深海にて26


 男鹿の家に来ていた葵は、唐突な男鹿の言葉に目が点になっていた。祖父のことが男鹿の口からでたのは別に珍しいことじゃないにしても、まさかそんなことをいうだなんて思ってもみなかったのだ。
「いやいや答えろよな」
 何を言われても葵の脳みそはどこか別の星まで飛んでしまったようで、男鹿の言葉をうまく汲み取れないままだ。そういえば、と葵は最近の男鹿のことを思い起こす。それは瞬間のこと。前より触れてこなくなったような気がする。前よりベタベタしなくなったような気がする。放課後に一緒に帰るけれど、服の中に手を入れてくることが減っているような気がする。だが、そんなふうに思うということは、そうしてほしいと思うことと同じだ。それを自ら暴いてしまうだなんて、とても恥ずかしくてできない。男鹿に聞くことなど到底できやしない。考えただけで葵の顔は火照って赤く染まる。
「何で何も言わねぇの」
 男鹿は答えをしばらく待ったが、俯いた葵にそういった。何も言わない葵の態度はどこか自信なさげで心許ない。男鹿としてはそんなに難しいことをいったつもりはなかったのだが、そこまで気落ちするみたいな葵には困ってしまう。
「だって………、べつに、そういうの、……必要…?」
 答えはちぐはぐだし。男鹿の手は葵に触れるのではなくベル坊をわしゃわしゃと雑に撫でていて、二人は視線を絡ませ合う。葵の目は不安に揺れている。祖父のことを口にすると、どうしてもこんな顔になるのだ。仲が悪いわけではないのだろうに。
「付き合う、ってそんな…とくべつなこと?」
 今回、男鹿がいいだしたのは、今のところ近くに両親のいない葵の家に行くことが増え、葵の親代わりである祖父の一刀斎に「お付き合い」の許しをもらおうという話だ。だが葵はそんなものいらないだろうといっているのだ。むしろ、今時つきあう程度のことは小学生の子どももしているのだという。そんなだから許しとか、とくべつな挨拶などというものが不要というのも分かるが、それこそ付き合っているうちに男鹿のなかに芽生えた感情だったのだ。
「すくなくとも、俺にとっちゃとくべつだけど」
 生まれて初めて好きだとか、いろんなことをその人としてみたいだとか、一緒にいたくてたまらないだとか、そういうふうに思えたから。男鹿としては当然の答えなのだけれど。あ、と男鹿は声を上げた。
「む? 照れてる?」
「…というか、おじいちゃん、許すわけないじゃない。頑固ジジイなんだし」
 付き合っているということは、イコール結婚しますということではないのだから、許可もクソもないというのはまったく納得できる。だが、男鹿としてはヒルダと色々ごにょごにょあってから、まじめに付き合うとか好きとか、そういう今まで考えもしなかったことについて、真摯に考えてきた。自分というものを見つめ直す機会だったのだろう。恥ずべきことはたくさんあった。数日前の自分はどう考えても、控えめに見てもサカリのついた猿だった。人間としてあんまりだ。もちろんやりたいはめたい盛りなのではあるが、そればかりでは本当に猿と変わりはない。
「あのジーサンなら、そうかもな」
「だから…っ」
「気にすんな。言葉つうじねえわけじゃねぇんだし」
 男鹿の気持ちとしては、やはり罪の意識が大きい。葵にはいわないまでも、ヒルダとのことは反省している。そのせめてもの罪ほろぼしのような意味合いもあるが、それだけではない。やはり、葵のことも踏まえると、心配のない状態で付き合えるのが楽しくて、周りからも祝福されるほうが絶対にいい。コソコソしているのが性に合わないということもあり、オープンにしてしまいたいというのもあった。もろもろのことから、やっぱり親代わりの葵の祖父からも恋人というのは認めてもらいたいと思ったわけだ。とはいってもエッチなことしてもいいですか、と聞くほど野暮でもない。そういうところは一番親が心配するのだろうが、自分たちの経験を踏まえて入り込んでこないところだろう。子どもがどうのという話になったらそれはそれ。ちゃんと避妊はしましょうということで。セックスしていても、してませんって顔をしてやり過ごすしかない。これは中高生の恋人との関係について、よくあるバレバレな嘘だ。
「行くぞ」
「どこに?」
「とーぜん、お前ん家に決まってんだろ」
 目を丸くした葵から背を向けて、なぜなら葵はどうせついてくると分かっているから。わざわざ待ってやる必要もない。時に肩を並べて、時にともに闘い、時に背中を合わせて。


