深海にて 20


世界は海でできていると、頭のいい人はいう。
でも、
海は世界はなんかじゃない。
頭の悪いぼくらは、そう思うのだ。
海は、海だ。
そして、世界は、自分たちで切り拓いてきたものだろう、と。
違うのだろうか?
なら、海でも世界でもなんでもいい、ここにあることが現実で。それ以外はどうでもいいや、なんて思うのは、愚かなのだろうか。
世界の海なんて、きっとどこにでも広がっている。きっと。



*****



 葵への罪悪感が募ったせいか、一発たりとも古市に返せなかった。ボーッとした目で倒れながらも晴れた空を眺めていたら、ズキズキと痛む傷も笑い事にしかも思えなくなった。空だけはバカみたいにキレイで、どうでもよくなる。晴れた空と腫れた顔。なんて日だ!
「俺、ヒルダさんのとこにいってみる。どーせゲロくそに言われるんだろうけど、心配だから」
 分かり切っている。つよがりと、あとは密かに抱いた、あわよくば、という真っ赤な下心だ。
「お前は、邦枝先輩のとこに行くんだろ」
「ダー、アーダブぅ」
 葵の名前が出ると、ベル坊までもが嬉しい声を出す。よく躾けられたおかしな魔王の子供。男鹿は何も言わないが、ヒルダから逃げ出すために古市の元に来たことを、男鹿の姉が知っていて、それを古市に教えてくれた。これまでの、男鹿からの拙い恋バナで、だいたいのことは古市は分かっていたつもりだ。そんな中でヒルダの記憶喪失バージョンが再び出てくるとは意外だった。こんなハーレム状態になっているだなんて、あまりに自分とは違いすぎる。悲しいほど。
 男鹿は尻ポケットからケータイを取り出して、ゆるい動きでそれを操作し電話を耳に当てる。やがて葵が電話口に出て嬉しそうな声を出す。だが、周りを気遣う様子はまさに、祖父が近くにいるのだろうなと思わせるものだった。今日は二人とも子連れ──語弊はあるが、そう見えるのは否定できないので。──でブラブラすることになった。ゆっくりできそうな場所がないのが残念ではあるものの、それでも嬉しそうな態度の葵の弾んだ声を聞けば、悪くない日和になりそうだった。
「土曜でも会えるなんて…、晴れててよかった」
 晴れてるけど、腫れてます。のっそりと立ち上がり男鹿は古市宅の近くの空き地を後にした。古市はこれから男鹿の家に行き、ひるだから何の悪気もなく言葉責めにあうだろう。分かっていながらに行くのだから好きなようにさせておく。



