なくしたものを数えてばかり


「邦枝、聞きたいことあんだけど」
 ベル坊をあやしながらミルクを飲ませる男鹿の姿は立派ではないがちゃんと父親のようにみえた。ふとした休み時間に唐突にそんなことを聞かれ、葵はなにも考えず「何」と短く答えるのみ。邦枝の顔も見ないでそれを聞く。
「お前の…いとこ、だっけ。青井、あいつ元気なのか?」
 青井? と思ったが瞬時に思い出す。初めて男鹿に会ったときのこと。まさか自分がレディースのヘッドですなんて言えず、しかも世を忍んで普通よりも地味めな格好をして弟を連れ歩いている普通の不良でない女の子を装っていたとき、男鹿は気軽に声をかけてきたのだ。あのとき会ったのは偶然だけれど、あれが自分だったなどと嫌われてしまうのが怖いから言えずにいる。
「なんで、そんなこと聞くの」
 だが、男鹿がそんな架空の葵の名前をだすと、自分のしたの名前を呼ばれたみたいで余計につらくなる。こんな思いになるのなら、嘘などつかなければよかったと何度も後悔した。けれどどうしようもなかったのだ。ついてしまった嘘は、つき続ければただの嘘ではなくなる。いずれ男鹿が青井くにえを忘れてくれるその日まで。
「や、だから……いとこじゃん」
 まあそうなんだけども。しかし胸の痛みは増すばかりだからイヤミの一つも言ってやりたくなる。だが、それがどれだけ虚しいことなのか。葵は分かっているからぐっと抑え込む。
「答えになってない」
「はぁ? なんか機嫌悪いんじゃね?」
 ベル坊がミルクを飲み終わりゲップを出させてやってから口元を拭ってやる。うとうとする赤子は魔王の子供のはずなのに、どうしてか男鹿にとてもよく似ている攻撃的な目をしている。だが今はもうお腹いっぱいなのでその色すらなくて、本当は男鹿もこんな姿をすることもあるのだろうな、と漠然と葵は感じた。



***



 世の中はケンカと土下座でいい。
 楽しくなったのはとくに、東条と会ってからだとおもう。やり甲斐があるというか。
 周りがどうこういうが、女の殴るのは腐ったヤローのすることとおもう。
 勉強は世の中から無くなればいい。
 仲間を守れないヤツは男じゃねー。
 筋は通せ!!!
 例外:コロッケ→心奪われっぱなし

 ザッと説明すると男鹿辰巳という男はこんな成分からなっている。まったくなんという単純な成分でできたまっすぐな男なのだろうか。
 そんな男が、とある女に恋をした。生まれて初めて。

「う、嘘だろ…」
「……………」
 古市は生まれ落ちて16年間の中で、一番驚いていた。それはもう、自分が分裂したことよりも何よりも驚いていた。男鹿との腐れ縁で小学生の頃からずぅっと一緒にいたのに、そういった浮いた話が一切なかったのだ。男鹿のところにはケンカだけがあり、それ以外は皆無といってよかった。だから隣を歩く時もたいへんではあった。しかし、それも楽しいということもあったし、男鹿は独りになりたいというわけではないことも古市は理解していたから、不本意ながらも肩を並べるのが当たり前であったのだ。そこには暴力があった。それしかなかった。その男鹿が、真剣な眼差しで、睨みつけるように古市を見て、あり得ない言葉を吐き出したのだ。古市はあり得ないことに恐れ慄いていた。

「好きなヤツができた」
 普通のことですよ? もちろん普通のことでございますよ。でも、その普通のことが、男鹿が関わるとおかしなことになるんですよ。だって男鹿ですよ? 好きなヤツができた、とかいうタイプじゃないでしょ。もしかして、好きってコロッケのことでしたー。とか、ごはんくんの新キャラのことでしたー。とか新しいゲームに首ったけでしたー。なんてオチじゃないだろうな、と何度も何度も古市は頭の中で疑った。疑いすぎて、逆に言葉が出てこなくなった。
「嘘じゃない」
「何があったの?いやまじで」

「前に会ったんだ。邦枝のいとこ」



***



 古市は寧々の家の前に立っていた。心臓切り刻まれ時限付き死亡届出された際、ミニ古市の一人が寧々の家に行ったことがあり、彼女の家も水着姿も網膜に焼き付いている。
 ピンポーン。まったく驚くほどの豪邸。姫川といい寧々といい、普通の生徒はあの学校にはいないらしい。
「はーい、どなた?」
 意外なことに寧々ではなく美女が出てきた。寧々によく似たスタイルと器量よしの美女。年齢は高いのだろうが若く見える。だがこの人はきっと寧々の母親だろう。
「僕、古市といいます。寧々さんいますか?」
「寧々の友達ね。うん、まってて。呼んでくるから上がって」
 寧々の母親は尋ねてきたのが男子だったことには驚いたが、まじめそうな普通の子だったので安心してもいた。だが、家にくるということは、もしかしたら彼氏の可能性もある。だが、そんな相手がいることなど聞いていない。内心、不安になりながら寧々のことを呼びにいく。
「友達がきてるわよ。降りてらっしゃい」
 そういう呼ばれ方をされることについても、ドキドキしながら、さらに広くてすごい佇まいを見ながら黙っていた。こんな家かよと緊張する。ついでにお母さんは美人だし。そんなことを考えながらもじもじしていると寧々が難しい顔をしながらやってきた。古市を見るなり驚きのあまり顔を強張らせ、だが仕方なくソファに腰下ろす。
「なんであんたがくんのよキモ市。しかも急だしマジキモ」
「寧々さん、急にきてごめんなさい。実は相談があるんです。邦枝先輩と男鹿のことなんですけど」
 いろんな罵倒を受けるより先に名前を出してしまったほうが話がスムーズに進む。智将として考えた結果はものの見事に的中した。ストレートに話すことにした。そう、それはもう誰でもが理解できるように。