*****


「お邪魔しまーす」
「来たか、小僧」
 葵の祖父・一刀斎は道場にいた。一足遅れて葵が一刀斎の分も含めて人数分のお茶をだす。手を合わせてからお茶を啜る。熱々のお茶は猫舌なら涙目になるところだ。少し熱いのは苦手な葵は、飲み始めが一刀斎や男鹿よりもスロースタート。
「ジーサン、話があんだけど」
「ほお、話とな?」
 片眉をあげて威厳ある態度で男鹿を臆することなく見つめる目は、怖いほどにギラギラと光って威嚇しているようだ。まるで何が言われるのか、分かっているかのように。葵はソワソワと落ち着かない態度になった。それはそうだ、こんなことしなくても、こんな場面をわざわざ作る必要なんでないと今、この瞬間であっても思っているというのに。それでもやや強引に突き進む男鹿は何かに焦っている暴走自転車のようだった。
「俺と邦枝、付き合ってるんだけど。って前にいったっけ?」
 拍子抜けするくらいアッサリといってしまうものだから、葵だけじゃなくて一刀斎でさえ出鼻を挫かれるような感じになってしまって、何だかおかしな空気になってしまった。渋々というか、雰囲気に飲まれながら頷く一刀斎と葵がキョロキョロしていると何度も目が合う。だが、どちらも意味もなく慌てている。何に慌てるのかも分からずに。
「付き合ってからいうのもあれなんだけど。ジーサンもそのへん、許してくれよな」
「……じゃが、…高校生で、しかもお主らは修行中の身じゃろうが。そんな身分で付き合うだなんだと──」
 一刀斎としても、簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。今は行方の分からない葵の両親のことだってよく知っている。あの二人もまた同じ年頃に付き合っていたようで、卒業してしばらくしてから結婚の時に頭を下げに来た際に、一刀斎ははねつけるため怒鳴りつけたのだ。だが、結局は許した。覚悟があるし肝も据わっている。それを一刀斎からみて感じられたから許したのだ。しかし、覚悟は思ったよりも外の世界へ。肝がありすぎて家には留まっていられなかった。葵と光太を置いて、修行という名前の旅立ちから未だ帰らないままだ。同じ道筋を辿りそうな男が目の前にいて、一刀斎はデジャヴのようなものを感じてもいた。
「じゃあ、俺がジーサンに先に一発当てたら、許してもらうかんな」
 予想外の言葉を口にした男鹿が、飛び上がるように瞬時に間合いをとった。その跳躍は初めて会ったときの比ではない。この数カ月でどのくらい成長したのだろうか。勝手な男鹿の言い分を聞きたい気持ちにさせられてしまうのが不思議だった。急激に冷え込んだ空気に、葵も息を飲んで男鹿はこんなことをずっと考えていたのかも半ば呆れてもいた。これじゃただのバトルマニアだ。だが、生粋の道場主である一刀斎はその気のようで、乱暴者の男たちが集まるとこうなってしまう不思議を思った。単純でバカで、でもとても包み込みたくなるような、そんな気持ち。きっとこれこそが葵が好きになった男鹿で、一刀斎がいずれ認めることになるだろう、男鹿の姿なのだろう。そう思った。今はまだ認めてもらえなくても、いずれ男鹿の攻撃は先に当たってしまうから。


14.10.27

男鹿の反省回だと思ってます。
猛反省してるけど、顔にも口にも出さない日本人男子っぷりが、とにかく分かりづらいしアホですw
でも原作に割と沿ってると思うのは勝手なモーソーでっか?w


一刀斎組手編をちょちょいと書こうかな、という気持ちになりましたが、誰も読みたい人いないかなぁ、、。幕間つくっちゃうとそれで気が済むってとこもあるんだけどw

や、ここから続けるとなると、ちゃんと認めてもらってからじゃないと未来の話は進まないんですよね。しかもやることやっちゃって、やりまくってからなにやってんねん!って話なんだけど、そのへんの齟齬はもうしょうがないというか、いろんなことがあった上での今なのだし。そういうところが出てればいいかなと。

次は番外でなければ一刀斎組手編です。
なんか展開がまた遅いし、予想してないほうに流れ出しました。深海にてについては葵ちゃんとイチャイチャするってのしか考えてなかったのに、考えなしがもうすこし粘りますよっ。
2014/10/27 12:19:55