「どっ…、どーしたの?! そのカオ」
「二枚目だろ」
「……もう、バカ!」
 小さなカバンに入れたティッシュと、どうやらいつも持っているらしい応急処置セットの出番だった。元々がこんな出会いだったからどこか懐かしさすらある。口元に滲む血を拭うとピリピリとした傷みが広がる。手当をされるのはかなり久しいだろうが、ケンカをしないでもいられたことに気づく。それも古市に言われたことだったが、今日はその古市から何発も貰ったのだ。
「どうしたの? ケンカ?」
「違う。古市」
 それだけでは伝わらない。葵が訝しげに男鹿を見つめる。ケンカでないのに殴られて、しかも相手が親友の古市だというのだ。それに古市は殴ったりとか暴れたりするタイプではないことも葵はよく分かっている。手早く処置を終わらせて、ベンチに座りながら話をすることにした。その二人の回りではパタパタとベル坊と光太が走り回って遊んでいる。なんだかんだで歳の近いものがいると、途端に子育ては遊ばせておけるから楽になる。まだ所帯も持っていないのに、考えが所帯じみていて笑えてしまう。
「ヒルダがまた記憶なくなってよ。で、勘違いしてたから、ホラ夫婦とかって。うちの家族が。アレのせいでてんやわんや。それ話したら古市が勝手にキレてよー」
 とりあえず昨日一緒に寝たことは黙っておく。あらぬ疑いをかけられたら堪らないからだ。それでも葵は心配そうに表情を引きつらせて「へぇ」とおかしな態度をとる。言わない方がよかったのかもしれない。だが、言ってしまってからそれを取り下げることはできない。場がぎこちなくなってしまった。それはそうか。記憶喪失のときのひるだはわけも分からず葵と張り合っていて、妻ですなんて要らん自己紹介までした過去がある。そして記憶喪失のときの記憶は継続しているらしかった。葵にしろひるだにしろ、いい感情はないはずである。思い出せば出すほど、男鹿は言わなければよかったと思うばかりだ。
「ちゃんと言ったから」
「ち、ちゃんと、って何が?」
「邦枝と付き合ってる、って。夫婦じゃないって言った。ひるだに」
 それだけ言ったら、葵はくしゃりと顔を歪めて今にも泣きそうな顔をして、男鹿をまっすぐに見つめた。男鹿の表情はいつもの仏頂面でしかなかったけれど、それだけに逆の意味での嬉しさが込み上げてくる。照れたり、考えまくったり、そんなことをワザワザしなくとも男鹿は、当たり前のように葵の恋人でいるのだということがこういうときに何気無く分かる。態度で示してくれる。そのことが嬉しくて葵は、笑って、そして泣きそうだった。いつも言葉が少ないから、抱き締めてくれていても不安になるのだ。そうやって束縛して嫌われるのも葵は嫌だった。だから、できるだけ押し付けないようにしてきたつもりだ。男鹿だって葵に自分の好きなことなどを押し付けたりしないから。好きだといってほしいけれど、言葉が聞けなくても仕方ないかと心の中に言い聞かせ続けていた。でも、あまりの嬉しさに耐えきれなくてなって、たまには甘えたいなと男鹿を見ながら寄り掛かって口を開いた。
「よかった…。なんか、慌てた」
「信用ねぇな〜俺」
「そんなことない…けど、ヒルダさんは、大人の魅力がある、から…」
「人の傷口に酒を塗り込むような悪魔だぞあの女は。絶対嫌だね。大人の魅力、ってデカパイなだけじゃねーか」
 胸が大きくないのを気にしていた葵はスルーできずに男鹿の頭を殴った。不意打ち気味にスコンと決まる余裕の一撃。しかし男鹿は胸の大きさなど特に気にしていないので殴られた意味が理解できず、己の頭をさするだけ。
 もう一度葵は男鹿に凭れるように寄り添った。こうしている時間が長くなればいいのに。どうしてこの世はいつも不平等なのだろう。時間は平等だと人は言うけれど、それはどこか間違っていると葵は感じる。なぜならば、こうして楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうからだ。嫌な時間ばかりが人には長く感じられるというのに、どこか平等だというのか。とんだお笑い種だ。
「男鹿…」
「ん」
「男鹿」
「何」
「お、が、」
「何だっての」
「好き」
「………」
「大好き」
「……」
「男鹿は?」
「……………」
 言葉じゃなくても構わない。行動でもいい。ただ、同じときに同じ思いでいるんだと安心したい。それだけだった。葵はなぜかそんなことを口走っていて、男鹿にもそれを求めた。言葉にするのは苦手な男鹿だけれど、言わなきゃ伝わらないことなんてたくさんあるのだから、だからたまには伝えてほしい。わかりやすく。男鹿は気持ちを伝えたりするのが普通の人よりも苦手だから、なかなか口にはできないかもしれないけれど。不器用だけど、それでも構わない。その気持ちを感じられれば。葵は男鹿の手をゆるく握ってその目を見た。珍しく少し緊張したような、強張った顔をした男鹿が息を飲む。こういうのが苦手なのだ。とても。とても、を越えてかなり。すごく。いっぱい。そもそも、こんな気持ちとか恋人とか、そういうものにも縁が遠かったというのに、絶対に古市のが先に色恋の話になるだろうと男鹿だって周りの人らだってみんな思っていたというのに。思ったことを口にするのはいつもなら簡単にできることだというのに。恋も男女もどこまで面倒なのだろうと思うけれど、それを捨て去ることなどできないのだ。
「……言えってか」
「だめ?」
 男鹿はつと顔ごと視線を横へ向ける。それに葵も倣う。とそこには、光太とベル坊がじーっと二人のくっついている様子を見ていて。
「あんなん、いますけど」
「そ、そうね。少し、離れましょうか」
 本日のイチャイチャタイム終了。上手く使えないダシどもであった。
 それ以降、その日は四人でタラタラと近くを歩き回ったり、葵の持ってきたそこそこの味の弁当を食べて笑ったりして一日が過ぎて行った。いつもの夕暮れは時間が楽しければたのしいほどに哀しいものだ。手を振る葵はどこか儚げだった。




