深海にて25


※ ヒルダ編のときの葵ちゃん


「なーあ、葵ちゃぁーん」
 こんな呼び方をするのは、常につきまとうように一緒にいる狛犬のコマちゃんである。彼と一緒に共闘なのか、契約なのかは葵にはよく分からないが、なんというかもう下ネタである。男鹿と付き合うことになったときもやらしいことばかり聞いて来て嫌だった。見ていたくせに見ていなかったフリをしてわざと、「どこまでいったのか?」とか、部屋にいれば「なにしてたんや?」とかうるさい。祖父のいるときに出てこないことだけが救いだが、単にコマちゃんは一刀斎のことが苦手で逃げているだけである。だが、少し前にいわれた話は葵にとっては聞きたくもない知りたくもない話だった。葵は女性的に泣いてしまった。そのときはコマちゃんもさすがに困っていたが、葵にはこみ上げるものを抑えることができなかった。
 男鹿が悪魔女に手篭めにされている。まさに今。男鹿はそんなふうに揺らぐ男じゃない。そう信じているからだ。だが、コマちゃんは次の日もいった。男鹿とはその日も一緒にくっつきながら帰って来たというのに。その手で別の女を抱けるような、心ない男なんかじゃない。それを強く感じているから。

「あんなー、信じたい気持ちはわかんねん。でも、男なんちゅうもんは、めっさエロいねんで? ほんま」
 いつものようにコマちゃんを殴って黙らせることすらできない。それは、男鹿と、男鹿のすぐ近い魔力が禍々しく強く高くなっていくのが葵にも分かったからだ。こんな魔力のうねりと強まりは、普通にはあり得ない。今までに感じたことのない魔力だった。だが、人は普通には暮らしていける。なぜなら、魔力を感じることすらできないからだ。今までの葵だったら感じることもできなかったのかもしれない。男鹿と一緒に修行もしたし、コマちゃんの力も借りている。だからこうして悪魔たちの魔力をひしひしと感じることができるのだ。これがコマちゃんの力のせいなら、今ほど嫌だと思ったことはない。悪魔の力を借りることは、人間の嫌な部分を知ってしまうことと同じだったのだ。堪らず堰き止めていたものが溢れた。涙がぼろぼろと決壊した川のようにこぼれ、瞬く間に頬を濡らしていく。コマちゃんの言葉など信じない。そう言い聞かせる。拒絶の言葉を口にしようとすると、うぐ、とノドが締め付けられるように痛む。だがなんとしても今拒絶しなければならない。男鹿は何があっても自分を裏切ることなどないと。
「なっ…、そないに泣くことないやんかぁ」
 コマちゃんの声は聞こえていたが、葵はその涙を隠すために突っ伏した。泣き声のままコマちゃんに抗議した。意味のわからない文句もいった。頭のなかがぐちゃぐちゃなので、出る言葉ももっとぐちゃぐちゃだ。男鹿への文句も垂れ流しだ。信じているから、吐き出さないといらない気持ちがあるのだということに、生まれて始めて気付いた。誰かを好きだと思うことは、とてもまっすぐで単純だけれど、それ以外のことをとてもぐじゃついた複雑なものへと変貌させる。ただ、それでも男鹿はそんなことしてないといい続けるし、泣いているうちに疲れてくる。気付くと部屋は暗くて、葵は布団のなかでぐずぐずいっていた。いつの間にか寝ていたようである。ぽやんとした覚醒しないまま、また目を瞑る。やっぱり頭のなかは時間が経ってもぐちゃぐちゃのままだ。
 気のせいかもしれない。布団をかけてくれたのはコマちゃんだ。証拠もないのにそんなことを思う。間違いないことだと感じる。さっき夢のなかで聞いた気がした。見た気がした。
「ええねん」と。
 夢のなかのコマちゃんは狛犬の猛獣そのもので、禍々しい姿をしているけれどいつも葵のことを守ってくれる、許してくれる、やさしくて強い魔物だ。そう、あの魔力を放出する姿のコマちゃん。いつものシーサーのオモチャみたいな姿じゃない。そして言うのだ。
 泣いてもええねん。
 やりたいことやっとったらええねん。
 失敗してもええねん。
 やめてもええねん。
 好きなことは好きでええねん。
 疲れたら休めばええねん。
 今のあんさんで、ええねん。
 むりなんかせんでええねん。
 後悔さえ、せんときゃええねん。

 禍々しい姿なのに、颯爽としてどこかかっこいい。揺らめく気体のようなものを身にまとうコマちゃんの姿を夢のなかで見上げて、葵はしずかに微笑んだ。コマちゃんの大きなオーラみたいなものに包まれて、漂うような気持ちで葵は寝息をたてる。下等な悪魔であると師団の連中が前にコマちゃんのことをいっていた。だが、こんな温かな悪魔がいるのだろうか。葵にはとても信じられない。

「はあ…、さすがにエッチな夢見せたらアカンやろなあ。ほんでも、寝たときぐらい、ちっとはええ夢見たったらええわ」
 狛犬の悪魔の見せた、やさしくてあたたかな夢。先ほどまで強まっていた石矢魔の巨大な魔力も、今はなりを潜めてまるで悪魔などいないかのように、普通の町のように静まり返っていた。また夜が明ける。



 内緒だけれど、コマちゃんの手ざわりだろうと分かっていても、それが男鹿のものであることをずっと思いながら目を閉じていた。目を開けた朝は、障子の間から射し込む光が眩しい。ん、と眠い声を出しながら手を伸ばす。朝稽古には丁度いい頃合いだった。隣にコマちゃんが眠っているかとも思ったけれど、誰もいない。また、ええねん、が聞こえたような気がする。男鹿に寄り添いたいときにできないから、他に近いぬくもりを求めてしまう。弱い自分との情けないほどの戦いだと思った。魔力がなんだ。魔族がなんだ。ヒルダがなんだ。信じるのは自分しかいない。男鹿を見ても大丈夫なくらい、体を動かして雑念を振り払って、今日もいこう。
 泣いて疲れて眠って、起きて朝が巡って。昨日の疲れも涙も切り替えて、忘れることはないけれど、寂しさを埋めるために動く。早朝の風は体にひたりと冷たく、目もすぐに覚めてしまうようなもの。朝稽古のために今日も葵は木刀を振るう。


14.10.20

葵ちゃんサイド
エッチな要素は、意外にナシです。男ですコマちゃん。つーかコマちゃんを二枚目役にする意味なんてないんだがなw

実は葵ちゃんにはバレてましたよー的な話です。浮気だなんだと騒ぐのはええ女じゃないですから。というか、認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものは。
じゃーなくてw 不安MAXな葵ちゃんを書いておきたかった。それだけ。

男鹿は男鹿で葛藤してたわけですから、悪いのは男の側でしょうけどね。


関係ないけど、私は東北人だもんで関西弁は分からないし、あんまり好きではないです。でも、大好きなトータス松本さんの言葉とか思い出しながら参考にしました。エセだと笑うがいい。
でも「ええねん」はいい言葉かなぁと思って使いました。

しばらく葵ちゃんの気が済むまでイチャイチャえろえろさせようかなww

2014/10/20 18:54:50