので、それよりももっと窮屈な愛と名付けられた押しつけを受けて育ってきたのだ。そんな二人で子供を曲がらないように育てることなんてできるのだろうか。竜也はそんなふうに感じたものだ。もちろん、こんなことを思ったなどと誰にもいわなかったが。
 だが、それ以上に竜也自身に問題があって、子供が作ることができないと知ったときのことが衝撃だった。お忍びで調べてもらった精子のこと。ひそりといわれた量の少なさに目の前が暗くなったのを忘れられない。男として生きてきたというのに、それを否定されたみたいな、頭を後ろからガツンとやられたような気持ち。子供がほしいなどと思ってもみなかったというのに、いざできないとなると慌てる。人として否定された気持ちになる。男として自信がなくなる。すべてが衝撃だった。そんなふうに思うことについても、すべて。しかも、年齢についてもあるのだろう、周りが子供がどうたらといってくることが多くなった。周りがウダウダいうんじゃねぇよ。竜也は煙たかった。もちろん他人は人の気など知りもしないだろうけれど、それはお互い様と割り切ってしまえばそれまでのこと。それはそれとして、子供うんぬんは考えたことがなかったが、いざできないとなると人は思った以上にヘコむということは分かった。あとはそれを潮にカミングアウトする必要があった。まさか盗聴されていたとは思わなかったが。だが、潮は気にしなかった。すくなくとも態度では。それを見て初めて竜也は気付いた。子供はできなくてもいいんだ。そう思えることで、どこかホッとしている自分がいた。やはり姫川の名前など継がせたくないという思いが心のどこかにあったのだと思う。自分の親のことを思う。
 金を持っている。商売人の両親。しかし若いうちに父が死んだ。覚えていない。母には商人の才能があった。姫川の家は変わらず栄華を保っていた。子供のことは顧みない商売人。家にいることは稀。別々に暮らすことが当たり前になったが、金持ちらしくヴァイオリンを習わされたり、お受験をさせられたりすることになった。これはただの母親の見栄だと気付いたのは小学生のときだ。あのときから竜也は母を母と思わなくなった。リーゼントと出会ったのはその頃だ。あれこそ運命の出会いだったと思う。これが似合う男になると子供ながらに竜也は決めたのだ。現実、リーゼントが似合う男になれたかは疑問だがそこは言及しないでおく。母親は存在している。生きてはいるが、どちらかといえば召使や蓮井のほうが母親に近い存在だ。親の情など、中学のときビジネスで成功してからは忘れてしまった。連絡も取っていないが、きっと竜也がメディア露出があるので何をしているのかは多少は把握していることだろう。その程度で十分だと思っている。その程度にしか思っていないはずなのに、ふと、今回思ったのだ。あの女は孫を見たらどう思うんだろうか、と。竜也はたった一人の息子のはずだ。結局、商売に魂を売って男には走らなかった人なのだ。女ではなく仕事人でしかなかったのだろう。再婚はしていなかったはずだ。一人息子の孫を見る気持ちというものを、生まれて初めて思った。
 他には、潮が結婚してからというもの子供がほしいとか、子供は夫婦の愛の結晶などと夢幻のようなことばかりいうようになった。竜也とは考え方があまりに違うと思った。そもそも愛だのというものを信じていないのだから。今でも分からないと思っている。そもそも愛の定義などない。ばかばかしい戯言だと感じている。鼻で笑ってしまうくらいに。
「気にすんなってのはむりだね。人が一人、生きる前に死んでんだぞ……」
 日本語として成り立っていないとは思うが気にしないでほしい。ほしいとも思わなくても、腹のなかが見えなくても、生きていたものが死んでしまったと思えば、見たことがないのにこれだけ落ち込めるのだ。そこで初めて感じる。生まれることを知らないうちに望んでいたのだと。でも実はそれよりも、潮の死んだような表情が竜也の胸に突き刺さったような気持ちになったのだ。生きながら死んだのかもしれない。母親になりたくてなった潮は。慰めなんて安っぽくて、できることなんてきっと竜也にはないんだろう。だけどなにかしてやりたいと思うのが人情というやつで、初めてそんなことを思った。
 だが、竜也の言葉は逆の方向に向かってしまったようで、潮は目に今にも落ちそうなほど涙を溢れさせていた。そういう顔が見たくないと思ったというのに、どうやら仇になったようだ。肩を震わせて、それでも気丈に声を出さずに泣く。それを見ても竜也にできることはない。ただ、ばかみたいにボーッと突っ立っていたり、そこにいたり寄り添ったり、そんなことしかできない。

 竜也は医者から呼び出された理由を思い出す。あのときの発言ほど死刑宣告に等しいものはない、そう思った。その気持ちは今も変わらない。
「残念です──。流産です」
 やっぱり潮は死んだような表情で竜也を迎えたから、目の前が暗くなった。
 今もそうだ、潮は悲痛な表情を浮かべて涙を流している。他にできることはないから隣に座って手を握る。これ以上悲しませたくないと願った。ひっそりと心のなかだけで。それを、愛と潮は呼んで、竜也は呼ばない。分かち合うのは悲しみと喜びを半分にして、一緒に感じること。あとは表す言葉の違いだけなのだと、当人たちは気づかないのだけれど。


14.11.25

ただの精神論だったりwww
この辺りで夫婦の危機をちゃんと作っておくかなw とか。かなり長くなっちゃいましたが、これからまたちょっとグダグダします

久々に暗いの書いた感じですねぇ。
こんだけ恵まれてる人でもどこかうまくいかないことがでてきて、迷ったりぶつかったりするんですね。金だけじゃないし、でも、愛だけじゃない。子供がいればいいってことでもないし、いないからいいってことでもない。
人が一人産まれるっていうのはそんなに簡単なことじゃないし、必要な人に意外にもできなくて、必要ないところにほいっとできちゃったりするんですよね!みたいな話なんです。
さりげに男女の違いとか、幼少のはなしとかを散りばめてます。
似た境遇で暮らして、気持ちの違いが生まれるのはやはり育った環境なのかなぁとか思ったりね。十人十色とはよくいったもんですよ。自分は自分、他人は他人なんですよね。


しかし、長く書いててさぁ、、これじゃなかなかアップもできないよなw 自分でそんなん思ってちょっと笑えました。

結構、姫川と久我山のはなしは、割と書きたいことはほとんど書けたかもしんない…。
でも、夫婦になるまえってほとんど書いてないんですよね。実は。結婚してからの…ってラブラブになりづらいので。何遍も浮気してますから、たっちゃんは。
とあるサークルさんの同人誌買いましてね、それ読んだら婚約解消しようって潮がいうんですよ。ああこの展開ありだなぁと思ってね。そっちが正当な気がしてきましたw おいどんも、こんなん書いてる場合じゃねーよなって。
みなさんはどう思います?

タイトルicy

2014/11/25 11:01:18