 男鹿が家に帰ると、男鹿の部屋に姉・美咲と古市とひるだがいた。こいつら朝から何を話していたのだろうか。主のいない部屋でどうして和気藹々としていられるのかもよく分からない。しかも菓子まで食ってるし…(さらには、美味そうな手づくり菓子)。そして、どこか幸せそうなほわほわとした笑みを浮かべていた古市はすぐに男鹿を見るなりキッと目を吊り上げた。
「お前のせいで、フられたんだよ俺は!」
「は?」
 急に関係のないことを自分のせいにされたとしても、そんなに簡単に返せるほどに男鹿の頭の回転は残念ながら早くはないのだ。そんな様子を見てヒルダがふふっと鼻で笑った。こんなやわらかな笑いかたをするのはひるだで間違いない。
 その後、雑談と夕暮れの空がさらに暗くなっていくのを見た古市が帰ると言い出してからはすぐにお開きとなった。なんだかせわしい一日だったと男鹿は感じた。

 夜。風呂から上がってきてから部屋でストレッチをしていると、風呂上がりで髪がわずかに濡れていてシャンプーの匂いのプンプンさせたひるだがベル坊を抱いて男鹿の部屋にノックののち入ってきた。昨日の今日だけに、あらぬ心配をして身構えてしまうオトコ根性がどこか虚しい。
「たつみさん。私は、やっぱり記憶を取り戻した方がいいのですよね…?」
 プラマイで考えると、ひじょうに難しい問題だった。特に胃袋的に考えて。つまり脳みそは思考のうちではない、と。弱々しいひるだの声が、過去を呼び覚ますような気持ちにさせる。今までにあったさまざまな、ベル坊を巡る冒険、と言っていいだろう。男鹿は答えられなかった。胸に刺さるものがあるから。
「俺が決めることじゃねぇ。お前の問題だ。戻りたいんなら王子様にキスすればいいんだからな」
 ひるだの目の前にちんこ丸出しのベル坊を抱え上げて、いつものとおり男鹿は言ってのける。ひるだの気持ちをああだこうだと考えるほどに男鹿は大人ではないから。だから少しでも大人である、ひるだに任せるのだ。
「そうじゃなくて、私が聞きたいだけで…」
 間違いだったとしても、夫婦だと、そして、自分の子供だと言われた二人を目の前にして、母親であって妻である自分の気持ちはどうしようもなかった。それでありたいと思うほどにひるだは幸せだから、今この時を捨てたくはない。これほどに焦がれているというのに。
「何」
「たつみさんが、私を要らないのか、どうか」
「…っ、あのなぁ、いるとかいらないとか。そういう話じゃねぇだろ…。ひるだは物じゃねんだからよ」
 それは逃げの口上。決定的な言葉を避けて男鹿はこの場をやり過ごそうと、ひるだの顔を見ようとしないでいるから。こんなまっすぐな青年であっても穢れた部分があるのだろうか、などと思ってしまった。生きているだけで穢れていく。それは悪魔も人間も、そう変わりはしない。ベル坊を抱き締めながら、それでもひるだは男鹿に軽くキスをした。要らないなんて言われないために。こうすることで、それを言えなくしてしまうために。男鹿を逃がさないために。それだけ考えられるのならば、青年よりも十分に穢れている。


14.09.30

男鹿モテモテの回
ヒルダにがんばってもらうことにしましたw

雲行きが変わってからはどうなんだろ?
深海にてはあんまり楽しくないかな?
まぁそこはそれ。ヒルダとうだうだするのは最初から考えてたことです念のため。

古市が出てくるとギャグノリというか、べるぜらしくなると思うのでなかなかいいかなと勝手に思ってます。あんまり楽しくないギャグノリというかねw
や、ぶっちゃけべるぜのギャグで笑うってほぼないんで。ファンとしてどうよ?って話だけどリアルにそうだし。
ギャグならたけしとかボーボボが至高。特にボーボボは一人で声だして笑うレベル(同人受けはかなりサムイ空気で…)。割とヒルダもべるぜらしくなるなってキャラなんです。それだけに今まで出してなかったわけだけど………。


まあ新展開にいくまでの過程しか考えてなかったので、あんまりゴミゴミした設定はないです。というかべるぜなだけに「あくまで悪魔ですから!」とか言えちゃうしw
これからどう転ぶかは分からんけど、深海にてについては、かっこ書きが必要かも知んないなー。√葵と√ヒルダw
まあ、アリです。考えておきます。

2014/09/30 22:44:58