「実は、男鹿に好きな人が出来たそうです」
「……………」
 寧々も絶句した。
 それはそうか。古市だって同じような表情と気持ちだったに違いない。それほどに男鹿が恋とかそういう話に首を突っ込むことはあり得ないことなのだ。
「も、しかして……ね、」
「言いたい気持ちは分かります。ですが、違うんです。いとこ、ですって。邦枝先輩の」
 状況を知る寧々は戦慄した。



***



 寧々は悩んでいた。葵がついた嘘がたいへんなことになっていると知っているのは、今のところ寧々しかいない。そんなことを悩んでいるのに母からのあれは彼氏かなどという追求がとにかく耳にうるさい。というかウザい。静かに悩ませて欲しいと寧々は、ただひたすらに願った。
 どうか、姐さんにいい思いがさせられるような、そんなふうにうまくことが運びますように。
 それにはやはり古市に言うしかないのだろうか。それとも男鹿に直接言うべきか。いや、葵が隠している以上勝手なことはできない。葵に相談するべきだろうか。だが葵は物凄くショックを受けそうだ。悩んで悩んで悩んだ末、結局答えなんてでない。動けない。寧々もまた怖いのだった。



***



 男鹿は少し落ち込んでいた。ただ青井くにえのことを聞いただけなのに、葵は怒り出す。どうして気になるんだろうと考えていた矢先、ぽっと答えは見つかった。そうか、これが好きだってことなのか。初めて気付いた。自分の気持ちに。そういう意味でも、青井はベル坊の母親にやはりぴったりなのだと男鹿は思う。ベル坊と光太と、青井と男鹿と。四人でほっこり過ごすのもいいだろう。公園でボソボソ言われていた夫婦なんて話が本当になったらきっと幸せなことだろう。とまぁ、ここまで話がいくには男鹿はまだ学生なのだし早いけれど、諸々を含めて、会いたいと思っているのだ。
 そして思い出してみた。青井くにえのことを知っているのは邦枝かその祖父しかいない。結局、まずは邦枝に言うしかない。男鹿はベッドの上でごろりと横になりながら、近くで座ってベル坊と遊ぶヒルダを横目に見た。
「何だドブ男」
「いや、いい」
「なにがだ」
「なんでもない」
 無意味にドブ男呼ばわりされるのももう慣れたものだが、やはり女性はこんなくそ殺人料理を作らないで、ドブ男呼ばわりしない女のほうがいいに決まっている。そう思うと鼻で笑えてしまう。気の持ちようが変わってしまう、恋というものはどこまでもナゾだ。人間の永遠のテーマなのかもしれない。



***



「あーのーよー、話あんだけど」
 また数日前のように男鹿はベル坊をあやしながら葵に声をかけた。
「何かあった? 日直?」
「バーカ、違ぇよ。青井のこと」
 その場の空気は凍りついた。そこには男鹿と葵以外の面子もいたし、古市も寧々もどうしようどうしようとばかり思い、一緒にいたのである。だが何もできないままだったのだが。しかし男鹿自身がそれを口にしてしまった。パンドラの箱を開けるのは、用意したその人だったか。
「あのあと考えたんだけど、俺、会いたいんだよ。青井と」
 そしてサラッとそんなことを言ってしまう男鹿には驚かされる。また、葵も息を飲んだ。あのとき、その話は終わったのではなかったのか。しかも架空の青井くにえと会いたい、などというなんて想像もしていなかった。だから反射的に聞いてしまった。
「え? なんで会いたいの?」

「好きだから」

 地面からガラガラ崩れていくような、そんな気がした。この様子では邦枝葵と青井くにえのつながりなんてまったく気づいていない。そのつながりを知ったら、男鹿はどう思うのだろう。騙されたと思って葵に唾でも吐き捨てるのだろうか。それとも、戸惑いながらでも認めてくれるのだろうか。自分が流れでついた嘘で、どこまでも絞まっていく首が苦しくて仕方ない。素直にいうべきだったのか。その場でうずくまって泣いて喚いてしまいたい。だが、プライドがそれを許さない。こんなことになるなら、最初から変装だといえばよかったのだ。嘘をついた罰だ。きっと、そういうことなのだ。葵は心で泣いた。なくしたものばかりが増えていく。取り返したいと願うことばかりが増えていく。



14.10.18

あおいへのお題ったーシリーズです。

本当はこれ別の話として書いていたものを流用して、書いてしまいました。うーん、お題ったーとしては、ダメ?w(まぁそういうなww

男鹿は東条みたいにサラッと告白しちゃうってーのも、男鹿らしいかなと思って書いてみた。

これは両想いフラグっぽい。
うだうだしてるのは葵ちゃんだけで、いってしまえば男鹿はアッサリ許してくれそう。その辺の話は何年か前に書いてます。こうなるとは限らんけど、青井と葵の話はヒルダとひるだの話と同じだよね(なんか違w



こう書いてみると、男鹿×葵は、どっちのパターンが好ましいのかな?
深海にてみたいな葵ちゃんからなんとか告白っていうのと、サラッと告っちゃう男鹿と。どっちも割と書いてみてアリかなぁと思うんだけど、意外と男鹿らしさが出たんじゃないかと。これ勝手な自負かなぁ?よくわからんけど、男鹿って照れそうでもあるし、サラッと言っちゃいそうでもあるからなぁ。難しいっす。

あ、ちなみに今回の話は、葵ちゃんが後悔しまくるってのが根底にあるので、こんな感じで終わったわけです。続きはみなさんで考えてくださいね。

2014/10/18 18:23:31