深海にて22

※ 22だけにニャンニャン



一度は二度を生み、二度は速さを増す。速さを増せば、歯止めはきかなくなってくる。回数と勢い。すべての歯車は一つの動きに合わせて絡まり合うように、そして止まらないために動く。
だが深海では動きが鈍いから。
早くしてともがいて、疲れて、止んでしまうよ。歯車は錆び付いてしまうよ。
だから地上へ上がって油を挿しにゆく。錆びつきたくないと人は願って。



*****



 黒く禍々しい魔力が辺りに立ち込めたのは、ここ数日の朝早く、もしくは夜遅く。感じられる者は数える程しかいなくて、だがそのものたちはゾワゾワと背筋が寒くなるほどにその魔力を感じて落ち着かなくなった。どれだけの魔力を持った者がこの近くにいるのだろうかと思えば、ある者は喜び、ある者はビビってしまう。またある者は体調を崩してしまうこともある。
 だが、とある彼は立場としても、魔力についてもすべて他とは常軌を逸していた。彼の名は、古市貴之。男鹿の友人であり腐れ縁であり、悪魔より選ばれし契約者──しかも人間、古市に優位な条件のみ──である。古市がまずおかしいと感じたのは、三日ほど前の土曜の深夜のことだった。彼はすでに床についており、電気も消してすでに寝息すらかいていた。だが、夢の中で何かを追っていた。目には見えない黒いモヤモヤを追いかける夢だった。起きると、もう朝だった。どうしてか隣に思念体のベヘモット師団の一人、サラマンダーが飄々とした様子で座っていた。今までサラマンダーに憑依されたことはない。古市は見慣れない彼のハネ毛を見て驚いた顔をした。
「えぇっと……、ヒルダさんの誘拐犯の悪魔の人!」
「名前…忘れちゃったの? 勘弁してよね」
 古市は結構肝が据わっているのだ。幼い頃から男鹿と一緒にいるせいか。サラマンダーは名乗ると、困ったように笑った。元より笑い顔なのだが。
「実はそのヒルダ、と男鹿…かな。二人の魔力がここ数日ですごく高まってるみたい。で、この魔力は僕らにとってはプラスなんだよねえ。すっごく。美味しい、ってぇの?」
「俺話についてけないんで、寝てイイっすか?」
「聞いてよね………」
 魔力を持つ者たちは魔力を吸いこんだり、魔力が湧き出る場所はとても身体も休まるしよいことなのだという。魔力といっても、悪魔のものと人間の持つ能力はまた違うのだという。人間のは気とかそういうものに分類される。古市はよく分からないがとりあえず生まれ持った能力は違うということらしい。そして魔力は修業などで簡単に上げることができるものではない。生まれ持ったものを超えるのは血だったりするので、つまりは魔王の血はそういった奇跡と人間たちが呼ぶようなこともありえるのだという。男鹿については人間でありながら魔王の父となり魔力を操り、また規格外の男鹿としての力とベル坊の魔力を混ぜ合わせ、さらに暗黒武闘、紋章の力などを組み合わせた手に負えないなんちゃらを生みだしてしまったのだから分かるとして、問題はヒルダの魔力についても気になる部分があるのだという。古市はその理屈はまったく理解できなかったが、サラマンダーの力を通じて感じる、うねるような気持ちの高揚と煩悩の塊、あとは魔力の流れは感じることができた。朧気ながら。
「で、僕が来た理由だけど、君と契約しないとどうやらその魔力の秘密について近づけないらしい。男鹿辰巳、どこまでも厄介な男…」
 古市の身体を使い、サラマンダーの思念は魔力を溜める。人間を媒体にすれば人間にも干渉できる。思念体の身では通常、干渉できないのだ。強い魔力を古市の両手に溜める。波動拳でも打つのかよ?!と思う古市の心のツッコミを聞き入れず、しかもそれを部屋の中に放つなんて! 古市は家が壊れるのではないかと思い気が気でなかった。ドバッと放出された魔力は古市の部屋のテーブルの上に黒い光となってそこに留まる。宙に浮かぶミニブラックホールみたいなそれ。それは空気にゆらゆらと揺れていて、魔力をもった手で軽く引っ張ると大きくしなるように大きさを変えた。
「男鹿辰巳の様子を」
 サラマンダーの思念が古市の口で言うと、そこにはゆらゆらと揺らめきながら男鹿の様子を映した。男鹿が、見ているものを見ることができるらしかった。男鹿の魔力とつながった瞬間、強い瘴気のようなものに覆われたような気がした。思わず古市も身構えてしまう。だが、映ったそれを見て古市は反射的にサラマンダーの思念を体から追い出した。強制排除だがリンクは切れていない。急に追い出されたサラマンダーは苦笑いを浮かべた。あまりに強い気持ちがそうさせたのだ。あまりの驚きで。
「ヒルダ、さん……」



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 ええそうですとも! 男鹿の野郎は最低です。あ、俺は男鹿とガキの頃からダチやってます古市貴之。頭がイイから人呼んで智将。男鹿の参謀やってたときもありました。でも、あいつのこと俺は信じられなくなっちまったっスよぉおお!!!もう、ヒルダさんと何してたって?そりゃ、今いったっしょ、ナニしてたんだよぉ!俺は悪魔の目でちゃんと見ちまったんです。ヒルダさんとそれはもう夜二、朝一、それをちょくちょくやってんのを!邦枝先輩っていう、見目エロい…いやっ、見目麗しき女性を彼女さんに持ってるというのに!俺には!だれも!なにも!!もう!バカァ!負かす!!絶対!負かして…やる!!何発やりやがったこの野郎。邦枝先輩にいってやるぅ!そういって脅してやるぅ!お前ら別れてしまえぇ!そして俺も数日黙って見ちゃってちゃんとオカズにしてしまってスンマセン、ヒルダさん。でも、なんつう最高のオカズですか!AVとかバカクセぇわ。モザイク邪魔だし!モザイクなしとなるとブスとか。ブタとか。いろんな不具合がまったくなく、隣にサラマンダーさんがいた以外は何もなかったわけで。もう4日も見たのでそろそろ俺は男鹿を攻めてやるべきかと思う。あいつは男として、超絶最低だ。浮気者だ。しねぇっていってたの、嘘だったわけだ。あいつは裏切り者だ。俺は許さない。そして、邦枝先輩も。俺は絶対に、許さない…!



********


「男鹿。顔貸せよ」
「何?」
「知ってんだぞ、ヒルダさんのこと」
「…は?」
 あれは作られた映像だったのだろうか。男鹿は表情を崩さない。ふつう男鹿だったらかなりビックリするだろう。念のため耳元でボソリという。他には聞こえないように。周りの連中はケンカなのかとニヤニヤしているが、そんなことはどうでもいい。
「朝か晩、もしくは両方、かならずヤッてんのは知ってる。邦枝先輩のことどう思ってんだ。昨日なんて先輩と帰りいちゃついてた。お前は最低だ」
 男鹿の眼光は途端に鋭くなって、辺りの空気は瞬時に凍りつく。教室にいるザコどもは逃げ腰になっている。男鹿の顔色はとても悪い。
「外出ろ」
「当然」
「「着いて来たら殺す」」
 男鹿と古市の声がクラスの連中に向けてハモった。聞かれたくない男の話をするのだ。誰にも邪魔はされたくなかった。立ち止まったままヘビに睨まれたカエル状態のクラスメイトたちを置いて二人は立ち去った。佐渡原の咎める声など誰一人聞こえていない。

 二人とベル坊は石矢魔の浜に来ていた。やはり浜が一番広いからだ。殴り合いになるだろうという予想もあった。許しがたい思いというものはあるものなのだ。古市の眼光はもしかしたら男鹿よりも数段鋭い。海をバックに二人は睨み合って、先に近寄ったのは古市。胸ぐらを掴み顔を近づける。
「お前らの、魔力が強まってるから…ってサラマンダーさんが男鹿の様子を見せてくれた。見たよ、俺は。全部見た。お前の恋人は、邦枝先輩じゃなかったのかよ…!」
「俺は……………」
 すべて見られていた?
 性的に興奮しているときは、頭の中なんてカッカとしているし、まったく冷静ではない。だから覗かれたのだろうか。普通ならば分かるだろう変化になったく気づかなかったのは、行為にかまけていたからだ。男鹿は唇を噛んだ。古市が怒るのはもっともだ。葵のことを思えばやるべきではないことをしているのも分かっている。
「お前が恋で遊べるヤツだなんて、俺は知らなかった…! 俺は、お前を買いかぶってたのかな…」
 怒り。嫉妬。悔しい。何より、悲しい。自分のことよりももっと。葵のことを思っているのは──意味合いは違えど──男鹿だけではないのだ。古市は思い切り男鹿の頬をぶん殴った。音は良かったけれど、悪魔と契約をしていない古市だけの力では、仰け反らせることすらできやしない。いずれ顔は腫れるかもしれないが、それより古市自身の手の方がきっとダメージを受けている。ケンカ慣れしていない弱い身体はこんなときも痛みを伴う。
「泣くってわかってる。でも、俺はいう。邦枝先輩は知るべきだ。お前がした過ちを」
 痛いほどに古市の気持ちは分かる。男鹿は何も言い返せない。葵を恋人だと思いながら、ヒルダの身体を貪っていたこの数日間。ヒルダの悦ぶ様子を見て、ベル坊の安らかな寝顔を見て、これは悪いことだなんて思えないほどに、当たり前の暮らしをしていた。ヒルダと身体を重ねる以外はふつうの日常で、学校では当たり前のように葵を待っていて。葵はそんなことまったく知らないから、いつもどおりにキスしたり触ったり。気持ちは葵にある。一緒にいてもっと一緒にいたくて、心がポカポカして、楽しいと思うのは葵だ。それは変わらない。
 ヒルダは都合がいい。最初は拒んでいて、ムリに口でされたときに言葉にしなければいけるのかなんて、邪まな考えが芽生えたのも事実。好きだとか愛してるとか、そういう青臭いセリフを言わなくても構わないのだということは、軽くて気楽だということ。こんな気持ちになるだなんて信じられなかった。壁で隔てたようにキッチリと気持ちは分かれていた。ヒルダとするキスや、それ以上の深いことはどこか空虚。でも、その分行為には没頭して最高。だから離れられない。簡単にやめるという考えを思いつかず。むしろ最初から捨てていたかのような。自分に都合のいい解釈ですべて。
 だが、古市の言葉ではっとする。これを、葵に知られてはならない。最低野郎と罵られても、それは仕方ない。だが、葵に知られては今までの関係はどうなるのか。見当もつかない。どうして考えてやらなかったのか。そもそもそれを考えていたから、裏切らない、やらないと決めていたのだ。その均衡は一度タガが外れてしまえば呆気ない。快楽に溺れただけだ。ヒルダの海。それは深くてとてもふかい。悪魔は悪魔だ。許す悪さ。求める悪さ。すべて葵への裏切り。
「もう、しない。約束する。見れるんだから分かるだろ。だから………」
 悪魔の力など必要なかった。心奪われた男鹿の様子を見て古市はゲンナリしていた。こんな男鹿のことをこれまで見たことがない。情けないと思った。
「邦枝に、いうな」
 都合のいい世界などあってたまるか。男鹿の好きなことだけがまかり通る世界など古市は認めない。主人公とかそういうことじゃなくて、ヒロインもいるのだし。…ってそういうことでもないけど。逃げて終わろうとしているだなんて、古市は認めない。
「っざけんな…??」
 また古市の、古市だけの弱くて脆いパンチが男鹿を叩く。唇から僅かに血を滲ませた男鹿の顔はさらに情けない。
「泣かせたく、ねえ…」
「なら、どうして…」
 最初からしなければいい。それだけのことを男鹿はできず逃げようとしている。傍観者は許せない。当然だった。あの誘惑に抗える男、しかも健康で性欲に溢れた高校生男子だ。そんな未熟な男が誘惑に勝てるわけない。古市が理解できないはずがない。というか実際に同じ立場なら古市はサッサとことを済ませただろう。それでも自分のことを棚に上げて怒りを振りかざすのだ。正義だといって。仕方のないことだ。
「初めはそんなつもり、なかったから」
「ふられちまえよ」
 ふられるんだろうか。
 男鹿は葵から嫌いだといわれる、泣き顔みたいなものが浮かばなかった。ふられるのなら納得できる。自分は痛んでも、それは悪いことをした罰で、仕方ないと思えるだろう。だが、そのために苦しむ葵を見るのが嫌だと悟った。そして考える。男鹿は葵にふられるだろうか。その言葉は頭に浮かぶけれど、葵の声で罵倒されるのだけは想像できない。逃げているだけだろうか。いや違う、葵のことを信じているだけだ。葵はきっと自分から離れない。悲しんでも憎んでも恨んでも、きっと離れないし、離れられない。ふられるのなら謝れるかもしれない。だが、
「絶対にいわないでくれ…」
 言葉だけではきっと、なかなか理解されないだろうと分かっているけれど、それでも。俺がふられるのならばいい。だが、答えはきっとそうではなくて、俺は許されるだろう。葵の涙はただ我慢と痛みだけを滲ませて。それを見るのがつらいから。自分の至らないところだというのに、それでも。


「嫌だ。俺はいう」
 古市はそう言い切った。ふられると決めつけたお前と、ふられないだろうと踏んだ俺の違い。
 男鹿は意識を失った古市を家まで運んでから、家に帰った。もちろん、ぶっ飛ばしたのは男鹿だ。明日の朝には記憶すっとべ。と願ってみるが明日になってみないと分からない。プラス望み薄。だがそんなことはどうでもよくて、家に帰ってひるだと向き合うことが現実でしかない。今日が最後。今日で最後。あとは葵に捧ぐ。そのくらいの本気で男鹿は家のドアを開けた。
 古市の気持ちも、痛むほどに分かるから。


14.10.08

エッチなシーンは一切省いた形で書き切ってみました。
男鹿×ひるを見たい方がいればどぞう!そのうち書くかもしれないが、わっしょいパワーがないとオフレコネタになるかもww

葵ちゃんは出てませんがバッチリヒロインです。
深海にて、の意味合いすら揺らぐほどのモノローグだったりとか。
しかし、どこまでも男前な古市とかw


もう少しひるだな展開引っ張ります。

2014/10/08 23:17:44